眼前に広がるステンドグラスに目を奪われていた。 イコン画と呼ばれる聖画で、古の伝承に伝わる聖戦の様子を描き、ロマリアで信仰される神々を奉ったものだ。神を崇めるように聖人たちと妖精たちとが邪悪な何かを追い払ったようにも見える。アリアハン、ロマリアで信仰されるのはルビスという女神だとシエルが説明していた。 ルビスは豊穣と大地を司る炎の神で、精霊、妖精たちの主だと伝えられる。あの謁見の間のステンドグラスはルビス神とその眷属たちの聖書に記された争いを描いたものであるらしい。 その真下に存在する玉座の前で、アルトたちが膝を着いて待機する。王と王妃は未だに姿を現しておらず、傍に控える大臣のみがイラついた様子で待っていた。衛兵たちにアリアハンの勇者として謁見に参った旨を伝えれば、早かった。謁見の間に案内され、王を待つこととなった。 大理石を踏む音が響き、待機していた近衛兵たちが背筋を伸ばし、アルトたちは視線を下に向け、畏まる。玉座に座り込む音が耳に入り、王と王妃が座ったのだと理解した。 「面をあげてよいぞ」 「はっ」 アルトたちが顔を上げれば、まだ三十前後だと推測できる精悍な顔立ちをした男性が純白の法衣に身を包んで、堂々たる威厳で若き勇者たちを睥睨した。その隣で穏やかに女性が微笑んでいた。煌びやかなドレスに身を包んだ美人だった。 「そなたがアルティスか。そなたの父、オルテガの名は余も聞き及んでおる」 威厳のある声が耳朶を打つが、気のせいかこの声に聞き覚えがあるような気がした。 「遥々アリアハンからの遠路、ご苦労であった。魔軍の脅威こそあれど我がロマリアは屈するほど脆弱ではない。ゆるりとしていくがよい」 「はい、ありがとうございます」 畏まった礼で、アルトが感謝を告げる。他国の王との謁見はこれが初めてであるため、何か粗相していないか不安はあるが、ロマリア王を見る限りその心配はなさそうだった。 ふと、隣の王妃がくつくつと声を出して笑う。アルトは何か変なことでもしたのかと不安に襲われる。 「ねえ、ルードヴィヒ。その偉そうな態度止めにしない? 正直似合っていないわ」 「アリアハンの勇者だと聞いていたからね。あんまり砕けていてもどうかと思うよ」 「その方が貴方らしいわ。畏まっているとおかしくておかしくて」 また王妃がくつくつと声を出して笑い始めた。それに調子を狂わされたのか、ロマリア王が顔を顰めていた。 「あー、もう、だいぶ台無しだけど、よくロマリアに来たね。歓迎するよ。勇者君」 「は、はあ・・・・・・」 呆気に取られて、アルトが口を開けたまま態度をころっと変えたロマリア王を見つめる。さっきの堂々とした威厳ある姿よりもこっちの方が地なのだろう。 王族にしては砕けすぎている気がしないでもないが……思い出したアリアハン王も負けず劣らず気さくではあった。 「陛下……せめて王としての威厳は持っていてくだされ」 「そうは言ってもねえ。あんまり威厳がないのは自覚してるよ」 大臣が嗜め、深々と嘆息をしていた。アルトが見ていると大臣が大袈裟に咳をはらって誤魔化していた。 「君の事はアリアハン王からの書状を頂いているからね。それで君の事を知っている。どうやってここまで来たかもね」 ロマリア王が簡潔に理由を言う。どうやら、旅の扉を使ったことも全部承知しているようだった。それで少し、アルトが安堵の念を覚える。 「だから……君がどういう人間か気になってね」 「と言いますと」 アルトが首を傾げて尋ねると、ロマリア王はにやりと笑んだ。すると、指で自分の目元を隠した。 「ほら、ロマリアのギルドであったじゃないか」 「は…い……?」 「コーヒーも一緒に飲んだじゃないか」 「ってええ!?」 驚くのも無理はない。あの時の胡散臭い男がロマリアを統べる王だなんて想像だにしない。してやったりとしたり顔でロマリア王が不適に笑った。 「陛下! またですか!」 「いいじゃないか。たまには下々の暮らしを見てみるってのもさあ」 「たまにはじゃないでしょう! いつもでしょう!」 大臣が咎めるが、ロマリア王はそ知らぬ顔であった。 「だから僕にはガラじゃないんだよ。勇者君、僕に代わってロマリアを治めてみない?」 「えええええ!? む、無理です! それに僕は」 「いやいや冗談だから。面白いねえ、やっぱり」 冗談だとわかり、アルトに一気に脱力感が湧き出て、全身の力が抜ける。