森が深くなっていく。
 柔らかな日の光に照らされた道から、西へと歩んでいく程に緑が濃くなっていく。鬱蒼とした森は、空からの日を完全に遮り、寂寞とした空気を感じさせた。

 空気が澄んでいる。生活臭や土の匂いといったものが一切しない。俗世から完全に隔離された……一つの独立した世界だった。森が深くなって行く度に、生物や魔物の気配とも遠くなっていく。清浄さを感じるのと同時に踏み入るのを畏れ多くも感じられる。

 どれだけ歩いたか、メリッサが立ち止まる。
「ここ、空気が止まってる」
 辺りを見渡してから、メリッサがゆっくりと恐る恐る手を伸ばす。何かに弾かれたように指を引っ込める。指先に激痛が走ったのか、指先を自身の指先をまじまじと見つめていた。

「どうしたんだよ?」
「ここに何かある」
「何も見当たらないけど」
 ルシュカが辺りを見渡すが、確かに木々が連なっているだけで、異常なものなどなかった。

「いや、確かにおかしいといえばそうかもな」
 バーディネが口を挟んで、同じく辺りを見渡す。

「同じところを歩かされているな」
「森の中ですし、風景が似ているとかそういうのではなくて…ですか?」

 ああ、と尋ねたシエルにバーディネが同意して、頷いた。盗賊というトレジャーハントに優れた職についているバーディネが言うのだから、気付かない内に同じところを歩かされているのは間違いないだろう。その原因は何なのかという疑問は残る。

「結界、ね」
「結界……?」
 エルフたちが外敵、もしくは人間の侵入を防ぐために張り巡らせたのであろう。メリッサが指で、虚空をなぞる。そこには壁があるようにぐにゃりと指先の軌跡を描いて、歪む。

「わたしには何かあるような感覚ぐらいしか…」
 同じ様に、シエルが手を伸ばすがメリッサと違って、虚空がぐにゃりと歪む。僧侶として力量を磨いているシエルが指でなぞった部分のみがたわんで見える。そうなると、確かにそこに何かあるような気がしてきた。

「メリッサはたぶん、半分エルフの血筋を引いてるから、じゃないかな」
 アルトも同じ様に、虚空を切るがやはり何もなかった。となると結界が反応しているのはメリッサに流れるエルフの血筋に反応しているのではないだろうか。
 結界は本来はエルフとそれ以外の種族を判別するために張られたためと推測できる。それがハーフエルフであるために中途半端に反応を示しているのだろう。

「やっぱり、あたしはどっちつかずなのね」
 帽子を深く被り直して、メリッサが視線を隠す。人であるアルトたちがそこを触っても何も感じられず、メリッサだけが結界に反応を示した。

「まあ、これで場所がわかったし、これでよし!ってことでいいんじゃない?」
 顔を上げるとぱ、っと表情を変えてメリッサがにこっと笑った。

 すると、辺りに異変が起こり、道が開ける。
 空間が歪んでいく。木々に覆われた獣道から一変して、人の手によって開拓された理路整然とした道へと姿を変える。そこに屈強な体つきをしたエルフの青年兵士がアルトたちが見つめていた。
 すぐにわかった。その目に歓迎の意など微塵もなく、不快感と警戒心が既に滲み出ていた。歓迎はされていないが、来いということなのだろうか。

 特にその敵意とも呼べそうな眼差しを特に向けていたのが、メリッサだった。そんなエルフたちの視線に気付いているのか、帽子で視線を隠したままだった。
 兵士の一人に促されて、アルトたちも歩き始めた。

 歓迎されていないままに、アルトたちが里を歩き始める。
 木々に囲まれた場所だった。天さえも覆う大樹の枝は幾重にも重なって雨水を遮る天蓋であった。エルフはその恩恵の元、木々の下に小さな木で作られた民家の元で暮らしていた。
 集落の中心には小さな泉が湧き出ており、これを水源としているのか。水の恩恵の元、生活基盤を構築しているのは人間となんら変わりがない。

 見た目もそれほど変化がない。言われるとおりに確かにエルフたちは透き通るような純白の肌を持ち、つんと尖った耳、新緑の髪、そして人のものとは明らかに違う浮世離れした美貌を持っている。だが、それほどアルトは自分たちと差異があるとは思えなかった。
 時折、集落に住まう人々と視線が合うことがある。視線が合った瞬間に、彼らの表情や視線に不審や不快といったものが現れる。まるで異形が紛れ込んできたかのような、そんな目だ。

