黒い装束に身を包み、黒の頭巾から覗かせる眼差しで男が見渡す。 上へと続く大理石の階段を降り、小山の如く巨躯がアルトたちの前に立ち塞がる。 アルトが息を呑む。背筋を冷たいナイフがなぞられたような怜悧な感覚が襲い、いつの間にかに汗が吹き出す。目の前に立つ巨漢が体躯の二倍にも、三倍にも大きく映る。この巨漢が視線を逸らすことが出来ない。それだけ圧倒的な存在感を感じさせる。 そんなアルトのことなど、歯牙にもかけずに倒れ伏した仲間たちに一瞥していた。 「まだ敵はガキじゃねえか。油断でもしたのか」 カンダタは呆れ混じりに、嘆息していた。大袈裟に肩を竦めて見せて、バーディネと交戦していた黒装束が立ち上がる。 その瞬間に、切り裂かれた頭巾が落ちて素顔を覗かせる。青銀の髪、琥珀色の瞳をした女性だった。怜悧な美貌ではあったが、表情というものを感じさせない。 「すまない」 「どうしたんだ。ガルベラ。お前らしくもない」 ガルベラと呼ばれた女性が視線を逸らして、カンダタが気に止めずアルトたちに視線を向ける。 「いいぜ。お前がそこまで追い詰められるってこたぁ中々出来るみたいじゃねえか」 カンダタが獰猛な笑みを浮かべて、アルトたちを見つめる。にやりと笑んだ顔は肉食獣のような顔だった。敵を値踏みし、己を満足させるだけの価値のある敵を見つけたと言わんばかりだ。 背中に背負った大斧をカンダタが持つ。アルトのような体躯であれば巨大なものでもカンダタの巨躯からすれば掌に収まる程度の大きさになってしまう。 「下がってな。ここからは俺だけで十分だ」 カンダタが阻むように前へ出て、カンダタの仲間たちはカンダタの背後に下がる。アルトが視線を逸らさずに、カンダタを見据えて柄をぎり、と強く握り締める。 「正直舐めてたのは俺の方か。こんなぼうやがここまでやるとは思わなかったぜ」 「もう一度だけ、言います」 アルトが強く、言う。青い瞳に目の前に立つ巨漢を見据えて、言葉を紡ぐ。強い意志を持って、それを言葉という形で、意思を発する。 「金の冠を置いて、引いてください」 「そいつはぁ、できねえなァ」 愚問とばかりにカンダタがアルトの意思を一蹴する。アルトもまたそれを聞いて、覚悟を決める。言葉で相手に届かないのであれば戦う。戦って取り戻すのみ。カンダタが上に羽織った黒装束を脱ぎ、半裸になる。ぎらぎらした目に闘争本能が迸る。 臨戦態勢に入り、アルトの横を銀の旋風が吹き抜ける。バーディネだった。言葉が終わるのと同時に弾けた疾風がカンダタに襲いかかる。迅き銀の一閃が弾き返される。暴風の如く斧の一撃に阻まれて先制攻撃は失敗した。 派手な土煙をあげて吹き飛ばされたバーディネがアメジストの瞳でカンダタの姿を睨み据える。短い舌打ちと共に再び短剣を構える。 「先手必勝ってか。その心がけは嫌いじゃねえ」 カンダタが軽薄な笑みを浮かべ、バーディネを見つめる。 「その思い切りの良さ。修羅場は潜ってきてるらしいな。なるほど、こんなのが相手だったらガルベラが遅れを取ったのも納得がいく」 言葉が区切ると同時に、踏み込んだアルトの一閃を斧で受け止めて広間に甲高い金属の悲鳴が反響する。がちがちと刃が噛み合い、鍔迫り合いになる。 重い。 打ち込まれたカンダタではなく、アルトが自身が弾かれそうになり、足に全霊の力を込めて、その場に留まる。 手から伝わる感覚は鋼鉄の塊に、剣を打ち据えたような―――カンダタの身体はその場から微動だにすることなく、易々と斧で受け止めていた。 覆面越しに伝わる眼差しは熱と殺気を帯び、ただ単純にこの状況を、戦いを楽しんでいるようだった。一際甲高い音が弾けると刃と刃が擦れ合って紅の華が生じる。残滓もなくあっさりと消えた華を惜しむ間も無く、大気ごと薙ぎ払うカンダタの一撃が放たれる。 それにアルトが微かに足に力を込めて、飛び退って空間そのものを吹き飛ばす暴風が薙がれた。続けて二撃。逆袈裟からに続いて、唐竹から直下で振り下ろさんとしていた。 渾身の力を込めて、剣を真上に振り上げてアルトが受け止める。 押し潰されそうになる。そのまま潰されそうになりながらも、歯を食い縛って、その足に全ての力を込めて踏み止まる。一瞬でも気を抜けば、剣諸共押しつぶされそうになる……重圧に負けじと押し留まる。