晴れて十六歳となり、成人の儀を終えた。アルトは成人となった。 王宮を出た後、肺いっぱいに空気を入れて、思いっきり吐き出した。緊張した肩の筋肉が解れると同時に、安堵感と成人した感慨とで綯い交ぜになった気持ちが湧いてくる。親の庇護を離れ、自分の意思で自分の人生を歩み出すその一歩を踏み出したのだ。 アルトは王城を一度だけ振り返り、すぐにまた歩み出す。跳ね橋が上がっていった。まるでそれまでのアルトを遮るように。少年の足音は遠ざかって、雑踏のざわめきにとける。 王や大臣から二点指示されたことがある。 一つは勇者としてオルテガの二の舞を踏ませるわけにはいかない。ならば、アリアハンのギルドにて旅の同行者を募り、彼らと協力して旅をするようにと通達された。 もう一つはアリアハン北東部にある『封印』を使用し、大陸を出るようにと命じられた。その封印の解除する方法はアリアハン北部の酪農地帯レーベに住む王宮仕えの魔法使いを尋ね、そのための『手段』を手に入れ、それを使用すべしと命じられた。 軍艦は出せないと宣告された。サマンオサ軍の動きが不鮮明なため、下手に船を出して向こうを刺激するわけにはいかない。勇者が旅立つというのはアルトの想像以上に目立つ行為だと王は苦言していた。世界に希望を示す代わりにその注目を集める。アリアハンの現状では好ましいものでは決してない。アルトに封印された手段での移動を指示したのもそういった都合があったからだ。 「アルト君!」 街頭の喧騒の中から見知った声が耳に届き、アルトが視線を向ける。雑踏を掻き分けるように大降りに手を振っていたのでそれが目に付いて目立っていた。 「やあ、シエル」 「はい、こんにちは」 漆黒のカソックを着て、青い前掛けを羽織った透き通った空色の髪の少女がいた。シエルがぱたぱたと駆け寄って、にこりと優しげに微笑んだ。 「今日、お誕生日ですね。おめでとうございます」 ぽん、と手を叩いてシエルが祝福する。アルトが気恥ずかしくなり、赤面する。改めて、人に祝福されると照れくさいものがあった。 「ありがとう…」 「成人の儀を終えた帰りですか?」 「うん、シエルはどこかに行くの?」 「はい、ギルドにちょっと」 「え、ギルドに?」 アルトが聞き返して、シエルが再度にこやかに笑んだ。僧侶なので巡礼の旅に出る……というのは不思議なことではないが、アリアハンでシスターとしてローレン神父の手伝いをして生計を立てていくとばかり思っていたから意外ではあった。 「わたしも旅立つ事にしたんです」 「それは……どうして?」 「わたし……実は孤児なんです。お父様に無論感謝もしていますし、実の子供同然に愛情を注いでもらいました。ですけど、やはり実の両親に会ってみたいんです」 シエルはアリアハンの裏路地に捨てられていた子供だった。彼女が覚えていないぐらいに幼く、物心もついていない頃にローレン神父に拾われた。それ以来実の子供のように育てられ、成人を迎えた時にその真実を教えられたという。 告げられた当初は戸惑いを隠せずにいたが、落ち着いてその事実を受け止めた。だが、同時に自分の実の親を知りたいと感情が生じ、それは月日が経つのと同時に彼女の中で大きくなっていった。 「だから旅立つことを決めたんだ…」 「はい、尤も巡礼の旅なので教会のある大きな都市を回るのですけど。両親の手掛かりと共にアリアハンにいるだけでは知れなかった様々なことを見て、見識を広められればもっといいですけど」 照れくさそうに頬を朱に染めてシエルが微笑んだ。 そのことを告げられてアルトも驚いたが、言葉にはしなかった。シエルもそれに対しての葛藤もあるだろう。それでもその事実を受け止めて前に進める彼女の強さは感嘆に値すべきものだった。 「それに―――手掛かりはあると、思います。あの魔族の方は何か知っているのではないかと。勘のようなものですけど」 真剣な面持ちで、シエルが告げた。 二年前のあの日、魔将エビルマージは明らかにシエルを見て、動揺していた。何か、あの男はシエルの生い立ちの手掛かりになるものを知っているということだ。魔王直属の配下ならば、ネクロゴンドにいる可能性がある。それは、つまり、 「アルト君が勇者として旅立つのでしたら、わたしを同行させていただきませんか? まだまだ僧侶として未熟ですけれども、足手纏いには決してなりません」 シエルの真摯な眼差しにじっと見つめられて、アルトは見惚れてしまいそうだった。