複雑な影を成した木々の枝の下の緩やかな道を踏み締めて歩く。
 歩き続けるのは緑の海の中だった。ロマリアの北部に延々と続く森の海はどこまでも広大で果てしない終わりなき森を歩き続ける。適度に時期としては夏の前。熱すぎず、寒すぎずの適度な気候でここらで暮らすには過ごし易いだろう。
 どれほどの時間が経過したか、メリッサがぱたぱたと小走りでアルトたちの前に戻ってくる。

「通っていいって」
「あの人たちはロマリアに仕える兵士の方々でしょうか」
 小首を傾げるシエルの視線の先に、甲冑に身を包んだ兵士たちがいた。

 各国の首都から派遣された衛兵たちが田舎の村を守護をしている…という光景はさして珍しくはない。しかし、それにしてもただの小さな村程度にしては鉄の甲冑に身を包み、ロマリアの騎士が愛好するホーリーランスとただの村の守衛にしては重装備に見える。
 派遣されている衛兵にしても一人二人ではなく、そこそこの大部隊が守護しているようだった。

「どういう村なんだ。ここは」
「すぐにわかるわよ」
 尋ねるバーディネに、素っ気なくメリッサが言い深々と被った帽子で視線を隠す。

 村の入り口を潜ると村の全体像が目に飛び込んできた。
 アルトは目を見張った。
 本来ならば太陽が真上から日を照らす時間ならば、活気で満ちているはずだ。仕事をする人や昼食で休憩をする人、井戸端会議に華を咲かせる主婦たち、遊び疲れて昼食で家に帰る子供など…生命の活気に包まれている時間に何一つ物音がすることがなかった。

 否、時間そのものが静止していた。
 刻まれる秒針そのものが刹那で静止してしまったかのようだった。生者の気配がなく、寂寞さすら感じられる商店街、通り、全てにおいて生物だけが切り取られたように存在しなかった。
 村そのものが眠っていた。

「行くよ」
 意に返さず、メリッサが歩み始め、遅れまいとアルトたちも続く。
 村の中を進み続けるが、やはりその最中でも時折哨戒中の衛兵と擦れ違うだけで、村人たちとは誰とも擦れ違うことはない。まるで村の地形だけを複製した村を守護しているのだと言われればそれだけで納得してしまいそうだ。

 もぬけの殻になった村をメリッサの案内で歩く。
 そのメリッサといえば口を開くことはなかった。話しかけても上の空で、返ってくる返答は生返事のみでアルトたちに話しかける様子すらない。
 村から少し離れた民家の前で立ち止まる。それにメリッサが手をかけてノックをして、在宅を確認する。
 ドアから出てきたのは壮年の男性だった。初老の年を迎えているであろうが体躯はがっしりとして屈強そうにも見え、老いというものを感じさせない。

「おお、おかえり。メリッサ」
「ただいま。お爺ちゃん」
 ここに来て初めてメリッサが笑顔を見せる。老人の視線は自然と背後のアルトたちへと向く。軽くメリッサがアルトたちを紹介して家の中に入る。

 案内されたのは、居間というよりは書庫だった。
 雑多に本が散らかっているのではなく、綺麗に整頓されてきっちりと本棚に収納されている。本棚に囲まれた部屋の中心の机とソファーに座るように薦められ、好意に甘える。

「ようこそ、ノアニールの村へ。文字通り何もないとこだが歓迎しますよ」
「ありがとうございます」

 老人が弱く笑むと老人はイェンスと名乗った。アルトは一応リーダー(みたいなもの)だからと無理にソファーに座らされ、残りの仲間は床に座ったり、本棚に背を預けたりしていた。メリッサだけはイェンスの隣に座っている。

「あの、」
 控えめに、シエルが手をあげる。イェンスが続きを促して、続きを言うまいか戸惑いを見せたシエルが小さく頷く。

「この村に、何故軍の方々が待機しておられるのでしょうか」
「言っちゃ悪いがここは小さな村だ。ロマリア軍が直に守るほどのものとは思えないが」

 シエルに続けて、バーディネが述べた。
 それは、ロマリア軍がこの村で待機している理由とノアニール内に誰もいなかった理由と何か相互関係があるのであろうか。
 確かに魔族の脅威はロマリアも例外ではないが、それでもこの村にいるほどの理由とは到底思えなかった。