足に込めていた力をそのまま腕へ、豪腕から放たれた斧を弾く。 弾いた剣で斬りかからんとするも、斧で弾き返される。そのまま幾つもの剣戟が響いて、繰り返される。 がむしゃらだった。ただひたすら前へ前へと突き進むより他なかった。そんなことは、カンダタもわかりきっていたことだった。カンダタは攻めるのに必死なアルトととは違い、戦いを楽しむ余裕があるようだった。 腕に小さな風の刃が閃き、斧の刃に当たる。 続け様にアルトの横を地を這いずる焔が迸り、カンダタを焼き払う。咄嗟の攻撃にカンダタもたじろぎ、その隙にアルトが距離を取る。 「大丈夫ですか?」 おずおずとシエルが尋ねて、にこりと微笑んだ。 「あんなとこでぼやぼやしてんじゃないわよ」 むすっとした面持ちで、呆れ混じりにメリッサが言う。 彼女たちが呪文にてサポートしてくれたお陰らしい。それにアルトが感謝を抱く。 メリッサが氷の刃を指先から生じさせ、解き放つがカンダタは意にも返さず弾き落とし、援護にもならない。今度はシエルがルカニを唱え、白い霧がカンダタを包み込むがやはりカンダタには無意味だった。 バーディネの短剣での一突きがカンダタの額を狙うが、かすることすらなかった。 カンダタがバーディネの足を引っ掛け、体勢を崩そうとするがバーディネが上に跳躍。カンダタの顔面に蹴りを叩き込もうとするが足を?まれ、地面へと叩きつけられ、バーディネが呻き声をあげるが激痛に悶える瞬間すらなく跳ね起きて、追撃をかけるカンダタの一撃を避ける。 鋭い眼光でバーディネが射抜き、その眼光を真っ向から受け止めてくつくつとカンダタが渇いた笑みを浮かべる。肩に斧を乗せて、とんとんと軽く叩き始める。 「他はともかく中々楽しめる腕のようだな、テメェは」 お世辞抜きではなく賞賛を向けるが、バーディネは気にも留めず黙したままだ。 「腕も立つ、肝も据わってる。修羅場も潜ってきてる。だがな」 カンダタの笑みを消す。 「お前では俺に勝てない」 「戯言はそれだけか」 渇いた眼差しで告げられた言葉を、バーディネが短く一蹴する。真っ直ぐに敵を見据える眼差しに映っていたのは敵意のみだった。動揺もなく、侮蔑された怒りもなく、ただ敵を排除すべき存在として敵意を向けていた。 バーディネが踏み込む。 疾風の如き迅さで、目にも止まらぬ連撃で攻め立てるもののカンダタの余裕は崩れない。バーディネの攻撃を着実に捌いている。 どれほどの攻防を繰り返しても決め手にならない。 それはバーディネも百も承知だろう。次第に彼の表情にも焦りが浮かび始める。 アルトたちが援護しようにも、彼の迅さについていけずかえって足を引っ張りかねないことになる。長い間世界を旅し、様々な戦いを経てきたバーディネと比較してアルト、シエル、ルシュカの三人は旅を始めてからまだ一月が経った程度。同じく旅慣れたメリッサにしても出会ってからまだ日数は経っていないし、連携を取れるほど以心伝心で行動できるわけではない。 つまりはまだ、ばらばらなのだ。 パーティが纏まり切らず、それぞれが個々での判断で動くしかない。そのため、連携が乱れてそれぞれに隙が生じ易くなってしまうのだ。 まだまだ勇者として未熟を思い知らされる。アルトの心に悔しさが溢れ、強く拳を握り締める。 ただ、何も出来ずに―――。 アルトが顔を上げる。 その藍の瞳に映るのは、たった一人で戦うバーディネの姿だった。暴風の如く斧を掻い潜りながらも一人ぼっちで戦う『仲間』の姿。 彼でも一人で戦うのであれば体力にも限界が来る。動きに精細さがかけていき、それが垣間見えた一瞬、振り下ろされた斧が轟く。 それを見たアルトの身体は、まだ未熟だと感じる心を無視して動き出す。剣を握り締めて、大気すら引き裂いて石畳すら粉砕する一撃を受け止め、全身が軋んだ叫びを上げる。アルトはそれを無視して歯を食い縛る。腕に全ての力を込めて、斧を弾く。 「お前……」 「まだ、まだ僕じゃ冒険者として、勇者として全然だけど」 アルトがバーディネに向き直り、息も絶え絶えだけれども真っ直ぐにアメジストの瞳を見つめ、告げた。 「でも、放っておけない。バーディネに任せて、戦うことを押し付けたりなんか、できない」 まだ、肩を並べて戦うには、全然遠いのかもしれない。それでもアルトには出来なかった。 