なんというか破天荒な人だった。冗談にしては冗談に聞こえないことを平然と口にし、圧倒されてアルトが唖然とする。 怖じることなく物を聞ける気さくさはこの人の最大の魅力なのだろうとそう考えられる。 「陛下、お聞きしたいことがあります」 話の流れを変えるべく、アルトが異を決してロマリア王に本来謁見した理由で話を遮る。 「最近、ロマリアを騒がせている盗賊についてお聞きしたいのですけど」 「ふむ・・・」 さっきまでの陽気ななりは息を潜め、その眼差しに鋭さが宿る。それでもアルトが言葉にする。 「ギルドでの手配書を見ました。金の冠というものが奪われたのだということも」 「そうだ」 ロマリア王は一呼吸を置いてから、語り始める。 「カンダタというものの仕業だ。その者が王宮から金の冠を奪い、逃走した。ロマリアの面子にも関わるから罪状は誤魔化してるがね。だが、ここでそれ以上の話はできない」 「どうして……ですか?」 「その話はやめとけ」 静止したのはバーディネだった。ここで話すことができない理由は明白だった。勇者とはいえ、アルトたちは一介の旅人に過ぎない。謁見の間で各地を流浪する旅人に為政者が国の面子に関わる話を軽々しくできるはずもない。 「察しが早くて助かるよ。ところで」 ロマリア王が指でアルトに近寄るように示唆し、それに戸惑いながら近寄る。小声で何かを告げられて、顔を離す。 「これで謁見は終わりだ」 「……はい」 アルトが止む無く頷き、衛兵たちも敬礼を持って少年たちを見送った。 街が黄昏の朱に染まり、沈み行く日差しが建物の影を伸ばす。商店街は相変わらず雑踏で賑わい、仕事や学校を終え、帰路に付く人や夕飯の食材を買いに来た主婦などでより活気に満ちていた。 商店街の中で一際大きな、赤い薔薇の看板が目印の酒場。 その中の一席に、一際目立つアロハシャツを着たサングラスの男が座り、暢気にコーヒーを飲んでいた。あの時、ギルドにいた陽気な男だった。 「やあ、よく来たね」 この男の素性を知っていれば、場違いというか目立ちすぎというかルードヴィヒが悠々と寛いでいた。 「ここに来いと言ったのは陛下でしょう」 アルトたちにこの喫茶店に来るように言ったのは、ルードヴィヒだった。周りに聞こえないように小声で囁いて。 「いやいや待ちたまえ、アルティス君」 ばっと前に手を上げて、困ったような声で眉を潜めていた。 「僕はロマリアの陛下なんて大それたもんじゃない。ただの酒場でコーヒー飲んで寛いでいるちょっと陽気なナイスミドルだ」 人差し指を振って、アルトたちの過ちを指摘する。本当に変わった人だなあ、としみじみアルトは思ってしまった。 「何がナイスミドルだ。それに酒場ならコーヒーじゃなく酒を飲め」 開き直ったように、空いた席にバーディネが座り込む。 「あ、君、そんな口を聞いて」 「ただの陽気なおっさんなんだろ。だったら何も問題ないだろ」 ルードヴィヒがぐっと言葉を詰まらせる。それを見て、バーディネが勝ち誇ったように鼻で笑う。 「仕方ない。ここは目を瞑ろう。それと僕は酒は苦手なんだ。だからコーヒーで勘弁してくれ」 渋々と言った様子で、ルードヴィヒが諦め混じりの溜息をついた。すぐさま立ち上がり、ポケットから金貨を取り出して、テーブルの上に置く。 「ここで話もなんだ。ちょっといいところがある」 にやりとしたり顔でルードヴィヒが笑んだ。彼に案内されて、酒場の奥にある階段を降りる。薄暗い闇から一気に視界が開け、商店街よりも何倍もの活気に満ちていた。闘技場が併設され、それを取り囲むように観客たちが賑わいを見せていた。それにアルトが圧倒される。 「格闘場だな」 下を見下ろして、バーディネが告げる。格闘場はかけ金を賭けて、捕獲してきた魔物同士を戦わせる賭け事だ。娯楽の一種なのだが、観客たちのざわめきを見る限り、だいぶ盛り上がっているようだった。 「世俗的です。魔物といえども見世物にするなんて」 呆れたようにシエルが言う。僧侶であるシエルには受け入れ難い娯楽だろう。先に観客席へとアルトたちが座って待っていると、 「厳しいねえ」 そう軽薄な笑みを浮かべて、ルードヴィヒが観客席に座り込む。手に握られていた券から何かに賭けたのだろう。 観客が一斉に沸き立ち、闘技場に芋虫状の魔物キャタピラー、液体状のバブルスライム、人より大きな大型の兎アルミラージなどが入り、合図と共に試合を始める。 