 そんな眼差しが特に集中していたのがメリッサだ。集落中から彼女を排斥したくて仕方がないという悪意が降り注いでいるようだ。人と交わって生まれたハーフエルフ。それは彼らからすれば汚点であり、エルフの身でありながら人に汚されたという禁忌の象徴とでも言いたげであった。

「大丈夫、ですか?」
「あ、うん、あたしは平気。慣れっこだし」

 心配げに小走りで隣に駆け寄ったシエルに対して、視線を隠したままメリッサが応じた。それきり言葉は途絶えた。シエルも何かを喋ろうとするのだが言葉になることはなかった。
 あまり長時間、ここに止まるわけにはいかないようだ。種として、集団としてこのわだかまりは根付いているようだった。

 注がれる軽蔑、種と種との間に息づく不審。
 その中を掻い潜って、兵士が立ち止まってここで待つように促される。案内されたのは集落の最奥にある王座であった。

 程なくして姿を現した浮世離れしたエルフたちの中でも一際怜悧な美貌を持つ美人であった。真紅のドレスに身を包み、頭に金色にしているサークレットが権力者であることを示している。睥睨する様にアルトたちを見下ろし、案内をした兵士たちは膝を付いた。
 見下ろす視線に、親愛の情など微塵も感じられない。背筋を貫く冷徹な眼光に負けじとアルトがその視線を見据えて、一礼をする。跪き、視線を下に下ろす。

「よくこの里にいらっしゃいました。この里にはどういう用件で参られたのでしょうか」
 何の感情も込めずに、女王の言葉が紡がれる。

「ノアニールの村の、呪いを解いていただけないでしょうか」
 単刀直入にアルトが用件を告げる。眉を動かすことなく、ただアルトを見下ろしている。微動だにもせず、感情を動かすこともまたなかった。

「ああ。あの村の呪いを解けと、あなた方は言うのでしょうか。あの村が我らエルフという種にどれだけの仕打ちをしたかは?」
「存じています。お嬢様とノアニールの青年団の男性が揃っていなくなったと話を聞いております」
「その通りです」
 頷いて、女王が肯定する。今まで冷たく無表情だった眼差しに初めて何かしらの感情が宿った気がした。それはアルトたちに向けられたものであり、そうとは言い切れない種としての憤怒を感じた。

「その昔、私の娘のアンは愚かにも人間の男を愛してしまったのです。そしてエルフにとって掛け替えのない秘宝である夢見るルビーを持って、男の所へと行ったまま帰ってきません」
「だが、ここではなく別の場所で幸せになっているとも考えられるが」
「所詮、エルフと人間、騙されたに決まっています」
 バーディネが口を挟み、可能性を示唆するがそれを女王が一蹴する。

「例え、そうだとしても自身の子を置いていくとは考えられません」
 言葉の矛先がメリッサに向き、メリッサもまた何一つ反応を示すことなくただ跪いているだけであった。
 それを告げられると、何の反論もない。
 我が子を置いて、どこかへと駆け落ちはしないだろう。するにしてもまず連れて行くと考えるのが道理だ。

「騙されたとわかり、戻ることすら出来ずに途方にくれているでしょう。可愛そうなアン…」
 女王の目に僅かだが、憂いが篭る。
 我が子を心配し、戻らぬことを憂うのは為政者でも、エルフでも同じく当然の感情とも言えるがその憂いと怒りの矛先が向いたのが、ノアニールということなのだろう。
 青年を止められなかった時点で同罪と見なされたと言う事だ。娘を奪った咎は集団全体で支払えと、そうするのが当然だということなのだろう。

 女王の目は閉ざされていた。
 我が子を失った悲しみ、それを奪ったものへの憎しみ、それが晴れることなくがんじがらめになった感情で閉ざされた心―――。
 さっきからエルフの女王の視線は、メリッサへと向けられない。

 娘のアンが残した子に対して、何かしらの反応も示さず、まるで彼女の視線にそこにいないようにも感じられる。
 時の流れを認識できず、孫の姿を見ず、ただ失ったときだけをその虚ろな眼差しと閉じた心で立ち止まっている。氷の心は決して解れることはなく。

「あの、」
 アルトが顔を上げて、女王の乾いた瞳を見つめる。

「夢見るルビーをここに持ち帰れば、ノアニールの呪いを解いてくれますか?」
 失われて、ただその手に取り戻せる形あるもの。それは夢見るルビーだ。それはどこにあるかはわからないが、それを取り戻せれば。
 女王からの返答はなく、アルトを見つめるのみだった。それに気に留めず、アルトが口を開く。