目の前で誰かが傷つき、血を流して戦っているというのに自分は見ているだけというのは出来なかった。 真っ直ぐに敵に視線を向けて、剣をきつく握り締める。バーディネの前に立ち塞がるように立つ。冷たいものがアルトを貫く。自分を射抜く眼光。殺意、敵意、その全てを受け止めて毅然と足に力を込める。その藍の瞳に敵だけを映して、剣を構える。 「馬鹿、無理をするんじゃない」 軽く頭を小突かれて、アルトがきょとんとした面持ちでバーディネを見つめる。 「俺はお前に守られるためにここにいるんじゃない。共に戦うためだ。気張るな。馬鹿」 バーディネも体勢を立て直して、再び短剣をきつく握る。 「行くぞ」 「…うん」 促されて、アルトが頷きを返す。弾かれたように駆け出す。 バーディネが踏み込んで、敵との距離を詰める。カンダタが大振りに暴風の如く一閃を薙ぎ、それをバーディネが掻い潜る。その大振りとなった一撃の生じた隙にアルトが踏み込む。 敵の距離を踏み込んでアルトが唐竹から剣を振り下ろす。それにカンダタが身体を翻して受け止める。身体を吹き飛ばされそうになる衝撃に耐えて、歯を食い縛る。バーディネが跳躍して、アルトを踏み台にする。そのまま、頭部に突き立てる。それをカンダタが頭を倒して避けるが、頭巾が切り裂かれる。怯んだ隙をついて、アルトが斧を弾く。 頭巾から覗いたカンダタの素顔は赤茶色の髪と髭の壮年の男だった。厳つい顔を歪めてアルトとバーディネを見つめていた。 「くそっ……ガキ共がァ!!!」 怒りのままに突進する巨躯。感情を暴発させたような地面諸共アルトたちを粉砕しかねない一撃を振り下ろす。 それを受け止めて、アルトも歯を食い縛る。全身の骨が砕かれ、気を抜けば斧に剣諸共粉砕されてしまいそうになる。全てを飲み込む重圧に負けじと全身全霊の力をその腕に込める。するとアルトの身体を青の光が包み込んで、鎧となる。 「スクルトよ。あいつを弱体化させらんないならあんたたちを強化したほうがいいってね」 メリッサが全体での守護呪文スクルトを詠唱していたからだった。守備の力を増強させる力に包まれた少年はカンダタの怪力にも負けじの防御力を会得し、踏み止まる。 「俺を忘れるなよ」 アルトの横を潜り抜けて、バーディネが突っ込んでくる。回避が間に合わず、バーディネの全身の力を込めた蹴りをカンダタは腹部で食らうこととなった。揺るがなかった巨躯が怯み、揺らぐ。 揺らいだ瞬間にアルトがまた踏み込む。 顔を歪めたまま、カンダタが反応する。右から薙がれた斧の一閃。それをアルトが自身の眼で映す。仲間が作ってくれた一瞬。信頼を託された一撃。それを込めてただ目の前の巨躯を見据え、剣を握り締める。 応えたい。みんなが自分を見ている。かつてアルトが見据えた勇者の姿のように。恐怖。暴力。嫌悪。そのすべての感情を自身から絞り出して、ただただ前へ前へと足を突き動かす。 虚空に一閃が煌き、軌跡をなぞる。アルトの刃はカンダタの斧を弾き飛ばした。 時間が止まる。呆気に取られたようにカンダタがアルトを見つめて、弧を描いた斧が地面に突き刺さる音で我に返ったようだった。 「くそっ、俺はまだ」 「やめなさい。あなたの負けよ」 カンダタを静止したのはガルベラと呼ばれた女性だった。歯軋りをしてカンダタが視線を逸らす。それを見たガルベラがアルトに歩み寄る。 「あなたが欲しいものはこれね」 ガルベラが黄金の……宝石で装飾された冠を差し出す。 「はい、そうです」 「ちょい待ち」 受け取ろうとしたアルトを止めて、先にルシュカが金の冠を取る。呆然としたままのアルトを差し置いて、あちこちを触ったり見たりしていた。それから納得したのかアルトにぽん、と手渡す。 「確かにこれは本物だ。間違いないよ」 渡されたのが偽者でないか目利きしてくれていたのだろう。確かに、依頼された品物が本物かどうか確認するのは冒険者としては無理からぬことだ。 「こいつらをどうするかだが」 カンダタたちを見据えて、バーディネが言う。 「当然、ロマリア王宮で裁いてもらうしかないでしょ」 「ま、負けちまったからな。どうしようもない」 メリッサの言に、カンダタがからからと笑って同意した。彼のしたことは元々が王宮に仕える密偵だった身分で、国宝の金の冠を強奪した。