「なんだ、説明してなかったのか」
「うっ」

 咎めるようにイェンスが見て、メリッサが苦虫を噛み潰した顔になる。それから一際大きな溜息をついた後にずっと被っていた大きなマジックハットを脱ぐ。
 ずっと行動を共にしていたが、メリッサが帽子を脱いだ瞬間を見た覚えがない。シエルを一瞥するが、大きく顔を横に振っていたことから見たことがないのだろう。
 帽子を脱いで、うなじを掻き分ける。そこから覗く耳元は、小さく尖っていた。

「じっ、じろじろ見ないでよ」
 頬を紅く染めて、慌ててメリッサがマジックハットを被り直した。みんな、言葉を失う。メリッサが視線を落としたまま、言葉を紡いだ。

「父が人間、母がエルフ。つまり、あたしはハーフエルフってわけ」
 自虐気味にメリッサが告げ、笑った。

 エルフとは神々の眷属とも称される人の高位種族だ。人が呪文を手繰る源であるマナを人よりも鋭敏に感じ取れ、寿命もざっと人間の十倍は生きる。外見の特徴は尖った耳と透き通るような白い肌。穢れなき森……つまりマナが蓄積し易い場所でなければ生きることができないらしい。ノアニールより更に西部に彼らが住まう森があるらしい。

 メリッサのようなハーフエルフは人間と交わることで生まれる子供のことだ。人間と勾配することでその力が失われてしまうのか、並みの人間よりかは呪文を操る才に長けるがそれでもエルフには及ばず、寿命も人並みでしかない。受け継がれるのは尖った耳だけ、とのことだ

「あんまり好きじゃないんだけどね。この耳。目立つし」
 だからメリッサは深く帽子を被って、耳を目立たないように隠しているのだとか。

「このノアニールは眠らされているの。エルフたちの呪いによって」
「呪い? ……眠り?」
 アルトが尋ねて、深くメリッサが同意する。

「ここからは私が語ろう」
 イェンスが口を挟み、アルトたちを一人一人見つめてからゆっくりと口を開く。

 このロマリアは古くから宗教と政治が一対になっていた。それは侵攻が厚いという理由もあったがそれ以上に神の眷属であるエルフたちの加護があったからだ。
 それ故にエルフたちの守護をロマリア王宮が担っていたが、人とエルフは互いに不可侵を古来から貫いてきた。それがあるべき形で、そうなっているのが自然な形だったからだ。

 しかし、ある時にその戒律は破られることになる。
 一人の青年が不可侵の聖域に踏み込んでしまった。ロマリア北部の小さな村の一つであるノアニール村の出身で、何の変哲もないこの村にも自警のための青年団が存在し、そこに在籍した青年だった。

 見回りで村の近辺を哨戒していた最中に魔物と遭遇し、深手を負いつつも撃退した。
 重傷を負ったまま、村に戻る気力もなかった青年の前に一人の少女が姿を現す。少女の懸命な手当によって一命を取りとめた青年だったが、その少女はエルフであった。

 この時に互いにもう惹かれ合っていた。その後、人目を忍んで愛を育んでいった二人だがある時に、青年の行動を不審に思った他の青年団により露見し、イェンスもまたその時で一部始終を知ることとなった。
 イェンスは青年を批難した。その青年は村長であったイェンスの息子で、更に少女ともこの時、対面することになる。

 更に二つの事実が判明する。少女はエルフを束ねる女王の娘であることと、少女の胎内には既に次の命が宿っていたことだった。

 その後、間も無く少女は聖域に引き戻され、青年と二度と会うことは出来なくなった。もしくは許されなかった。
 村に聖域からの使者が現れて、青年に生まれた子供を突きつけ、去っていった。少女のその後を語らずに。
 ほどなくして、青年は、村から、いなくなった。

 聖域へと向かったと直感したイェンスは子供を抱えて、聖域へと赴いた。禁じられていると、戒律を乱すことを承知で向かった。
 異変はその時に起こり、ノアニールの村中の人が眠らされた。聖域にて事情を問うが、少女もまたいなくなっていた。エルフの秘宝の夢見るルビーを持ち去って青年と少女は二人でいなくなっていた。生まれたばかりの…