まだ少女らしい面影を残すものの、大人びて可憐という表現よりも清楚という表現が当て嵌まるようになった。紅玉の様な紅い瞳に吸い込まれそうになりそうだった。 「危険だよ?」 「覚悟の上です」 「もしかしたら死ぬかも」 「それはアルト君も同じです。アルト君が許可していただけないのでしたら、ギルドで仲間を募るか最悪一人でアリアハンを出ます」 「えぇー……」 シエルは冗談ではなく、本気でそう行動するつもりだ。その眼差しに冷やかしやからかいといったものは一切無かった。戦災、暴徒や盗賊による略奪、魔族による侵攻といったものが横行するこの不安定な時代で少女が一人旅をするのはあまりにも危険だ。 「わかったよ。一緒に行こう」 「はい、よろしくお願いします」 ぺこり、と頭を下げ、顔を上げてシエルがにこりと笑う。 「でも、ギルドで冒険者として登録してから。そもそもアリアハンから出れないし許可されないし」 アルトが苦笑する。こういうとき、男というものは女の笑顔に弱い。だが、アルトも悪い気はしなかった。 どっと周囲から歓声が沸き立って、アルトがたじろぐ。 往来でこういうことを話していたからこの話は周りの人々にだだ漏れだった。商店や露天で働く人は仕事の手を休めて、行き交う人々も立ち止まって話を聞いていたらしい。賞賛、憧憬、喝采、応援……様々な感情で沸き立つ。あわあわと照れくささが極まって赤面して思わずシエルの手を取ってその場から逃げ出すように、アルトが走りだす。がんばって、負けるないで、大事にしてあげろよとか様々な喝采がアルトに届く。 オルテガやアゼルスと同じ血族を引いているのが理由かもしれないが、それだけアルトに希望を託している。まだまだ未熟な自分であるにも関わらず。 この応援に応えたいとアルトは思った。オルテガの子としてではなく、自分の意思で。駆け抜けるとき、気恥ずかしさだけではなく、少年の心に暖かいもので満たされていた。 無我夢中で商店街を抜けて、気が付けば城下町の北西部に位置する繁華街まで走り、切らした息のまま見上げた場所は目的地だった。 ギルド。 ギルドとは云わば各国、各町に存在する、流浪する傭兵や冒険者に仕事を斡旋、情報提供するための場所だ。ギルドに登録することで三ヶ月以上の長期間滞在することになった職を得られなかった冒険者などを犯罪者になるのを防ぐのと同時に、街の自治体や貴族や商人などからギルドを通して舞い込んだ様々な依頼をこなし、仕事を斡旋することで金銭が提供される仕組みとなっている。 無論、短期の滞在者も利用し、登録することも出来る。実際は短期の利用者が多く、より報酬が高いお尋ね者や魔物を狙うための情報交換や依頼主を探索する場となっているのが現状だ。 各国に存在するそのギルドがアリアハンにおいてはこの『ルイーダの酒場』となっている。 アルトが戸棚を押すと、鼻腔いっぱいに濃厚な、刺激的ではあるが食欲を沸かせる匂いが飛び込んでくる。香辛料と酒と。 幾多のランプではっきりと照らし出されていた。女給たちが忙しなく動き回り、まだ早い時間だというのに賞金首の張り紙をじっと見つめる者。一仕事終わったのか仲間と談笑し、酒を酌み交わす者。依頼主と仕事内容について交渉をしている者。得た貴重な品々を鑑定してもらっている者など場のざわめきは活気に満ちて、命の鼓動のように人々を包む。 独特な活気にアルトが戸惑いながらも、奥のカウンターまで進む。 「いらっしゃい。ここはルイーダの酒場。旅人が仲間を求めて集まる出会いと別れの酒場よ。あなたは何を望みかしら?」 少年を出迎えたのは二十代後半ぐらいの、漆黒の長い髪を束ね、真紅のドレスで着飾った美人だった。女性としての魅力に静と動があるのなら、彼女は間違いなく後者に属するだろう。形のいい唇に笑みを刻んで、より妖美な雰囲気を醸し出す。 「お久しぶりね。アルティス。二年ぶりくらいかしら。私のこと、覚えてる?」 「はい、ルイーダさん」 アルトが笑顔を返し、ルイーダも微笑みかける。ルイーダとは顔見知りでもあった。先代のギルド主の娘でオルテガの旅の支援をしていた頃からの知り合いだ。 アルトとシエルがスツールに腰をかける。ふと、隣にいた冒険者と視線が合い、鋭い視線にアルトが視線を逸らす。視線を逸らした先にドレスから覗くルイーダの豊かな胸元が目に入り、どぎまぎとしながら慌てて下を向く。 「誕生日おめでとう。なったのね。勇者に。お父さんとお兄さんの意思を継いで」 「なんだか今日はずっとそれ言われてる気がする」 思わずアルトが苦笑する。 