種族の違う二人が駆け落ちをしていなくなった。我が子を置いたまま。それを止められなかったというエルフたちの怒りを買って、ノアニールは眠らされてしまった。
 これがアルトたちが聞いたノアニールの村の現在の情報だ。
 しかし僅かな違和感を心のどこかでアルトは感じていた。幾ら逃避行とはいえ、本当に愛し合っていたのならばイェンス老に預けたまま、行方を眩ますだろうか。これがどこかで棘となって、いまいちすっきりしない。

「気にしすぎなんじゃないの」
「そう、かな」
 朝の陽光に照らされて、森の舗装されていない獣道を歩く。
 砂利が大小転がって、地面もでこぼこしているためかかなり歩きにくい。アルト、ルシュカ、バーディネと男性陣三人で道をならしながら歩き、シエルとメリッサがその後ろから続く。

「まあ、引っ掛かりを覚えるのもわからなくはないがな」
 先頭を歩くバーディネが振り向かずに言う。
「ねえ、そもそも本当に駆け落ち、だったのかな」
 アルトが何気なく小声で、呟く。

 そもそも駆け落ちというのも推測での話でしかなく、逃げた彼らの姿を見た者はいない。ロマリア王都はポルトガ、アッサラーム間での流通は栄えているらしい。
 それだけ人の目に留まる場所で、見かけたという話は誰一人としてなかった。
 エルフと一緒ならばかなり目立ち、足取りの手掛かりはあるはずだ。それにエルフと奪われた秘宝を売るのが目的なら、まずアッサラームへと立ち寄るだろうとバーディネもそこは同意してくれた。

 だったら、二人はどこへ向かったのか。
 失意のまま、メリッサの両親はどこへと消えたのか。
 足取りが掴めない。
 この二人の足取りは誰も知らず、誰も見てない。そもそもこの二人はノアニールから離れたのかと疑わしくなるぐらいに手掛かりが全くなかった。

「ちょっと待て」
 バーディネが静止を促す。別段、魔物の気配があったわけでも、何か異常があったわけでもない。
「もしかしたら、俺達は思い違いをしてたのかもしれない」
「どういう、こと……?」
 ルシュカが聞くが、バーディネは僅かに視線を逸らして答えなかった。一瞬だけ塞ぎ込みがちになっているメリッサを見た気がした。

「辺りを見る。確認したいことができた」
 バーディネが立ち止まり、念じ、集中をする。バーディネの目は鷹の眼差しとなり、大空へと舞い上がる。
 盗賊が習得する鷹の目と呼ばれる距離を目測するための技術だ。遥かな大空へと自身の目を転写し、そこから周囲を見渡す。
 バーディネが何かを捉えたのか、集中が途切れて一度大きく目を瞑ってからゆっくりと目蓋を開く。

「洞窟のようなものがあった。もしかしたら」
 バーディネが何かを言いかけて、言葉を飲み込む。何か、嫌なものを感じ取り、そこから先を訪ねるのは憚られた。たった、一人を除いて。

「そこにいけば、お母さんとお父さんに会えるんでしょ」
 真剣な眼差しで、メリッサが見つめていた。バーディネは無言のままだったが、それで何かの覚悟がメリッサの中で決まったようだった。



 誰にも気付かれることがなかった、寂寞とした闇がどこまでも続いていた。
 ぼんやりとしたランタンの灯りが、人の手の入っていないこけが生えた天然の石壁が照らす。
 ほとんど岩をくり貫いて出来たと思われる空洞はどこまでも続く。底知れぬ深遠の底へと誘う闇の中にアルトたちの足音で反響する。闇の向こうにどこまでも響いて、音が吸い込まれていく。
 洞窟はどこか湿っぽく、バーディネの見立てでは地下水脈があるとのことだった。実際に、地面は少し湿っており、ちょろちょろと微弱に水が湧き出ていた。

 人の気配は一切しなかった。最近まで誰かがいたような形跡もなかった。
 だが魔物は生息していた。ランタンに照らされる灯りの向こうに大柄な犬らしき生き物が数匹、影を作る。前方から姿を現した、大型犬が肉が剥げ落ちゾンビ化したバリイトドッグが群れを作って襲い掛かってくる。

「焔よ目覚めよ、眩き光彩よ、煌け―――ギラ!」
 先制して、メリッサがギラを詠唱し、地を這う光が瞬いた後、閃光を放って炎上する。それに煽られて苦しむバリイトドッグを焼く。その隙にアルトとバーディネが接近し、引き裂く。倒れ伏した犬たちは瞬く間に大気に溶けるようにして消える。

