波涛の音が幾重にも反響し、緩やかに消えていく。
 空を舞う海鳥たちが泣き声で存在を知らせ、彼らが飛び交う空は鉛色の空でいつ、空が鳴きだすとも知れぬ暗雲に染められていた。

 海岸の絶壁にその塔は聳え立っていた。行き交う船を照らす灯台としての役目をかつては担っていたのであろうが、それが忘れられて久しいことは寂寞とした雰囲気と長い間雨風に晒され、かつては赤々とした煉瓦だったものが赤茶色に変色していことからわかる。長い年月を経過しても尚、海を見守るその姿は雄々しく、悠然としていた。

 ここがシャンパーニの塔と呼ばれる、金の冠を盗んだカンダタがアジトにしている場所だ。
 確かにここならば人の記憶から忘れ去られ、ロマリア地方の西端に位置するここならば追撃から逃れ、身を隠すにはうってつけの場所といえる。

 そんな賊たちの居城をアルトたちは少し離れた場所から見守る。
 メリッサが合流してから約二週間余り。ロマリア北部の山脈地帯であるカザーブ地方を西へと進み、緩やかな湿地帯が続くシャンパーニ地方を西へと歩みを進めて、漸く辿り着くことが出来た。

「カンダタって奴らいるみたいだよ」
 ルシュカが双眼鏡で見つめ、双眼鏡をアルトが受け取って確認する。数匹かの馬が止められているどこかに出ているのであれば馬でわかることから、当人たちは今日はどこかに盗みに出ずに塔にいるのだろう。金の冠を奪還するだけなのだから、不在なのが好ましかったが仕方がない。
 アルトが気を引き締めて、肺の空気を入れ替える。一戦は避けられないかもしれない。相手はロマリアの密偵として腕利きであったとルードヴィヒが言っていた。決して油断のならない強敵だ。

「アルト君」
「どうしたの?」
 シエルに声を掛けられて、アルトがびくりと強張りながら視線を向ける。

「い、いえ、緊張しているようでしたので」
 アルトの反応でシエルも驚いたように答える。
「そういえば俺たちにとってみればこれがこのパーティでやる初任務になるな」
 のんびりとアルトたちを見渡しながらルシュカが告げる。魔王討伐と宝珠奪還の任を受けているがそれはあくまで勇者としての使命でのことだ。一冒険者としてギルドを通じての任務はこれが初めて経験することだ。

「ふぇ? そうなの?」
「この面子ではな」
 目をぱちくりとしながらメリッサが驚いて見せ、バーディネがそれに同意する。

「緊張しているのはわかりますけど、もう少し肩の力を抜きましょう。盗賊さんたちは手強いかもしれませんけど、もしかしたら話せばわかってくださるかもしれませんし」
 シエルが緊張したアルトの手を両手で包み込むように、握る。ほんのりと伝わる彼女の体温にどきりとしながらまじまじとアルトが見つめ、それに応えてシエルが微笑む。

「そう、だね」
 アルトもまた微笑みを返して、頷く。
 今からそう強張る必要もないのかもしれない。それに相手は義賊で知られている。話し合いで解決できる望みだってまだあるのだ。
 相手の強大さに尻込みをしていたのかもしれない。そんな自分の弱気を絞り出すようにアルトが頬を叩く。

 脳裏に過ぎるかつての兄の姿。その姿はどんな強大な存在にだって怯むことはなかった。その姿が勇者であるというのならそれを自分自身と重ね合わせ、アルトが一歩を踏み出した。
 何故ならば―――今は、自分が勇者の称号を継いだのだから。



 硬質な石畳を踏む音が反響する。アルトたちが塔を歩く音以外は時折何かの虫が蠢く音が耳に入るぐらいで、他の生き物はいないようだった。魔物でさえも。
 曇り空で日が射さないためか、全体的に薄暗くそれが薄気味の悪さを強く感じさせる。まだ日が堕ちる時間帯ではなく、普段使用されない場所であるのか通路のあちこちにある蝋燭が灯されてはいなかった。がたがたと小さい窓を揺さぶる強風が何かの生き物の呻き声に似ていた。それが塔の不気味さを煽り立てる。

 塔に侵入してから誰とも遭遇していない。塔内には見張りがいるだろうと予想されたが、その予測は外れていた。奇襲の気を窺っているものとも考えられるが、そんな気配もないらしい。
 どれほどこの塔を上ってきたのか。順調にここまで来たがバーディネが言うにはまだまだ塔の上層に差し掛かった部分ぐらいだという。後少しだけ、頂上まであるということだ。

「まだ、あるのか」
 うんざりしたようにルシュカが告げる。息を切らして、立ち止まる。ルシュカはロマリアで買い揃えた鉄の槍を背負っている。一般的な兵士が好むもので、重さもかなりあるものだろう。
 ここまで盗賊一味との遭遇はない。ここまで彼らと遭遇していない。見張りなども含めて見かけていないことから盗賊たちはもっと上の階層に潜んでいるのだろう。先はまだまだ長そうだ。

