レーベを経ってから更に西の山脈へと進み、慣れない険しい山道に悪戦苦闘をしながらも目的の封印されし地へと辿り着いた。
 アルトたちがアリアハンを経ってから既に一月余り。華やかに花々が咲き誇る時期は当に過ぎ去り、若葉の季節を迎えていた。微かな寒さは抜けきり、故郷の風はもう温かさと共に熱さを帯び始めている。

 山脈の中にあった洞窟。天然の石壁ではなく、人の手で加工された鉄の壁が眼前に続く。
 その鉄を踏む堅い足音だけが静寂の中に幾重にも反響しては消えてゆく。風が吹き抜けることの無い空気は淀み、光の射さない深遠には少年たちの手元のランプの灯りだけがぼんやりと辺りを照らしている。

 アルトたちが洞窟に入ってからどれだけの時間が経過したか、途切れなく響いた足音が途切れる。大広間へと出たアルトたちの目の前には高々と壁が立ち塞がり、アルトたちの道筋を塞いでいる。
 バーディネが壁の前まで近寄り、手で触って感触を確かめたり、壁を叩いたり、耳を当てたりしていた。

「これは構造的なものじゃない。後から塞いだものだろう」
「じゃあ、ここがあの爺さんが言っていた?」
「たぶんな」
 ルシュカの問いにバーディネが同意する。アリアハンに伝えられる過去の遺物の封印、ここと異郷とを瞬時に繋ぐ移動手段は光なき場所で誰から使用されることなく存在し続けている。

「アルト君、魔法の球を」
「ん…わかってる」

 シエルに促され、アルトが荷物の中から掌と同じ大きさの宝玉を取り出す。こうして握り締めているだけならただの美しいだけのものが……奪われればアリアハンに仇成すものになるとはアルトの中では今一信じ切れるものではなかったが、レギンスが言う通り、自分の目で確かめるより他ない。

「アルト。どうした」
「え……これを壊したら、アリアハンから出るんだなって」

 ルシュカに背を押され、アルトの中に祖国を巣立つ感慨が沸き立ってくる。十六年間ここで生き、育ってきた。この封印を破り移動すれば、そこからは見知らぬ土地がある。そこからはいつ戻れるかもわからない。アルトの心の隙間に妙な寂しさが吹き抜ける。それはシエルやルシュカも同様だった様で感慨深げに視線を落としていた。

 哀愁を振り切るようにアルトが歩み出して、掌の宝玉を握り締め、目を瞑り念じる。レギンスの言う開放手段は魔法の球に念じ、自らの魔力を通せば自ずと目覚めると教えられた。その手順通りに魔法の球を起動させる。  無色だった宝玉の中心に赤々とした焔が宿り始め、微かに、だが確かに炎の赤は色彩をより濃い赤へと変えてゆく。

 魔法の球を壁の真ん中に置き、アルトがそこから小走りで離れる。
 大広間から出た場所で、アルトたちが見守る。

 暫くした後で閃光が漆黒に覆われた大広間に広がり、轟音が洞窟を振るわせる。巻き起こった爆風に身体が吹き飛ばされそうになり、吹き荒れた粉塵が視界を覆う。熱風に煽られて外套が靡き、光と熱風が収まると同時に地響きが起こった。
 アルトがその目で、大広間を遮っていた壁を見つめれば壁の真ん中に爆発の衝撃で生じた大きな穴が出来ており、封印が解かれ、道は開いていた。

 同時に、レギンスが一目見ればわかると言っていた理由もわかった。
 呪文は攻撃、回復、補助、移動にしろ瞬間的に引き起こされるものだ。だが、鉱石に宿された呪文は発動前のまま、そのまま維持することが出来る。使用する瞬間を延ばす事が出来る。魔法の球のような攻撃呪文を宿して、爆弾、砲弾の代わり……呪文の威力でそれ以上の殺傷力を発揮する。上級呪文を秘められたのであれば、その威力は際限がなく、戦場を揺るがしかねないものになる。