 その後も洞窟を進む度に魔物が幾度となく姿を見せ、バリイトドッグや大きな紫色した笠のキノコの魔物のマタンゴが道を阻む。
 マタンゴたちが鼻腔に甘く眠りへと誘う息を吐いて、視界がぐらついて、頭がふわふわとしてくる。目蓋が急に重くなっていき、立つのも覚束なくなる。

「深遠から目覚めよ、怠惰の鎖を断ち切り、大いなる目蓋を解き放たん―――ザメハ!」
 シエルの声に弾かれるようにして、アルトたちの身体を覆いこんだ眠りは祓われる。しっかりと強く意思を持ってアルトが踏み込んでマタンゴに真一文字から打ち据える。裂かれ呻き声をあげて倒れ伏す。他のマタンゴもバーディネが倒したようだった。

「まるで魔物の巣だな」
 バーディネが汗を拭う。倒しても次から次へと現れる魔物はキリがなかった。大きく開けた場所に出たため、ここで少しだけ休憩にすることにした。アルトたちが足を止めた場所は湧き水が溜まり池となっていた。

「これ、飲めそうかな」
「やめとけ」
 ルシュカが指差し、バーディネが短く止める。
 湧き水は透明に近い水は純度が高く人が飲んでも支障はないが、濁った水は魔物たちの毒で汚染されているため、飲むことはできないとのことだった。この水は若干色が青々しく、濁っていた。

 持ち合わせた水筒でアルトが喉を潤す。だいぶ奥まで歩いてきた。時間の経過はわからないが、かなりの時間が経ったように思える。
「みんな、食べますか?」
 小ぶりな包みからサンドイッチが出てくる。シエルの手製のもので、在り合せの食材で作ったらしい。朝食の時に、長時間の探索を見越して用意していたらしい。この心遣いはありがたかった。

「いただくね」
「はい、いただいちゃってください」
 一つ、アルトが手を伸ばしてシエルが目を細めて微笑んだ。口に頬張り、しゃきしゃきしたレタスの食感とチーズの塩気がちょうどよく口の中に広がり、かなりの美味だった。
 ルシュカやバーディネも手に取り、胃を満足させているようだった。

「メリッサも、お一つどうですか?」
「あ、あたし…?」
 シエルが差し出したサンドイッチに戸惑いがちにメリッサがシエルの目を見る。躊躇いがちにおずおずとしながら、一つ手にとって口に頬張る。

「おいしい」
「あ、ありがとうございます」
 シエルが照れくさそうにはにかんだ。
 そんなシエルの様子を見て、ぎこちなくはあったがメリッサも少しだけ戸惑いながらも嬉しく思っているようだった。

「なんか、わからなくて」
 メリッサが視線を逸らしながら、小声で言う。
「わからない?」
「あたしが生まれた時から、ずっと村はあんなだったし。魔法使いの修行してるときも同年代の子たちは少なかったし」

 シエルが小首を傾げてメリッサの視線が自然と、下に落ちていく。
 物心付いた時からずっと、村の時間は静止していた。
 祖父のイェンス以外の人間は眠っていて、同じ時間を共有できず、同年代の友達もいなかった。本来ならあったはずの機会が当たり前のように、メリッサにはなかった。

 種族違いの愛。
 人と人、エルフとエルフ。二つの種族の間同士での間ならこんな問題にはならなかった。長い間、暗黙のうちに不可侵であった種族を越えた。戒律によって禁じられているのにも拘らず。
 その結果として罰は当人たち以外に下り、メリッサは同年代から孤立し、戒律を重んじるエルフたちには白眼視されたままということになってしまった。

 こうして一緒に行動してることに、何も種族の差などなかった。
 おいしいものを食べて美味しいと思ったり、美しい景色を見て美しいと思える感情に対してはなんら変わりなかった。ただ、それを受け取る人によってそれが変わるだけ。
 それだけで人は人に対する反応を幾らでも変える。好意も、敵意も、全て人が他者に対して優しくもなれれば、どこまでも残酷にだってなることが出来るのだから。

