空が泣き出した。 旅をしているのだから晴天がいつまでも続くわけではなく、移動の最中に雨が降るということも間々ある。ぬかるんだ地面に足をとられまいと気をつけながら、先を急ぐ。 暗雲が唸り、獣の咆哮にも似た怒号が轟き、雲の狭間を駆け抜けた雷光が空を引き裂く。密やかに降り出した雨は瞬く間に激しい音を立てて豪雨となる。 ロマリア王都から北上し、山岳の中継地点カザーブを経由してシャンパーニ地方へと進むアルトたちはカザーブへと向かう道中暗雲と遭遇してしまった。旅人にとって雨は足止めや野宿に不都合が生じるものであるため、あまり好まれない。 音のある静けさとでも言えようか。雨音が騒音を遮り、少年たちの足音だけを響かせる。 こんな強い雨だ。魔物といえども巣で大人しく暗雲が過ぎ去るのを待っているんだろうか。その前にアルトたちもどこかで雨宿りをしないと体温が奪われ、体力を消耗し易い。そんな状況で、雨道を進むのは好ましいとはいえない状況だった。 雨の森を進んで、開けた場所に出る。 廃村のようだった。焼けた家があちこちに見えることから焼き討ちに合ってそれで逃げ出したのだろう。人の気配を確認できず、また村に住んでいる様子もまた見受けられない。出て行った家に入るのは少し気が引けるが、その中の家の一つに転がり込む。 「助かった…」 ほっとしたように、ルシュカがのんびりと言う。ここで暫く凌ぐことになりそうだった。アルトが外套を脱ぐと、足元に水滴が堕ちて石畳をびしょびしょに濡らす。 家を見渡せば壁のあちこちに亀裂が走り、手入れがされていないためか埃が舞っており、家具はあるが物取りに荒らされたような形跡がある。荒れ方からして放置されて大分経過しているようだった。 廃村の様子から見受けるに、ルードヴィヒが語っていた疫病の蔓延を防ぐために幾つかの村を焼き払わざるを得なかったと言っていたが、この村もそう言った事情で焼かれた村の一つなのだろうかと考えてしまう。 そんな少年の思惟を飲み込むように、雨音は激しくなっていった。 ぼんやりとした眼差しで、シエルが窓の向こうを見つめていた。 窓の向こうは焼き討ちにあったと思わしき、焼け跡が広がっていた。そこには喧騒があって、温もりがあったはずだ。それが今では人はいなくなり、その残滓だけが残され、崩れ落ちている。 「どうしたの?」 「あ、いえ」 シエルが声を掛けられ、はっとした面持ちでアルトへと向き直る。 「僧侶にはこんな時代で何が出来るのかなって、ふっと思ってしまって」 はにかむようにシエルが言い、そのまま続ける。 「人の人心を救うのは神であり、その教えであると思ってきました。それは今でも変わりません。乱れた時代だからこそ教えを守ることで救われるのだと信じてきました。けど」 そこから声に愁いを帯びてシエルが言いよどむ。 「時代の流れはわたしが考えてるよりずっと早くて………僧侶に出来ることなんて本当はとても少ないんじゃないかって、そう思えてきて」 そして、再び少女が視線を窓の先の廃墟へと向ける。雨に打たれた燃え滓が濡れ、雨の音となって反響している。 「出来ないことなんて無いよ」 アルトが告げて、シエルが驚いたように向き直る。 「出来ないことなんてない。僧侶として誰かのために祈ることだってその人のために心からそうすればきっと心にも届くんじゃないかな?」 「そう、でしょうか」 「そうだよ、きっと」 不安げな眼差しを向けるシエルに、アルトが優しく微笑みかける。 「わたしでも、できるでしょうか?」 「シエルだからこそ、できるんじゃないかな」 そうアルトが微笑んで告げて、シエルが照れたのかほんのりと頬を桃に染める。 「おい・・・」 「わかってる」 バーディネに促されるまでもなく、アルトも察知していた。人の気配だ。自分たち以外の。この建物の上からあるようだった。シエルとルシュカもまた、それに身構えて応じる。ここに迷い込んだだけの誰かかそれとも金品を狙った物取りか。 階段から降りて来たのは火球だった。