「それと大人しいアルティスが可愛い女の子とデートだなんて。大きくなったわねー、お姉さんも嬉しくて涙が出ちゃうわ」 「で、デートだなんて…! ち、違います! 違いますし!」 シエルが耳まで顔を真っ赤にしてあたふたと慌てる。必死に否定されると少しアルトは複雑なものを感じるが。 「冗談よ、冗談。そんなに必死にならなくても」 手をひらひらとさせてルイーダがからからと笑う。それにほっとした面持ちでシエルが安堵していた。ルイーダが笑みを消して、真剣な眼差しでアルトを見つめる。 「王宮から依頼が来ているわ。あなたに仲間を紹介し、魔王討伐の旅に同行させろという依頼がね」 ルイーダがアルトに書類を差し出す。アリアハンのギルド登録用紙を受け取り、目を通す。 筆記されているのはアリアハンギルドの一員となった際の仕事の斡旋、情報提供、登録者は外国においてもその国で簡易的な国籍の取得を与える、戦闘不能になった場合でも金銭を後払いにすることでギルド員に回収してもらえるなどの利点と他国で不祥事を起こした場合、ギルド登録を抹消し、登録した国へ送還される罰則が記載されていた。 「まだ、後戻りはできるわよ。これに署名するともう後戻りはできないわ」 自身の真情を吐露し、ルイーダがアルトを真摯な眼差しで見つめる。 ルイーダはギルドの管理人として何人もの冒険者を見送り、時には戻ってこなかった人もいただろう。 「大丈夫です。魔王を倒すって一度、決めたことです。逃げません。最後までやり遂げます」 アルトが固い決意を持って、告げる。そのことに迷いなどなかった。亡くした誰かのためにこの道を選択するのではなく、自身がこの道を歩むと……もう決めたことだ。誰でもなく自分の意思で。 「わかったわ」 アルトの覚悟に嘘偽りがないことがわかったのかペンを差し出して、アルトが受け取り、登録用紙に署名する。次にシエルに手渡し、署名した後に二人分の登録用紙をルイーダに差し出す。 「アルティス・ヴァールハイト、シエル・アシュフォード。二人分、確かに受け取ったわ。職業はアルティスが勇者、シエルが僧侶で登録しておくわね」 「はい」 「ありがとうございます」 ルイーダが登録用紙に書き込み、ギルド登録が完了する。これで後はアリアハンのギルド登録者として二人は登録され、アリアハン国籍の冒険者として認定されたことになる。 「じゃあ、アルティスの旅立ちを記念して一杯奢るわ」 「あの、わたしは神に仕える身なのでアルコール類は禁止されてますけど…」 「問題ないわ。アルティスだってまだお酒飲めないし、果物のジュースで乾杯しましょう」 ぱちんと片目を閉じて、ルイーダが不安げに答えたシエルに微笑む。それにほっとしたのか、それならなとシエルも乾杯に応じた。とくとくとグラスに瓶から液体が注がれ、二人の前に置かれる。そして自身の分のグラスにも注いで、目の前にグラスを差し出す。 「では、若き勇者の旅立ちを記念して乾杯」 三人がこつんと涼やかな音を鳴らして、グラスをぶつける。オレンジジュースを流し込み、オレンジの甘酸っぱさが口いっぱいに広がり、冷たさが喉を通っていく。 「お前が勇者サマかい。どんなすげぇ奴か思ってみれば酒の飲めねえただのガキじゃねえか。お前みたいなひょろひょろした奴はスライム一匹だってやっとだろうぜ」 アルトの頬を大木のような筋骨隆々とした腕が横切り、視線を向けてみればその腕と同様の筋骨隆々とした大柄な男がにやにやと見下していた。口元から酒臭い吐息が顔にあたり、アルトが顔をしかめる。それでこの男がどれだけ酔っているか明確であった。 アルトがむっと男を睨むように見つめ、意に返さずとばかりに豪快に笑って酒臭い息が撒き散らされる。アルトから視線がその横にいたシエルに視線が注がれ、顔や身体つきを見てにやにやしていた。 「お……中々の上玉じゃねぇか。こんな勇者モドキと飲むより俺に酌してくれや。なあ!」 「やめてください。きゃ……痛…!」 男が嫌がるシエルの腕を掴み、強引に抱き寄せようとした。女の細腕では抵抗も虚しく引っ張られる。アルトが立ち上がろうとしたその瞬間。 「やめろ」 カウンターの端から鋭い声が響く。その刹那には黒いシャツの上から、白い厚手のコートを羽織った銀髪の青年が男の手をきつく掴んでいた。 顔立ちは整っているが、誰彼構わずに睨み据えるかのような目付きの鋭さが、獰猛な獣の如き雰囲気を彼に与えている。