砂は躍る。
 さらさら…さらさら…と零れ落ちながら、全てを過去にしながら、全てを塗り替えながら。
 記されたものは消えて、新しいものを描き出す。
 吹き抜ける熱砂が、地平線の果てまで描いては消して、描いては消してを繰り返して砂漠は形を変えながらも、形を変えることなくどこまでも雄大に。
 そこに新しい風紋を刻んで、ただ砂は躍る。




「やあ、君たち。随分と遅かったじゃないか」
 ロマリア首都のギルドに戻ってまず出迎えたのは、悠々とコーヒーを嗜むルードヴィヒであった。椅子にもたれかかって寛ぐ彼の姿はどう見ても一国の主には見えなかった。
 そんなロマリア王に唖然としながら、ずい、とバーディネが前に出て、乱暴に袋を置いた。それに動じずルードヴィヒが袋を見やる。

「これでいいんだろ。おっさん」
「おっさん……それに一応国宝級のものなんだからもうちょっと丁寧にだね……」
 ぶつくさ言いながらもルードヴィヒが袋から、王冠を取り出して目視で確認する。しげしげと奪還してきた冠を見やりながら、ゆっくりと円形のテーブルの上に置く。

「確かに、これは金の冠だ。依頼は完了した。ご苦労だったね」
 にっかしと笑って、ルードヴィヒが頷いた。
 アルトたちもほっと一息ついて、初めてのギルドの依頼を無事完遂できたということでふつふつと感動とか、安堵やらが綯い交ぜになった気持ちが沸き起こる。
「それと報告は聞いているよ。ノアニールでのエルフの呪いを解呪したらしいね」
 ルードヴィヒの笑みに憂いが見えて、背後で聞いていたメリッサもまたびくり、と硬直させる。それを見たアルトがおずおずと尋ねる。

「ロマリア王家の許可が必要でしたか?」
「まさか。こっちは感謝こそすれ、それをとやかく言うつもりはないよ。ずっと気にしてたんだ。あの辺もぎりぎりロマリアの国土内だからね」
 ルードヴィヒが肩を竦めて見せた。解呪のために学術都市ダーマから手誰の魔法使いや僧侶を呼んだが誰一人として解けず、人の呪文の術式とエルフの呪文の術式の違いかそれに四苦八苦し、出た結論が現状維持だったのだという。
 それに合わせるかのように魔王の侵略、疫病の流行などが重なり、ノアニールからロマリアは一端撤退せざるを得なかった。ノアニールの件を気にかけながらもどうしても後手になってしまった。

「最近は魔王軍の侵攻も激しいと聞く。エジンベアは陥落し、難民がロマリアまで流れ込むなんてのも珍しくない。だから、憂いを一つでも多く断てた。カンダタの件も、エルフの件においても心から感謝している」
 ルードヴィヒが立ち上がると、恭しく礼をしてみせた。
 魔軍の侵攻は日々激化し、ロマリアの北西の大国エジンベアは屈し、その戦火は北東の北方大陸の幾つもの小国家郡に飛び火したという。恐らくはそこを陥落した後は、ロマリアに進軍してくるのは間違いないだろう。
 そんな状況下において憂いがあり、国が乱れていては対処できない、それを建て直すのがルードヴィヒの使命だと、彼は柔らかく笑った。

「ロマリア王国もまた、勇者アルティス・ヴァールハイトの援助をしたい。いや、是非させてほしい」  ごつごつとした手に、アルトがゆっくりと握る。力強く握られた掌からは、確かな誠意と信頼が伝わってくる。

「ありがとうございます。ルードヴィヒ陛下」
「これから君に、君たちにも困難のほうが多く待ち構えていることだろう。それに決して―――屈するな」
「大丈夫ですよ」
 アルトが、柔らかく微笑んで告げた。
「だって、僕は『勇者』、ですし」
 人が苦しんで、涙をしているときに希望となる。その道を歩むと、誰かの笑顔を一つでも守ると覚悟した。だから、胸を張って『勇者』を名乗れる自分がいた。そんなアルトの様子を見たルードヴィヒは頬を綻ばせた。

「そうか。無事を祈るよ。アルト君」
「ええ―――陛下も」
 掌を離して、満足気にルードヴィヒが頷くと、朗らかにアルトも彼を見ていた。しばらく喫茶店のコーヒーを嗜んだ後、彼も公務のために宮廷へと戻っていった。

「まるで台風のような人だな」
「ええ、全く」
 ルシュカが呆れ気味に言い、シエルも少しだけ困ったような笑顔で頷いた。
 王宮ではなく、ここで金の冠を受け取ったのもきっと王宮内で受け取れば王として接することになる。  そうではなく、彼はただ一人の人間としてアルトたちに謝礼を告げたくてここで受け取った。せめてアルトたちに一言でも言いたくてここで待っていてくれたのだった。


「陛下から話は聞いているよ。カンダタを討伐した凄腕なんだってな」
 スキンヘッドにした厳つい男に話しかけられたが、バーディネの紹介し、彼はここのギルドマスターでアリアハンのルイーダの酒場と同じく冒険者に仕事を斡旋しているのだという。
 ロマリアギルドを経由して賞金を受け取った後、ロマリア界隈を騒がせたカンダタを倒したというのは思いの他知られているということを告げられた。それにむず痒いやら気恥ずかしいやらの複雑な感情を感じながらも、仕事の斡旋もまたすんなりと出来そうだとギルドマスターはからからと笑っていた。