部屋の中で燃え上がった炎が爆ぜ、石畳を吹き飛ばす。燃え上がらなかったところを見ると威嚇の意を感じ取ることができた。それでも炎と光が舞い上がるのと同時にそれ以上に派手に舞い上がった埃が視界を土色に染め上げ、器官に入り、アルトが軽く咳き込んでしまう。 それを防ぐために外套で口元を塞ぐ。その隙をついて離脱しようとした声の主が階段を駆け下りてくる。 「げほっげほっ、ちょっ待って。これはマジで勘弁」 大仰に噎せ返る女のものと思わしき声が聞こえていた。……術者はアルトたち以上に咳き込んでいたが。恐らく一気に離脱しようとして、一気に埃を吸い込んでしまったのだろう。ご愁傷様としかいえない光景だった。 「ちょっ、ちょっと休憩…!」 「あ、あの、お水どうぞ…」 「あ、ありがと」 口元に手を当てたシエルがおずおずと声の主に近づき、自分の水筒を手渡す。声の主が水筒を受け取り、勢い良く喉に流し込んだ。いい飲みっぷりだった。 「……はっ」 何かに気が付いたように声の主が硬直する。がくがくぶるぶると生まれたばかりの子鹿のように小刻みに震えだす。 「てっ、敵の施しを受けてしまった……!」 「あまりお気になさらずに〜」 「これはこれはどうもご丁寧に」 シエルが深々と頭を下げて、声の主も深々と礼をした。つかつかとバーディネが歩み寄り、喉元に短剣を当てる。 「なんなんだ、お前は」 鋭く睨み据えるようにバーディネが闖入者に問い質す。 完全に土埃が晴れ、視界がはっきりと見えるようになる。 そこにいたのは黒いローブに耳まで覆うほどの大きめなマジックハット、そこから覗かせる新緑のワンピースを纏った少女だった。橙色のセミロングに切り整えられた髪。顔立ちは整っていたがつんと釣り上がった大きな目と翡翠の瞳が魅力的な印象を与える。 「なんなんだ・・・・・・はこっちの台詞よ! 人が雨で休憩してたらずかずかと入り込んできて!」 バーディネの鋭い眼光を物ともせず、がーっと少女が喚き立てる。 「ここはお前の家じゃないだろ」 「そうだけど、女の子が一人でいることを大勢でずかずかと! あ、さっきは水ありがとね」 「どういたしまして」 さすがにシエルも呆気に取られたように少女を見る。喉元にバーディネが短剣を突きつけても、尚物怖じせず少女は態度を変えることをしなかった。 「ちょっと、これどけてよ」 頬を膨らませて、バーディネに抗議するが聞くつもりはない様子だ。この少女の素性が知らないため、警戒をするのも無理からぬことではあるが。 「どけてあげてくれない?」 見かねたアルトが、バーディネに言う。鋭い視線がアルトを射抜くがそれでも物怖じすることなく、アルトもバーディネを見つめる。 素性が知れない少女ではあるが、自分たちに仇成すつもりはないようだった。現に攻撃しようと思えば威嚇ではなく、こっちに直接攻撃の意思はないことはアルトにも信じられた。 「―――どうなってもしらないからな」 「ありがとう」 短剣を収め、一瞥代わりにアルトにバーディネが告げる。それにアルトが微笑む。 「大丈夫?」 「うん、ありがと」 尻餅をついたままの少女に、アルトが手を差し伸べる。それに掴まって埃を払いながら少女が立ち上がる。そのまま交錯した少女の翡翠の瞳に邪気はなく、敵意もなかった。 「君はどうしてここに?」 「雨宿り。あんたたちと一緒」 アルトの問い掛けに素っ気なく少女が言う。少女は北にある故郷へ帰る最中に雨が降って、この廃村で雨宿りをしていたが、その途中でアルトたちがこの家に入ってきたから敵と思い、臨戦態勢に移ったのだという。 「ごめん。驚かせて」 「いいのいいの。誤解だったんならそれで」 詫びを入れるアルトに少女がからからと笑う。 「あたしはメリッサ・カールフェルト。メリッサでいいよ」 「僕はアルティス・ヴァールハイト。こっちがシエル、ルシュカ、そしてバーディネ」 アルトが順々に紹介をしていく。バーディネだけはさっきのやり取りがあったためか、軽い睨み合いの状況になり、アルトが失笑する。