「あたしだけ置いて」
 メリッサの目は乾いていた。

「あの、その後、村の人たちはどうされたのでしょうか」
「あの後、ロマリア王宮まで行って、前の陛下に事情を説明した。それで派遣された衛兵の方たちと協力して村の人たちを家のベッドに寝かせたよ。さすがに外に放置しておくわけにはいかないからね」
 そうですか、と言った後に安堵した様な微笑みをシエルが浮かべていた。

「それで、メリッサの両親はどうなったんですか?」
「わからない。あの後、私なりに捜索してみたのだが結局二人は見つからなかった」

 アルトの問い掛けに大振りにイェンスが頭を横に振って、アルトもまた表情を曇らせる。
 まだ赤子のメリッサだけ残して、どこかへと消えた二人。
 この二人がどれだけ愛し合っていたか、子供を置いて蒸発するほどの絶望をどれだけ感じていたかなどアルトには想像の範疇でしかわからないだろう。

 それでも、子供を置いて自分たちだけがいなくなったことに何かしらの違和感のようなものを感じずにはいられなかった。幾ら傷心の中と言えど生まれたばかりの子供を置いていなくなるだろうか。周りの誰にも事情を話さずに消えるだろうか。話しのどこかにある不協和音。それがアルトの心に響く。




「どうするかを、決めるのはお前だ」
 心根を見透かしたように、バーディネが口を挟む。鋭い眼差しがアルトを見据えて、促していた。それにアルトの口元がふっと緩んで、頷く。

「そうだね。そうだよ」
 どこかで納得がし切れないものがある。
 きっとこの村が、旅の仲間の一人のメリッサが悲しみで満たされているから。それはアルトにとって行動理由に足るだけの条件だった。そこに躊躇う余地など、なかった。

「あの、エルフの聖域はどこにあるんですか?」
 おずおずと、だがはっきりとアルトがイェンスの瞳を見つめて言い切る。アルトの表情と眼差しを見て、少しだけイェンスが驚きを見せたが、思案げな顔になる。

「エルフたちの聖域は、この村からずっと西へと向かった場所にある、広大な森の中にある。しかし、何故」
「ええと、うまくは言えないんですけど」
 理由を問われ、アルトが言葉を僅かに濁す。それではにかむような笑顔を浮かべる。

「ノアニールの村が何年も眠らされてて、メリッサの両親の話を聞いて―――僕自身がそうしたいから、っていうのが理由です」

 目の前で誰かが苦しみ、悲しんでいるのに、見て見ぬ振りをして旅を続けることなど出来ない。キリがなくとも、とても小さなことでも、偽善でしかなくても、誰かの嘆きは少年の心を振るわせる。
 損得で言えば、無きに等しい。こんな小さな村での理不尽など今の世では多々あるだろう。それでもアルトは放っておくことなど出来なかった。

「不思議な男だな。君は」
「そう…でしょうか」

 告げられてアルトが問い返す。そんなアルトの様子を穏やかに微笑みながらイェンスが頷いて見せた。不思議と称されたのは初めてのことだったため、驚いた。
 しかし、仲間たちは妙に納得したような顔をしていて、余計にアルトが疑問を深めたのだった。そんなに自分は不思議なのだろうかとすっきりしないものを感じて、首を傾げたのだった。アルト当人は納得し辛いものがあるのだが。

「でも、放っとけないのよね」
 ほにゃ、っと朗らかにメリッサが失笑していた。
「それがアルト君のいいところだと思います」
「そうかなあ…」

 シエルがぽん、と両手を合わせた。フォローはしてくれたが、釈然としないままアルトがまたイェンスと視線を合わせた。

「不思議と信頼を預けることは出来るようだ」
 イェンスがアルトの手を取って、堅く握る。掌から伝わる力は微力なものであったが、がっしりと?まれたしわがれた手には確かな誠意が宿っていた。

「なんとか、やってみます」
 その手をアルトが取って、アルトが頷きを返す。
 託されたものを、確かめるようにしてその手を硬く握り締めた。




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