国家反逆であることも鑑みて下される判決は重罪なのは間違いないだろう。 「どうして、こんなことを」 アルトがカンダタを見据えて、尋ねる。諦めたようにカンダタが肩を竦めてみせた。 「そいつぁ、俺が密偵だったからだ。手を汚すのはいつも俺だった。それを気に止めたこともなく、ただ王宮の言われるがまま命じられるがまま事を成すだけだった」 語ってて思い出したのかカンダタが目を細めて見せた。国に命じられるがまま、そのことに何ら迷いも抱かず任務を遂行してきた。ある時、下された任務で彼らは見てしまった。死病の流行で感染拡大を防ぐためにカンダタたち密偵は村を焼き払っていった。子供も老人も構わずに情報の真偽も確認せず、その掌にこびり付いた灰を見つめたときにふとカンダタの心に何かが蘇った。 結局安寧を守られていたのは豊かな身分の人間のみ。貧しき身分、村、集落は切り捨てられ、貧富の糧にあるしかないのだと感じたときに自身が貫いてきた義に影が差した。 国のためでもなく、弱者のためでもなく……今まで自分が守っていたものがただ豊かさを貪る者たちの安定でしかなかったとしたら。そう心に過ぎった時に今までの忠誠心が砂となって消えていき、カンダタの心にかつての自分と忠義を尽くしてきたロマリアに怒りが満ちていった。 「金の冠を奪ったのは、せめてもの、復讐ってヤツだ」 弱く、カンダタが笑った。ささやかでも反抗を挫かれた……そんな自分に対しての自虐もあっただろう。 「だが、俺はお前らに負けた。好きにしな」 諦め混じりだったがカンダタの顔は真っ直ぐに少年たちを見ていた。やり方は間違っていたとしても、初めて弱者のために戦った。豊かさというものに戦いを挑んだ。その痛みを知っている男だと、弱者を思いやれる痛みを知っているのなら。 「僕が受けた任は……金の冠を奪還することだけです」 「おい、こいつが言ったのはでまかせかもしれないぞ。油断させて逃げ出すための口実かもな」 バーディネが口を挟み、許そうとしたアルトを咎める。 「そうかもしれない。でも、どういう理由であれ、弱い人のために戦える人を僕は裁くなんて出来ない。それは僕のエゴだけど……それでも」 アルトも毅然とバーディネの視線を受け止めて、己の我を貫く。 カンダタの眼差しには嘘偽りはなく、熱があったからだった。己を偽り、誤魔化す人間には感じられない確固したものがなければ……こうして語ることなんて出来ない。間違いで傷つけられた人間もいる。心に秘めた熱が本当のものであるのならその償いの為にも、カンダタは生き続けていかなくてはならない。 今までの間違い、信じていたものをひっくるめて背負っていかねば、意味を成さないのだから。 「お前は……」 アルトを見上げて、何かとても眩しいものを見たように、カンダタが瞳孔を狭める。 「お前の名は……!?」 「―――アルティス・ヴァールハイト」 アルトの名を聞いた瞬間に、カンダタが動揺の色を見せて、その後に得心が言ったように乾いた笑いを見せた。 「カンダタさん。生きてください。生きて、今度は間違ったやり方ではなくて、胸を張って言える方法で弱い人たちのために戦ってください。あなたなら、それが出来るはずです。自分にとって都合のいいものだけでなくて、間違いそのものと戦える人のはずです」 アルトがカンダタに対して告げる。少年の顔を唖然とした面持ちでカンダタが見つめた後、カンダタの顔が歪んでいき、失笑を漏らした後、眩しいものを見上げたかのように目を細め、片手で顔を覆う。 「俺を倒したヤツの言葉なら従わねえわけにはいかねえ……叶わんわ全く」 そう告げたカンダタの顔はどこか晴れやかであった。それにアルトが微笑みを返した。 「お前って奴は……」 バーディネが嘆息して、アルトを見つめる。 「いいじゃない。悪い人じゃなかったんだし。カンダタさんならきっとやり直せるはずだよ」 「お前が底抜けにお人よしなのはもう諦めるしかないか」 「それが僕だから」 冗談で彼が告げた言葉に、アルトも笑みを返した。 「それがお前なら仕方ないか―――アルティス」 「…うん」 呼ばれた名に、呆気に取られた後、アルトが頷いた。
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