 アリアハンがサマンオサに渡すわけにはいかないのもそうだ。軍を遠征させた隙にルザミ海域を侵略され、その威力の矛先が自国に向けられるのは回避すべきと考えるのも無理からぬことだ。
 だから、サマンオサを警戒する余りにネクロゴンドに軍を出兵させることが出来ず、足止めを食らっている。  魔王に対して、オルテガという一人に頼り、人類の希望を全て背負わせた失態を演じているのにも関わらず、それでも魔王に対して同じ牽制しか出来ずにいる理由が目の前で起こった爆発が全て物語っていた。

「すげえな…」
「うん…」
 大穴を開けた魔法の球の破壊力に口をぽかんと開けて、ルシュカが呆然と言う。アルトもそれに同意して頷きを返した。

「ともかくだ。封印は開かれた。もう先に進むしかないぞ」
「わっ、わかってるよ」
 バーディネが砂煙を払った後に歩き出す。それに促されてアルトたちも後に続いた。石壁の瓦礫の上を踏み越えて、幾年もの間、誰も入ることの無かった闇の中へと歩き出した。

 空気が死んでいた。
 鼻腔に飛び込む大気の匂いは土臭く、風が吹き抜けて空気を入れ替えることがなかったためか、どことなく腐臭がした。
 相変わらず続くの暗闇だけだった。ランプの灯りが視界の周囲だけを照らす。ぼんやりした灯りが陽炎のように揺らめいている。光はただそれだけだった。

 足を蹴る感覚は石で舗装されていたためか、堅い。蹴る音は硬質で、反響して消えていく音もまた硬かった。
 洞窟は分岐点などはなく、真っ直ぐに広がっているだけだった。時間間隔が麻痺しそうになるぐらいに代わり栄えのしない道が続いていた。

「ここって、どこまで続いてるんだろうな」
 どこまで続く坑道に、ルシュカがうんざりしたように言う。
「さあな。こんな程度でへばってるようじゃ先が思いやられるだけだ」
「なんだよ、それは」
 む、っとした面持ちでバーディネに、ルシュカが口を尖らせる。

「そのままの意味だ。それにな……前と後ろから魔物が迫っている。挟み撃ちにされたようだ」
 強烈な飢餓の気配と息遣いが幾重にも反響して、前と後ろから魔物たちの群れが威嚇の唸り声を挙げていた。周りを囲まれたようだ。

「前に二匹、背後に二匹…かな」
「どうやら魔物の巣のようだな。ここを通れとはアリアハンの王も無茶を言う」
「仕方ないよ。誰も手入れしてなかったみたいだし。僕は前衛を担当する」
「わかった。俺は後衛を担当する。背後からの敵を叩く」

 短くアルトとバーディネが言葉を交わし、お互いの役割を告げる。この場所は人が訪れないことで魔物たちにとって脅かされる存在がいない居心地のいい場所となっていたようだ。アルトが背中に背負った剣を抜き放ち、暗闇に白銀の軌跡がなぞられる。剣を構え、戦闘態勢に入る。

「シエルは呪文で援護をお願い。ルシュカはシエルを守って」
「わかりました」
「わかった……」

 緊迫した面持ちで、二人とも頷く。アルトが駆け、大地を蹴る。視界に捉えた敵は人間の背丈よりも巨大に成長したお化けアリクイであった。

 突然の特攻に驚いたお化けアリクイたちは動作が遅れる。その混乱の隙をついてアルトが剣戟を振るう。大気を切り裂く銀の光が前の一匹を引き裂く。肉を裂き、筋を絶つ感覚がその手に伝わる。鮮血が弧を描き、苦悶の雄叫びをお化けアリクイがあげる。
 先頭の一匹を倒し、空かさずに後ろの一匹が鋭く尖った爪を振るう。それをアルトが剣で弾き、その間隙を縫い、もう一匹がアルトに襲い掛かる。振るわれた爪はアルトの右腕を裂く。鋭い痛みが奔るが、掠り傷程度だ。行動に支障は無い。