鋭い目から覗かせる眼差しには強い意思を感じさせる。体格は標準よりも大きめで、やや細身では在るが、華奢な印象を感じさせず、全体的に引き締まった印象を他者に与える。やや焼けた肌の褐色がそれを強調し、顔を含めて全身に刻み込まれた傷痕が不思議と艶かしい印象を与える。 「なんだぁ……てめぇ」 「なんだはこっちの台詞だ。一杯やってたら騒ぎやがって。女なら誰でもいいのかこのロリコン野郎」 「ロリコッ…!?」 男の顔が見る見るうちに憤慨して耳まで真っ赤に染まる。 「どうした? 筋肉が自慢なんじゃないのか。見掛け倒しか」 そう鼻で笑うと、更に力を込める。それに男が更に痛がっていく。そのまま男の腕を背面に捻り、その反動でシエルの身体が開放される。よろめいたシエルの身体をアルトが抱きとめて、その現状をまじまじと見つめる。 彼が咄嗟に力を緩めたことにより、男がよろよろと無様に地面に尻を付いた。それにどっと嘲笑が沸き、男が憤怒を露にして立ち上がってきつく歯をぎりぎりと鳴らす。 「この野郎……恥をかかせやがって!」 力いっぱい殴りかかろうとして、彼が一歩下がって足で引っ掛けられてひっくり返る。再び立ち上がろうとするが喉元に短剣を突きつけられて、途端に見る見るうちに血の気が引き、顔を真っ青にして彼を見上げる。 「待って。もういいだろ」 アルトが静止して、睨むように青年がアルトを見据える。その鋭い眼光に貫かれてもアルトは怖じることなく意見を口にする。 「助けてくれてありがとう。でも、そこまでしなくてもいいだろう」 「甘いな。それで勇者をよく名乗れる」 「どんな人でも一方的にやられてることを見るのはいい気がしないよ」 「酒のためなら他人の命を犠牲にもして、自分の命がかかるとこの様だ。徹底的にやらなければいけないときもある。特にこういった輩は特にな」 「はーいはい、そこまで」 ルイーダが口を挟んで、その隙に男はそそくさと逃げ出していた。ルイーダに静止されたことでじろじろ見てた観衆たちは興味をなくし、周囲の喧騒が元通りになる。青年も元いたスツールに戻る。 「大丈夫?」 「あ、はい。わたしは大丈夫です」 アルトが声をかけて、シエルが微笑んで頷く。再度、アルトたちもスツールに座る。 「迷惑かけてすみません…」 「いいのよ。ギルドを経営してると酔っ払いが騒ぎを起こすなんて日常茶飯事だし」 シエルが頭を下げてルイーダがからからと笑う。 「さてと。仲間だけどね。そーねえ…」 ルイーダの視線があるところで止まる。その視線をアルトとシエルも目で追う。 「勇者の仲間としてパーティに入ってくれる? お願いね、バーディネ」 「オレがか…?」 ルイーダに勇者の仲間としてお願いしたのはさっき助けてくれた青年だった。顔を顰めてルイーダを見つめる。 「それに貴方の旅の目的にも合ってるんじゃないの?」 「それはまあ、そうだが」 「この人の旅の目的ですか?」 シエルがきょとんとした面持ちでルイーダに尋ねる。 「オレは盗賊だ。各地の遺跡やら洞窟やらから貴重な道具を探すのが仕事だ。それだけだ」 「はあ……ドロボウさんですか?」 「断じて違う」 バーディネが即座に否定する。ギルドで職業として定められている盗賊は暴力で他人から略奪するのではなく洞窟、廃墟、遺跡など、主に人の手の入ることのない場所に赴き、遺された「財宝」を探し出すトレジャーハントで生計を立てることを主にしている職業だ。 魔物に遭遇する率が高い場所での行動が多いため、戦士や武闘家と同等の戦闘能力を有する人間もいるとルイーダが簡潔に説明する。 「お願いできるかしら? 貴方なら剣の腕も立つから問題ないだろうし」 ルイーダがバーディネに微笑みかける。妖美な笑みではなく、なぜか妙に威圧感を感じる微笑みだった。なんというか逆らい辛い。深々とバーディネが嘆息する。 「わかった。ルイーダにはアリアハンにいる間の宿やなんかで世話になった。同行すればいいんだろう」 「決まりね」 ほぼルイーダが強引に決めたようなものだが、異を唱えることは妙に憚られた。 「さっきはありがとう。言い争ってごめん。これからよろしく」 「ああ…こっちこそ熱くなり過ぎてたようだ」 「この三人で決定、みたいですね」 勇者アルト、盗賊バーディネ、僧侶シエル。 この三人が出会い、そして旅立つ。アリアハンを出るときはもうすぐ。
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