「あたしはあたしなりに、ノアニールの村をどうにかしたかったんだ」
「だから、魔法使いになったの?」
「ん…半分はエルフの血を引いてるんだし、他の人より適正は高いらしいし。だったらがんばれば解呪して、また村のみんなを元通りに出来るんじゃないかって思えたんだ」
 アルトの問いに、メリッサが頷きを返す。

 それで魔法使いの職を選んだ。ギルドで登録するために、修行地として学術都市ダーマでそれまで鍛錬してきた。ダーマで同年代で魔法使いを志願する子はそこそこいたが、友達よりもライバルでしかなかった。
 師は偏見にとらわれずに彼女を見ていた。人というコミュニティの中で、尖った耳を隠す癖をつけて人と距離を置いてきた。
 上辺だけの付き合い。ただその場だけの深く誰かを知ろうともすることがない輪は彼女にとって危なく、最も安心できた。

 メリッサは気に止めることなく、鍛錬を重ねて魔法使いを名乗ることを許された。
 ノアニールに戻るための期間、適度にロマリアやポルトガに向かう商隊の護衛を引き受けつつ行動し、そしてアルトたちと出会った。
 祖父の言いつけで耳を晒さなければ、ノアニールに行く前にカザーブで別れていたのならばきっとアルトたちは気付かず、そのまま過ごしていた。
 だが、何の因果かこうして拘わり、彼女の本当の心根を知れた。彼女なりにノアニールに決着をつけようと願っているのだと。

「わたしは、」
 おずおずとシエルが、真っ直ぐとメリッサの目を見つめて口を開く。
「メリッサと出会えて幸せだと思います。良かったって思えるから…」
「…みんなと違うんだよ。耳とか」
 メリッサが耳元を弄くって、そこからちらりと耳元が覗く。

「でもメリッサはメリッサじゃないですか。明るくて天真爛漫で……素敵な女の子だと思います」
「ばっ…!? こっ恥ずかしくなること言わないでよ!?」
 耳まで真っ赤にしたメリッサが、拗ねたように、照れたようにシエルから俯きがちに視線を逸らす。小さく聞き取れないぐらいの小声で、
「ありがとう」
 と呟いていた。


 洞窟の底は、地底湖だった。
 広大な空洞は大部分を水で覆われていた。ぼんやりとした光は生息したヒカリゴケによるもので、ランタンがなくても視界がわかる程度には明るかった。
 足場は螺旋の様に渦を巻き、湖の中心の小さな孤島へと伸びていた。僅かな地面にアルトたちが降り立つ。
 するとすぐ様に異変は起きた。シエルが口元を押さえて、その場に崩れ落ちる。それをアルトが咄嗟に抱きとめ、身体を支える。

「大丈夫…?」
「え、あ、はい」
 伏し目がちにシエルが目を瞬かせて、抱きとめたアルトが紅玉の眼差しを見つめる。
 彼女が言うには孤島に降り立った瞬間に大きな悲しみのようなものが押し寄せて、その情念を受け止めてしまったため、気分を害してしまったのだという。

「ここに何かある」
 バーディネが何かに気付いて、足をどけてしゃがみ込む。手で簡単に土を払って、その表面が姿を現す。
「それ、です。それから物凄い悲しみを感じて」
 シエルが悲しみの情念を感じた場所から掘り起こして出てきたのは、小さな小箱だった。
 メリッサを見やり、バーディネが手渡す。おずおずとした様子で躊躇いがちに小箱を受け取り、ゆっくりと中を、開く。

 中から出てきたのは六角形の紅玉だった。中には祈りを捧げるエルフの彫刻が埋め込まれた血のような真紅の宝石がそこにあった。
「待った、それ見ないほうがいいかも」
 ルシュカが静止して、宝石を袋で隠す。真剣な面持ちでそれを見た限り、装飾に何かの呪いがかかっている危険があるのかもしれないと告げた。ルシュカが覚えた限りの知識だが、呪いが掛かっている装飾品の特徴と似た部分があるのだという。
 それが事実なら、確かに直視すると何が起きるかはわからない。

 たぶん、これがエルフたちの秘宝、夢見るルビーなのだろう。
 小箱の底から出てきたもう一つのもの。古く色褪せた手紙。封を解いて、メリッサがおずおずと手紙に目を通す。これを書き綴って、ここに隠したのは、つまりメリッサの両親。いなくなったはずの二人。

「こんの、馬鹿親」
 何度も何度もメリッサが読み返して、その手紙を抱き締める。絞り出すように吐き出した言葉には、悔しさが滲んでいた。




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