「風よ、目覚めて。嵐となり舞い上がれ―――バギ!」
 シエルの唇からその言霊が紡がれ、坑道に渦となり、旋風が巻き起こる。それを察知し、アルトが一歩引いた。巻き起こった旋風は刃よりも鋭い風となり、刃となった風はお化けアリクイを切り裂く。たじろいだ魔物にアルトが踏み込み、一閃で突きを穿ち、鋼鉄の刃が真紅に染まる。幾度か甲高い呻き声をあげたが、魔物から力が抜けていき、少し力を込めて剣を身体から抜く。滂沱の如く鮮血が滴る。

 仲間の死に哀れみ、残ったもう一匹が爪を振りあげる。爪が虚空を斬り、アルトに襲い掛かる。だが、お化けアリクイが切り裂いたのは、アルトではなく黄昏色の毬だった。切り裂かれた毬は広がり、お化けアリクイの巨体を絡み取る。抜け出そうともがくが、足掻くほどに絡みつき動きを奪う。まだらくも糸を投げたのはルシュカだった。

 ルシュカが作った隙に、アルトが踏み込み、真一文字に引き裂く。そのまま倒れ伏して動かなくなる。背後で戦っていたバーディネもまた終わったようだ。アルトと違って、怪我はしていない。

「ありがとう」
 アルトが剣の鮮血を払って、納刀する。その後に振り返って、二人に礼を告げた。

「どういたしまして」
「アルト君こそお怪我はありませんか?」
 シエルが心配げに尋ねる。駆け寄り、アルトの腕に見える切り傷に手を当てる。

「恵みを齎さん。生命の躍動を呼び覚ませ―――ホイミ」
 柔らかな光がアルトの右腕を包み込み、傷を癒す。光が消えた後には傷跡も残さずに完治していた。

「ありがとう」
「危ない役割をやってもらっているんです。これぐらいは」
 照れ隠しにシエルがにこりと微笑んだ。その後、魔物たちの亡骸に振り返る。シエルが指で十字を切って、魂を鎮めているようだった。

「勝手にあなたたちの巣に入ったのはわたしたちです。こちらの都合で命を奪ってしまいました。せめて安らかになれるようにと。勝手な言い分ですけれども」
「そう、だね…」
 伏し目がちにシエルが魔物たちの亡骸を見つめて言う。アルトが掌の感触を忘れられずに見つめる。筋を断ち、命を奪う感覚がまだその掌に残り続けている。だが、殺された彼らからすればシエルの言う通り、身勝手な感傷だった。

「忘れちまえ」
 傷一つなく、戻ってきたバーディネが擦れ違い様に告げる。

「こんなことなんてこれから先、幾らだってある。一々気に止めて立ち止まるな」
「慣れろとでも言うの?」
「こいつらだって生きたかった。俺たちだって死ぬわけにはいかない。そうやって言えるのは生き残った側の勝手な感傷だ。こいつらの餌になるわけにはいかないだろ」
 正論だった。それでも未だに命を切り裂く感覚は掌に残り続けて、当分消えそうもなかった。それでいいとも感じられる。少なくとも生き残るために、何かの命を奪った事実だけは変わらないのだから。



 真っ直ぐに続く坑道を抜けて、最奥へと辿り着いた。
 アルトたちを出迎えたのは、光。青い光が柱となって渦を巻いていた。淡い光に照らし出されて薄暗かった坑道と比べ、この大広間は全体が見渡せる程度には明るかった。

「これが封印された移動経路ってヤツか」
 まじまじとルシュカが見つめる。この光の渦に入れば瞬時に移動できると聞いた。こうして見ればただ綺麗なだけの淡い光にしか見えず、信じ難いものがあった。

