ロマリア首都部とシャンパーニ地方の境に、ちょうどロマリア国土の中心とも言える山岳地帯がある。 山岳に守られるようにして、その盆地にカザーブという村があった。 酪農、牧畜が盛んなこの村はコクのある上質なチーズを首都へと提供し、重宝されている。のんびりと酪農に励む人々の活気に満ちたゆっくりとした時間が流れる村だった。 ちょうどロマリアの中心地にあり、南部の首都部、西部のシャンパーニ地方、北部のノアニール地方、そこから東の北方大陸の小国家郡を繋ぐ交通の要所として栄えていた場所だった。 「売ったらどれくらいの価値になるものか…」 カザーブ村の片隅にある酒場のテーブルででかでかと置かれた黄金の冠を見て、メリッサが感嘆していた。 「だっ、ダメです! これはロマリア王家に伝わる精霊たちからの信頼の証としての由緒あるものなのですから売ったりしたらダメです!」 「冗談だってば」 わたわたとして焦るシエルに、手をひらひらとさせてメリッサが失笑する。 「それに価値のあるもの過ぎてたぶん売れないわ」 ルシュカがのんびりという通り、国宝級の代物故にその辺の商店や質屋などでは買い取ることも出来ないだろう。こんな話をしているアルトたちも十分罰当たりと言えばそうだが。 時刻は昼過ぎ、時間が時間だから人気のほとんどないランプがぼんやりと照らす店内に置いて、煌びやかに光を放つ目の前に置かれた金の冠をアルトもまじまじと見つめる。 「どうしたんですか?」 「あ、うん」 そんなアルトの視線に気が付いたシエルが小首を傾げて尋ねる。それにアルトが少し視線を落としてはにかんでみせる。 「このパーティで初めて依頼を成功させたんだな、って今になって思えてきたんだ」 ルードヴィヒから依頼された任務を成功させたその感慨が今になって、アルトの胸に押し寄せてきた。勇者となって傷つきながらも金の冠の奪還に成功し、無事に依頼を達成できた。 仲間たちも誰も命を落とすことなく、皆無事で。旅慣れた冒険者にとってみれば当たり前のことかもしれないが、アルトにとって心を満たすだけの喜びを感じずにはいられなかった。 「まあ、上出来なんじゃない?」 あっけらかんと言うメリッサ。 「そうですね。皆無事に、戻ることが出来ました」 朗らかにシエルが同意し、笑顔になった。 「お前はほんとに大したヤツだよ。カンダタたちもやっつけたし」 「え…わっ」 ルシュカがアルトの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫で、アルトが呆気に取られてルシュカを見る。 「幸先はいいし、これからも前途良好って感じ?」 「調子のいいヤツ」 呆れ声で、メリッサがぶすっと言う。 「ああ、そうだ」 何か思い出したのか、ばん、とメリッサが手を机に叩きつけて、ばっと立ち上がる。 物静かだった店内に唐突に物音がしたものだからアルトたちも、店のマスターも、少ない客たちもメリッサに視線を注ぐ。注がれる視線が照れくさいのか頬を朱に染めてそそくさと座り、大き目のマジックハットで視線を隠したメリッサだった。 「ど、どうしたの?」 急に立ち上がったメリッサに驚きつつ、アルトがおずおずと聞く。 「忘れてた……故郷に帰る途中だった」 「本来の目的を忘れるなよ」 「うっさい!」 半眼で見るバーディネに、メリッサががあ、と吼える。 「メリッサの故郷はここから近いのでしょうか」 「あ、うん。ここから北に行ったとこなんだけど」 話を戻すかのようにシエルが尋ねて、それにメリッサが答える。 メリッサの故郷はカザーブから北へと向かった場所にある小さな村なのだという。カザーブからもそう遠くないらしい。それになぜか目を輝かせていたのはシエルだった。 「ロマリア北部は保護地域に指定されていまして、聖域があるそうなんです。一度この目で見てみたかったんです」 「そんなにいい場所じゃないわよ。流通は滞ってるし、首都まで遠いし、田舎だし」 対照的に憮然とした面持ちだったのはメリッサだった。確かに、慣れた地元民からすると見慣れているだけで、よくある美化するほど田舎は綺麗でもないし、外部から来た人間ほど新鮮さはないのだろう。 暫し、メリッサが唇に指を当てて、考え込む仕草を見せた後、おもむろに告げる。 「あんたたちがいいんなら案内するけど?」 「本当ですか!?」 がしぃ、と力強くシエルが誰よりも早くメリッサの手を取って、きらきらと目を輝かせて見つめる。眩しすぎるほどに、シエルが生き生きとしておられた。 僧侶としては、聖地は巡礼しておきたいと考えるのは無理からぬことではあるのだがシエルの目の輝きは巡礼者のそれではなく、純粋な興味以上のものを感じた。 「痛い痛い痛いってば」 「あ、ご、ごめんなさい…」 手を強く握られて痛がるメリッサに、顔中真っ赤にしてシエルが慌てた様子で手を離す。 どうしたものかと考えながらも、アルトの視界に金の冠が目に入る。本来ならば依頼された品を早く依頼主に返すのを優先させるべきかとも思える。 「いいんじゃないか、別に」 意外にも、同意したのはバーディネだった。 「期限を指定されたわけでもなし、寄り道したって問題ないだろ」 「ううん……そう、なのかな」 今一煮え切らないながらも、アルトが小首を傾げる。確かにルードヴィヒから期限は指定されておらず、金の冠を急いでロマリアに持ち帰る事情が訳でもないのは事実だった。 