「さて、どうかな?」 ルードヴィヒが息を呑んで、試合を見守る。まず攻撃に出たのはアルミラージだった。咆哮をあげて、バブルスライムを眠らせ、その間にキャタピラーを倒す作戦のようだ。しかし、キャタピラーが転がって体当たりで先制攻撃を食らわされて、アルミラージがたじろぐ。そのまま尻尾を打ち付けて、キャタピラーがアルミラージを吹き飛ばす。 眠っていたかと思ったバブルスライムがキャタピラーの上に乗り、皮膚に痣が残り、バブルスライムの液体が染み込んで行く。キャラピラーが苦しみ出して呻き声を上げる。毒が回って来たのだろう。キャタピラーから振り下ろされ身体が散り散りになるが、すぐに収束して元通りに戻る。 この試合で勝利したのはバブルスライムだった。 「よしっ、勝った」 ぐっと券を握り締めて、ルードヴィヒがにっと笑った。ルードヴィヒが急いで立ち上がり、新たに賭けてきたようだった。また急いで座って試合を眺める。 「あの…」 おずおずとアルトが聞く。試合に没頭して、本来の目的を忘れているような気がしたからだ。たぶん、ルードヴィヒにとってはこれが本来の目的なのやもしれないが。 「おっと……忘れてないからね」 「本当ですか?」 アルトの問いに頷くルードヴィヒ。しかし、ルードヴィヒの視線は試合に注がれたままであったが。 「カンダタのことは謁見の間では話すことが出来なくて申し訳ないと思っているよ」 「話せなかったのは俺たちが冒険者だからか」 「それもある」 真剣な声色で、ルードヴィヒが肯定する。 「もう一つ、そのカンダタは僕らにとって身内だからだ」 ルードヴィヒは変わらずに試合に視線を注ぎながらも、その目には憂いがあった。 「カンダタはかつてロマリアに所属していた密偵だった。盗賊として優秀な男だった」 時に、盗賊を秘密裏に雇うということがある。その主だった理由は彼らの情報網を使って、領土内における取り締まりや治安維持に当たらせる……目には目をという具合に。ロマリアもまた盗賊を雇い、治安維持に活用する国家の一つだった。 カンダタもそう行った事情で雇われた一人だった。雇われた中では特に優秀で、傭兵崩れの戦士数人であろうとも制圧できるほどの実力を誇っていた。粗野な男ではあったが国に対して忠誠度は高く、信頼の置ける男であったという。 「そんな男が何故お前を裏切る?」 「さあてね。この国ではちょっと前に疫病が蔓延してね」 バーディネの問いにやんわりと答え、ルードヴィヒが言葉を区切り、一息つく。 ロマリアがその疫病の感染拡大を防ぐために取った措置は、感染が確認された村を焼き払うという術を取った。 「そんな……それ以外に方法はなかったんですか?」 「方法を模索してるだけの時間がなかった。時間を許せば、感染は拡大し続ける一方だった」 シエルに、鋭い眼光を向けルードヴィヒが向ける。 「呪文は効果がなかったんですか?」 「やったけれども、症状を和らげるのが精一杯だった」 それを聞いた後で、シエルの視線が下を向く。呪文は万能の力だが、全能の力ではない。時に人の傷を癒し、凄まじい破壊力を発揮するが流行り病や疫病に関してはせいぜい症状を抑えるぐらいのことしかできない。失敗をすればむしろ病を悪化させることもあるそうだ。 「元々はこちらの身から出た錆だ。受けるも受けないも君らの勝手だ」 ルードヴィヒが自虐気味に笑い、掛札をきつく握り締めた。 「いいんですか? 報復のつもりなら命を狙ってくることだって」 「構わないよ。そこで僕が死ぬならそれが天命ってヤツだ」 ルードヴィヒがからっと言い切り、再び試合を見やる。 「わかりました。金の冠を奪還…受けます」 「ありがとうね。情けないのはこっちだというのに。おっと負けてしまった」 話が終わると同時に試合が終了し、ルードヴィヒの掛札は違ったようだった。 「おれは勝ったよ」 「羨ましい限りで」 いつの間にか掛札を買っていたルシュカが勝ち誇り、ルードヴィヒが失笑する。 「カンダタはロマリア北西のシャンパーニ地方の灯台に潜伏している。健闘を祈るよ」 「―――はい」 アルトが頷くと同時に、寂しげにルードヴィヒが微笑んだ。
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