 アルトが青い光芒を見据える。
 この光の向こう……その先に、今まで自分が生きた大地とは違う世界が広がっている。新しい大地を踏み締め、知らないもの、不思議なもの、幾多の出会いが待っている。それが好奇心を振るわせる。
 この光の向こう……その先に、踏み入れたらアリアハンに当分戻ることは出来ないだろう。故郷の大地を見ることは叶わずに、ただ歩き続けていかねばならない。それが郷愁へと誘わせる。
 その二つが綯い交ぜになった感情のまま、アルトの視線はただ、青い光の先を見つめていた。目を伏せて、一呼吸した後に、目蓋を開き、仲間へと振り返る。

「準備はいい?」
 アルトが三人を見つめて、覚悟を問う。

「はい。もちろんです」
 それにシエルが目を細めて、微笑んだ。広い世界を歩む……それは彼女にしてみれば見識を広げる機会だと言っていた。だからか、その笑顔に迷いや郷愁といった影は感じられなかった。

「ああ…問題ないぞ」
 バーディネが素っ気なく答えを返した。各地を流離ってきた彼にとってはいつものことだろう。アリアハンもまた、旅路の一つでしかない。別離の覚悟は通過儀礼の一つでしかないのだろう。

「お、おう。いいぞ」
 少し緊張気味にルシュカが頷いた。見知らぬ土地を旅する不安があるが、不安以上に期待が勝っているようだった。

「行こう」
 アルトが促すと同時に、笑顔を向けた。その笑顔が消えると共に青い光へと足を踏み入れる。シエル、バーディネ、ルシュカの三人も続く。
 踏み出すと同時に浮遊感に襲われ、地面を踏む冷たい感覚が消失する。視界いっぱいに青い光の奔流が渦となって、アルトの身体を包み込む。青い光の眩しさに我慢することが出来ずに、アルトが目を瞑る。




 光が過ぎ去り、アルトがゆっくりと目蓋を開き、その目で確かめる。
 ふわり、と着地して再び地面の感覚を足に感じた。しかし、その感覚はアリアハンでのものとは異なり、地面の冷たさではなく石畳の冷たさであった。周囲を見渡せば洞窟ではなく、石造りの人工的な建物の中だとわかる。もうアルトたちはアリアハンではなく、異国にいる。
 わっ、と小さな声が耳に入り、アルトが振り返ると降り立とうとして、体勢を崩したシエルがいた。それにアルトが手を取って、シエルを抱き寄せる。華奢で柔らかな感触を引き寄せる。

「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
 シエルが頬をうっすらと紅く染めて、礼を言う。地面を確かめるようにして踏み、身体を離す。

 アルトが荷物の中から、地図を取り出す。色鮮やかに映し出された地図に、ふわりと浮かび上がった小さな羽ペンが現在地を知らせていた。祖父から渡されたものであったが、魔力が込められた高価なものであると聞いている。その魔力を以って、指し示す地平は世界の西の方面の靴の形をした半島を示していた。
「ロマリアか」
 バーディネが現在地を告げる。ロマリア…潜り抜けた光はほとんど一瞬であったのにアリアハンから凄まじい距離を移動していた。

「ロマリアはアリアハンと同盟を組んでいる国です。国交も盛んですし、ロマリアとアリアハンの王家とも交流がありますから、初めて訪れるとしたらいい国だと思います」
 ぽん、とシエルが手を叩いて、簡潔に説明する。転移先を知っていた故にサルバオ王はこの移動手段を勧めたのだとわかる。友好国なら安全に送り出すことが出来、これだけ距離が離れているのであればサマンオサを刺激することもない。
 頷き、アルトが頷いてから地図をしまって立ち上がる。

「まずはここから北のロマリアの首都に行こう」
「そうだな。ロマリアは大国だ。そこのギルドなら情報も飛び交っているはずだ」

 アルトが提案し、バーディネが肯定した。
 飛び込んでくる空気は冷たく、春を過ぎかけて熱さを帯びていたアリアハンの空気とは別物だった。異郷へと踏み出した少年たちの旅は始まりを告げていた。




BACK  /  TOP  /  NEXT