警戒していたとは乱暴なことをしたのだから仕方がないとは言えるが。 「あんたたちはどうして北へ?」 「ギルドを通しての依頼。金の冠を奪還してほしいって」 ルシュカが言い、メリッサが意外そうな顔でアルトたちを見ていた。 「噂のあの盗賊? あの義賊の?」 「義賊?」 メリッサの口から出た新しい情報に、アルトたちが顔を見合わせる。ルードヴィヒは奪ったのはかつてロマリアに所属していた密偵が王宮を裏切り、金の冠を奪ったと言っていた。カンダタという盗賊はそれとは別の側面を持っているようだ。 メリッサが言うには、カンダタは義賊として名を知られ、悪徳な貴族や商人を狙って襲撃し、それで奪ったものを金品に代えて貧しい人々に分配しているのだと言う。 「粗暴だったとかあの王様言ってたけど、なんか訳がわからなくなるな」 ルシュカが顔を顰めて、頭をかく。 「いい人なのでしょうか?」 「わからない……」 シエルが顔を曇らせて、アルトが横に顔を振る。 「気にするな。それがどんなヤツだろうと依頼はきっちりこなす。それが冒険者だ」 戸惑うアルトたちに、バーディネがぴしゃりと言う。王国で処理し切れなかった罪人を討伐するのもまた依頼では良くあることだと語る。それがどんな人間であろうとも。 「あんたたち、あのカンダタと戦うの?」 「うん」 返答を聞いた後に、唇に指を当ててメリッサが暫し思案をし、 「だったら、あたしも一緒に同行させてくれない? 報酬はいらないからさ」 と、あっけらかんとした口調で提案してきた。 「報酬がいらない?」 「そう、いらない。カンダタが奪った財宝に探してるものがあるか確認したいだけだしさ」 訝しげに彼女を見つめるバーディネだったが、事情を詮索するつもりはなかったらしく、それ以上は聞かなかった。 「攻撃呪文の使い手はあんたたちの中にいないでしょ。あたしは魔法使いだし、いたら役立つと思うけど」 そういうとメリッサがにやりと笑った。 確かにアルトたちには、攻撃呪文を使える存在が不在なのは事実だ。回復呪文の専門としてシエルがいるが、彼女に加えて攻撃呪文の使い手が加われば心強いのは確かだった。 僧侶が呪文をマナが引き起こす奇跡として信仰するのに対して、魔法使いはマナで再現できる神秘として探求し、自身の手で生み出し、使役する。攻撃呪文や相手に対して力を弱めるなどといった呪文を操る。アルトやバーディネの剣戟に加えて、メリッサの攻撃呪文が加われば攻撃の枠も広がる。 「わかったよ。一緒に行こう」 「え、本当に?」 「探し物があるんなら一緒に探したほうが効率がいいし、それに僕が力になりたいと思ったんだ」 アルトがメリッサに告げて、微笑む。 それが何よりも彼女と一緒に行動したいと思った理由だった。アルトが気になったのは笑みを浮かべているが、彼女の眼差しが真剣な光を湛えていたのがわかった。何かの事情があって、それを真剣に探しているのなら……。 「よろしくなっ」 「よろしくお願いしますね。メリッサさん」 「え、あ、うん、よ、よろしく。あたしのことはメリッサでいいよ。堅苦しいの苦手だし」 「はい、メリッサ」 シエルが微笑み、ルシュカがにっと笑いかけて、メリッサが照れくさそうに視線を逸らす。 「あんまり、素性の知れない人間を信用しすぎるなよ」 釘を指すように、バーディネが言い、横目でアルトがバーディネを見つめる。 「メリッサは大丈夫だよ。悪い子じゃないよ」 「人を頭から信じすぎると痛い目を見るぞ」 「それでもいいよ。何度裏切られたって、それ以上に人を信じたいって、そう思えるから」 何も言わずに、バーディネが擦れ違う。その姿を見てアルトが拳を握り締める。 バーディネの言わんとしている事もわからないではないことだ。世の中の人間が皆、信じられる人間ばかりとは限らない。だが、それでもアルトは人を信じていきたい。出会う人を皆、最初から疑ってかかるのは悲しすぎることだから。
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