 返答はなく、圧迫感が増す。無言だった。無言だったが、なにか喉にとげが刺さった感覚があった。見上げてみれば、女王が眉を吊り上げて、アルトを睨み据えていた。
 アルト、いや、人へと向けられた威圧と圧迫感を負けじとその渇いた視線を受け止める。渇きが唇を乾かし、威圧感のただ中に晒されていた。
 その視界には大切なものを奪ったものへの憎しみは見えていても、大切なものが残したものへの慈しみは見えていない気がしていた。

「下がりなさい」
 ぴしゃりと、怒気を込めてアルトたちに宣告した。

 アルトが口を開こうとするが、肩を叩かれてはっと後ろを振り向くと、バーディネが引き時だと視線で告げていた。アルトが言葉を飲み込んで、頷いた。
 ここは下がるしかなかった。ここで食い下がっても、状況は悪くなるのみだった。



 差し込む日が紅色をしていた。空を橙色に染め上げた夕日は森の影を濃くし、輪郭を薄めていく。
 とぼとぼと途方に暮れた足取りで森の中を歩いていたが今日はここで歩みを止めて、野宿の準備に取り掛かる。適度に乾燥した木の枝を集めて、メラで燃やして焚き火が赤々と燃え上がる。

「晩ごはんにしましょう。おなかが空いてると考えも暗くなりがちになりますし」
「お、賛成」
 ルシュカがいそいそとシエルの提案に賛成し、鍋を囲む。水を入れ、保存用の野菜で茹でたスープと乾燥パンでの簡素なものだったが、胃袋を満たすには十分だった。

「……ごめんね」
 ぼそっと、メリッサが小声で呟く。
「あたしのせいで、嫌な思いさせて」
 絞り出すような声でメリッサに謝罪をされて、アルトたちが顔を見合わせる。

「どうしてメリッサが謝るの」
「だって…」
 何かを言いよどんで、メリッサが裾をぎゅっと軽く握る。その手をシエルが包み込むように、上から握る。見上げたメリッサがシエルの目を一瞬だけ見るが、また視線が落ちていく。

「いつも、そう。あたしはいるだけで、面白がられたり、気持ち悪がられたりする」
 大地にぽつりぽつりと雫が滴って、濡れていく。メリッサの目から溢れ出た涙はとめどなく、堰を切って溢れ出した。

「あたしは、居場所はどこにもなかった。どこまで行っても、人と違う。違うから遠ざけられる。いつまでもひとりぼっち」
 苦しそうだった。どこまでも追いすがる孤独が、メリッサを隔離する。人とエルフ、そのどちらでもなく、どちらの側につくこともない。
 その中間。どっちにとっても半分な存在。それがハーフエルフ。

 人は無意識にしろ、他者が自分も同じであることを強いる。大多数でいることが安心するからだ。人生の孤独を紛らわして、一人ではないと思えるから。だから、少しでも特異なものは排斥される。それが自分のコミュニティを侵害するのが、怖いからだ。その侵害する他者との恐怖との戦いが人生ともいえる。

 沈黙が包み込んで、メリッサがごしごしと目蓋をこすって涙をごまかす。
 誰も、何もいえずにいた。否、何も言うことできなかった。彼女の心を切り裂いてきた心ないもの、その痛みを分かち合うことは、難しいことなのかもしれない。

「どこまでいっても、自分の居場所は今、自分が立っているとこが自分の居場所でしかない、と僕は思うんだ」
 その沈黙を裂いて、アルトが顔を上げる。

「今、あたしがいる場所?」
「うん…うまく言葉にできないけど、今いる場所でしか人は生きられない気がするんだ。それはたぶん誰も変わることはできないだろうしね」
 アルトが外套の裾を握り締める。それから少しだけはにかんで、続ける。

「自分が選んで、自分しか生きられない場所だもの。そこは誰かが決めた場所……じゃなくて」
「自分しか生きられない場所、ね」
 メリッサが顔を上げ、まじまじとアルトの顔を見つめる。

 誰も変われない場所で生きているのは、メリッサだけじゃなくてたぶん、自分も同じなのだろう。
 それでもそれが、自分が選択した、自分だけの生き方。そこで更にアルトは歩みを止めることはなく、歩み続けていく。
 自分を決められるのは自分だけ。それを定められるのもまた自分だけだ。どこまで行くか、どこまで進めるかは己で決めなければならないことなのだ。
 メリッサの目から涙は止まっていた。何かを噛み締めるようにして唇を噛んで、夜空を見上げていた。

「きっと、メリッサなら大丈夫だよ」
 アルトが微笑んで、頷く。

「うん、…なんとかやってみる」
 拭ったメリッサの眼差しには、熱が篭り、覚悟が宿っていた




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