「何この程度でへばってるのよ」
「仕方ないだろ」
 呆れ混じりにメリッサが胸を張って、それに息も絶え絶えにルシュカが反論する。

「そろそろどこかで休憩しませんか? まだまだ先は長そうですし」
「お、さすがシエル。気が利くね。どっかの誰かと違って!」
「何よぅ。体力のないそっちが悪いんでしょ!」
 言い合うルシュカとメリッサの二人に、シエルが失笑しながら見ていた。

「僕もそろそろ休憩したほうがいいと思うけど」
 アルトが言い、先頭を歩くバーディネに呼びかける。バーディネがアルトたちを一瞥し、向き直る。
「そうだな。この後に、何があるかわからないしな」
 意外にもバーディネが賛同した。それにアルトが驚きを隠せずに、表情に出してしまうも、バーディネはあまり気には止めていないようだった。

「…? どうした」
「ん、いや、なんでもないよ」
「変なヤツだな」
 驚くアルトに対して、バーディネが肩を竦めた。彼ならばもっと先に進むべきだと反論されるものと思っていたアルトには意外であった。


 この階層を進んだ先に、開けた広間があった。四方を見渡せ、視界を阻むものといえば塔を支える二対の巨大な柱のみ。
 だが、そこには、

「なんだ!? 貴様らは?」
 黄昏色した甲冑を纏った騎士たちが待ち構えていた。奥に見える上層へと続く階段。その先が彼らのアジトであるのは間違いない。
 彼らが剣を抜くより早く、バーディネが駆けた。一瞬のことだった。瞬きをする頃には敵の懐を掻い潜って、甲冑の間隙を縫って短剣を振るっていた。見張りは微動だにすることなくその場に崩れ落ちた。

「こ、殺したのか?」
「違う。殺してはいない」
 ルシュカに応じ、バーディネが倒れ伏した見張りたちに一瞥もくれることなく告げる。見れば確かにまだ呼吸をして、生きている。気絶させただけで、命を奪うつもりはなかったようでアルトが安堵する。

「先に行くんじゃないのか」
 鋭い眼光に促され、アルトがバーディネを見やる。

「ありがとう。でも」
「でも、なんだ。こいつらは紛れもなく悪党だ。義賊を気取っちゃいるがその影で何人もの人間を泣かせてきた連中だ。覚悟を決めろ」
 反論する言葉も浮かばず、翻したバーディネの背中をアルトが見つめる。躊躇いを……人と戦うことにアルトが惑っている。誰かを傷つけることに迷いを抱いている。
 義賊で、彼らに救われた者がいる一方で、彼らに泣かれた者もまたいる。だからこそロマリアの王宮は彼らの討伐をギルドに依頼したのだから。

「アルト君…」
「大丈夫。大丈夫だから」
 呼びかけたシエルの真紅の瞳は心配を湛えていた。それにアルトが自分に言い聞かせるように、言葉を返す。胸元の外套を握り締め、短く深呼吸して気持ちを落ち着ける。アルトがシエルに笑顔を作り、外套を翻して、階段で待っていたバーディネの後に続いた。

 階段を駆け上がったその先には宝物庫と居間が合わさったような金銀財宝所狭しと並んだ部屋であった。
 そこにいたのは下にいたのと同じ金色の甲冑の騎士が複数と、黒装束を身に纏った銀髪の化粧っけのない女性、そしてまるで玉座に座るかのように悠然とソファーに座り込んだ黒装束に身を包んだ、漆黒の覆面をした人間だった。
 ぎらつく眼光が少年を見据えている。見つめる眼差しにはまだ何の感情も込められていない。だが、その威圧感は間違いなくアルトの背筋を冷たくさせる。滲み出る殺気だけで人を殺せそうにも思える。

「あなたが、カンダタですか?」
「何だテメェら?」
 不愉快そうに少年を見つめる男の声は低く耳朶を打つ。ドスのある声が男の凄みを何倍にも増幅させる。それに負けじとアルトもまた彼を見据える。

「金の冠を返してくれませんか…?」
 カンダタがくつくつと笑い始める。

「ってことはつまりロマリアから冠奪還で差し向けられた奴らか。金に目が眩んだ馬鹿ってことか。返せと言われてあれだけのもんだ。はい、そうですかと返すわきゃねえだろ」
「その通りだな」
 バーディネが同意して駆ける。銀の一閃がカンダタに閃くが、傍らで控えていたもの一人の漆黒の覆面が同じく短剣で切り払う。刃と刃が悲鳴を上げあって鍔迫り合いになる。

「ふん……短気な野郎だ。だが、お前のような奴は嫌いじゃない」
「金の冠とやらを置いて、さっさと逃げ出せば命は奪わないでおいてやる」
「生意気なガキは早死にするぞ!!」