「じゃあ、案内をお願いしてもいい?」 「りょーかい」 メリッサが案内を快諾する。それにまたがっしりと力強くシエルが手を握る。 「是非」 そんなシエルに、メリッサもさすがに失笑していた。 夜の帳が落ちる。 盆地にあるカザーブの村を闇が包み込み、カーテンの隙間から漏れる家々の灯りが村を照らす。 村の南部の小さな宿屋で適当に雑談をして、食事をした。後はそれぞれでの自由行動。就寝は自分で時間を決めればいいだけだ。 アルトは村の中央の小さな泉に来ていた。泉の青空の青を映すはずの水面は漆黒を映し、鏡面にまん丸の月が泉の中心に映し出されていた。 対岸にはっきりと民家の灯りが見え、カザーブが泉の恩恵で生活をし繁栄してきたのだと窺える。場所は問題ではなく、ただ足の赴くままに歩を進めていたらここに辿り付いたと言うだけだ。ただ単に眠れないだけだった。足が重さを感じる程度には肉体に疲れがあるし、立っているのもなんだしでアルトがほとりに座り込む。 自分自身の掌を見つめる。 初めて……困っている誰かの依頼を受けて、冒険者として人を助けた。この掌に残る剣戟の感触を確かめてアルトがそっと掌を握り締める。 耳にまだ響いている。剣戟の音が響いている。剣と剣が打ち合って、命を削り合う音が耳の奥で木霊している。 その感覚を噛み締めるようにして掌をきつく握り直した。 今回の依頼を振り返ってまだまだだなあ、とアルトは自分自身の未熟を感じる。 カンダタたちとの戦いではどうにかパーティを纏められたが、バーディネに負担がかかっているのは事実だ。 共に戦えているがそれだけだ。まだまだそれぞれの連携は覚束ない部分は多いだろうし、呪文による攻撃、援護も活かしきれていないのが現状だ。それは全てアルトの未熟が招いていることだ。 旅が始まったばかり。 やがて来る困難に立ち向かえるだけの力量を磨いておかなければならないのだと痛感すると同時に、先の長さを感じていた。 アルトがごろんとその場に寝転がる。夜空には一面に広がる星空が少年の眼に広がる。それに目を奪われて、言葉も浮かばずに、ただ見つめる。 空が近い。 少年の今の気持ちをも包み込んで、空は果てなく雄大だった。星空はどこまでも眩しく、暖かく、冷たく少年を包む。 「アルト君」 背後から耳朶を打った声の方へと、視線を向けるとシエルがそこに立っていた。半身を起こして、シエルを見上げる。 「シエルこそどうしたの」 「アルト君が、宿から出るのを見かけたので着いてきちゃいました」 シエルがはにかむような笑みを浮かべた。 妙な安堵が感じさせる微笑みだった。シエルがアルトの隣に座り込む。シエルもどうやら眠れなかったらしく、読書の最中でアルトを窓から見かけたとのことだった。 「眼鏡つけっぱなしだしね」 「あっ」 アルトが指摘して、指で目を触ってからシエルもそれにきがついたようで、頬をうっすらと紅に染め、顔を膝に埋める。 「アルト君、意地悪です」 うーっと唸った後、上目遣いで見るシエルに、アルトが失笑する。 「眠れないんですか?」 夜の湖畔を視界に向けて、アルトが頷く。 「勇者としてまだまだだなって、感じて」 「まだまだ…ですか」 同意して、アルトがまた小さく頷く。まだまだだろう。父や兄のような憧憬を抱いた姿と同じになるのには。 半人前の勇者……冒険者として駆け出しのアルトにとってはその程度のものだろう。それを自身で痛感せざるを得なかった。 「もっとがんばらないと。だって今は僕が勇者だし」 アルトが淡く微笑む。 まだまだ続く旅路。 これから先にある困難。それに挫けないように、足を取られないように、これからも前を見て、自分の意思で歩き続けていく。 憧憬を抱く姿に少しでも近づけるようにと願いながら、アルトが立ち上がり、空を仰ぐ。見上げた星空が少年に応えたかのように煌きを増した気がした。 掌に柔らかな温もりを感じた。シエルがアルトの手を握り締めていた。 「…シエル?」 「あ、ええと」 頬を朱に染めて、大地を見るシエルの指から力が抜ける。それでも小さくも確かなもので少年の掌を握り、アルトの掌から微かな温もりが緩やかに伝わる。 「な、なんでもないです」 シエルがか細い声で言葉を区切って、紅い瞳で真摯な眼差しを少年に向ける。 「でも、アルト君はアルト君のままでいてくださいね」 「大丈夫だよ、きっと」 はい、とシエルが小さく頷くとその手を引いて、アルトが座る。にっこりと笑って頷くと、シエルもはい、と頷きを返した後優しく微笑みかけてくれた。 「そういえば」 何か思いついたように、シエルがぽん、と手を叩く。 「久しぶりにアルト君の横笛、聞きたいです」 「うん、わかった」 アルトが頷いて、久々に銀の横笛を取り出す。 手入れは小まめにしている。だが、こうして銀の横笛と向き合うのはどれくらいぶりであろうか。それだけの、それだけの時間がもう流れてしまったという感慨が押し寄せる。自身の掌を暫し見つめてから横笛に口をつける。 星空の下に、涼やかな音が響き渡る。明るい音色が反響して星へと溶けゆく。奏でる音色にアルトの心境を反映させるが如くにどこか力強く他者に勇気を与え、それでいてなぜか悲しさを感じさせる……そんな音色だった。
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