 覆面の下から怒号が飛び、バーディネと鍔迫り合いをしていたもう一人が軽やかにカンダタの背面に跳躍する。カンダタが足元のタイルを深く踏み抜く。
 アルトの足元に石畳の感触が喪失し、浮遊感に襲われる。アルトたちがすぐ下の階層まで叩き落される。アルトが咄嗟にシエルを抱きかかえて、そのまま地面に着地する。足に痺れるような痛みを伴うが、すぐさま消えて彼女を地面に下ろす。

「ありがとうございます」
「なんであたしは放置しとくのよ!?」
 シエルが頬をほんのりと染めながら頭を小さく下げるのを見て、メリッサががあ、と喚く。尻餅をついたままのメリッサがジト目になって涙目になっていた。

「わ、ご、ごめん!?」
 咄嗟にアルトがわたわたとしながら謝る。アルトが手を差し伸べて、それに掴まってメリッサが立ち上がる。
「女っぽさの差じゃないのー?」
「何ですってー!?」
 茶化すルシュカにメリッサががあ、と喚く。

 和みかけた空気も一時も一瞬で終わり、上から金色の甲冑たちと横にいた黒装束の片割れが下に駆け下りてくる。それに気を引き締め直してそれぞれが武器を握り締め、すぐさま臨戦態勢となる。
 追撃に来たのか、それとも確実に仕留める為に来たのか。どちらにせよ、地の利を知り尽くしている盗賊たちに優位な状況は変わらない。

 階段を阻まれた形となり、カンダタの元へと行くにも、宝物庫に行く為にも彼らを退けなければならない。短く一呼吸をして、アルトがきつく剣を握り締める。人と人との戦い、制する為の戦い。どのような形であれ依頼であれ、誰かを傷つけて事を成す―――。

 誰かを守るために、誰かの笑顔のために強くなる。
 最後まで果敢であり続けた背中が、その生き様を示した。それを、そう在りたいと願うのであれば。  後ろにいる仲間たちを守るために剣を振るう。誰かを傷つけるための戦いではなく、仲間を傷つけるために戦う覚悟。

 アルトが一息を付いて、敵を見つめる。
 敵は四人。宝物庫でカンダタの傍に控えていたように、腹心なのだろう。バーディネの先制攻撃を止めた所を見る限り、相当な手誰であるのは間違いない。黒装束が攻撃の要になり、甲冑たちがその守りとして固まっているのだろう。

 畳み掛けるように彼らが駆け下りてくる。硬質な足音がじゃらじゃらとけたたましく反響し、豪快な槍の一閃がアルトの胸元へと放たれ、アルトが鋼の剣で弾く。生じた火花を間を擦り抜けて、もう一人が槍での一閃を放ち、崩れた体勢のまま無防備に穿たれんとした瞬間。鋼の槍がそれを弾く。

 ルシュカだった。得意げにへへんと笑った後に槍を弾き、予期しなかった邪魔に今度は相手の体制が崩れて、アルトが腹部に蹴りを放って、甲冑を一人吹っ飛ばす。壁に叩きつけられ、勢い良く頭を打ったためか甲冑はそのまま気絶したようだった。
 安堵しかけたその瞬間にルシュカが殴り飛ばされて、派手な土煙が舞う。黒装束の中から切れ長の茶色い瞳がアルトを捉え、握られた小太刀が襲い掛かる。それを阻んだのはバーディネだった。

 刃と刃が悲鳴を上げあい、鋭いアメジストの瞳が敵だけを見据える。一際甲高い金属の音が反響し、二人が距離を取る。
 バーディネが駆け出して、握り締めた聖なるナイフが虚空に幾重もの銀の軌跡を生み出しては火花を弾けさせる。紅の華がそこにあった断末魔の叫びのように剣戟が噛み合う。
 幾度目かの切り結びあい弾かれた後にバーディネが真っ直ぐに胸元を穿たんと突きを放つ。剣筋は読まれていたのか再び剣で弾かれようとしていた。

 だが、そうはならなかった。空ぶった黒装束の剣は空を切り、その間隙を縫って腹部に突きを放つ。咄嗟に後ろに短く飛び傷を軽減させる。バーディネが空かさず外套を相手の目の前で靡かせて、視界を遮りその隙に黒装束の胸元に銀の一閃が煌く。
 アルトの蒼い眼差しがバーディネの戦いを見つめる。手誰であろうあの黒装束にも匹敵する腕前。速さでは僅かに上かもしれない。アルトの眼差しでは捉え切れないほどの速度の剣の切れと、迅さ、そして巧みさだ。

 黒装束が後ろに跳び退り、抉られた傷を庇う様に地面に膝を付いた。それをバーディネが感情を込めずに見つめる。彼がやられたからか残った二人の甲冑も狼狽しているようだった。

「情けねえ。こんなガキどもに」
 上から響いた低く野太い声が耳朶を打つ。同じく黒装束に身を包んだ巨躯が広間に降り立った。




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