 各地を流浪するのが冒険者。行き先を定めて、旅をするのが常だ。
 アルトは、というと既に目的地を決めていた。円形のテーブルの上に広げられて、羽ペンで次の行き先を示した。
「イシス…ね」
 メリッサがアルトが示したここロマリアの南方に位置する場所を告げる。イシス――富と歓楽を極めたと謳われた国だ。それだけ栄えているのであれば、宝珠の情報に関しても何かが手掛かりがあるはずだ。
 宝珠……アリアハンではその伝承が残らないほど太古から伝わり、謎多き秘宝。何故魔軍が狙ったのか、そもそも宝珠がなんであるのか、その謎の一端に触れられると今は信じて。

「アッサラームやイシスにはあらゆるものが集う。目的のものを探すのであれば確かに行く必要があるな」
「ここでなければ、それこそダーマで伝承を探すぐらいしかないかも」
 バーディネがアルトを一瞥して、それにメリッサが肩を竦めた。
 アッサラームは西方のロマリア、ポルトガと東方を繋ぐ自由都市だ。古くから流通の要として栄え、東西の文化が交じり合う独特の町として知られる。いわば商人たちが自治する街でロマリア、ポルトガの商人たちはここを通じてイシスや東方の商人たちと取引をして、稀少品を得ているのだという。

 行き先を定めたからには、そこから先は早かった。
 ロマリア圏内でのギルドでの斡旋に慣れているバーディネがマスターから情報を聞き、幾つかのアッサラームやイシスへと向かう商隊が滞在しているらしく、マスターに斡旋状を書いて貰った。それに感謝しつつギルドを後にして指定された広場へと向かった。


 入り口前の広場には人でごった返していた。斡旋して貰えた商隊以外にも様々な商隊がそこで準備をしており、冒険者や商人だけでなく馬やラマも数多くその場にいた。せせこましく感じられるのもその為だろう。
 慣れた様子でバーディネが雑踏を潜り抜けて、唐突に馬が顔を上げたり、人が飛び出してきたりでしどろもどろになりながらも、見失わないように何とかアルトたちも着いていく。

「あっ」
 雑踏に足を取られ、もつれたのか、前のめりでシエルが転ぶ。ふわりと舞う彼女の身体をアルトが抱きとめる。
「大丈夫?」
「はい、ありがとうございます」
 アルトにシエルがやんわりと頬を朱に染めて微笑む。じろじろ見られるのが気恥ずかしいのか、すぐに元の体勢に戻る。

「熱いねえ」
「そんなんじゃないってば」
 茶化すルシュカに、アルトが慌てて言うもルシュカは取り合う様子もなく手をひらひらとさせて前を歩く。アルトも何か釈然としなくて、む、っとしかめっ面になる。ただ仲間を助けただけなのに。

「どうかしましたか? さっきので何かわたしが粗相でも…」
「あ、うん、そういうわけじゃないんだけど」
 慌てた様子でシエルが、何かアルトに機嫌が悪くなるようなことをしてしまったのではと慌てていたが、アルトが頭を振って、それをやんわり否定した。
「よかった…」
 安堵したのか、シエルがぽん、と両手を叩いた。少しだけ笑みが浮かび、そのシエルの顔を綺麗だと……そう思える自分がいて、アルトが頭を振ってその気持ちを追い出した。

 指定された場所には、やはりというか多くの馬車が駐在していた。商人たちが交易品の確認をしたり、何かを話し合っていたり、傭兵たちに何かの報告をしたりと活気があった。アルトがぼんやりとその様子を見ていると、同年代ぐらいの黒髪の少女と視線が合い、睨むように見られたためアルトも視線を逸らす。
 遅れてきたアルトたちが来るとバーディネが振り向き、女性も値踏みする目で見ていた。淡い薄桃の髪を束ねて、髪の先端が少しだけくるっとしていた。顔立ちは目鼻立ちがすっきりとした化粧っけのなさが快活さと理知的な印象を与える美人だった。

 商隊とは、その名の通りに商人たちで構成された隊だ。
 交易品の取り引き、その商売を目的とする。集団で構成されるのは魔物や暴徒などの略奪、暴行などの危険から集団になることで身を守り、商品の安全や保険のために、複数の商人や輸送を営む者が共同出資して契約を結ぶことによって組織される。
 必然的に強い戦士や傭兵を急務とするため、様々な場所に行き交う冒険者と商隊はその航路間でのみ取引が成立する。言わば利害が一致しているだけの付き合いとなる。それでも集団で行動する利点は大きく、交易に大きな利益を与えているため、国家も推奨している節があるとのことだった。

「彼らが?」
「ああ、そうだ」
 女性が尋ねて、バーディネが肯定する。女性がモニカと名乗り、少しだけ厳しい人そうだな、という印象を感じつつもアルトが会釈をする。女性が頬を緩めて笑みを見せる。
「私に君たちをどうこうできる決定権はないよ。ここのキャラバンを率いているのは私じゃないしな」
 モニカが顎で刺し、アルトも釣られてそっちに視線を向ける。

 歩み寄ってきたのは金髪の優男だった。痩せた体躯ではあったが纏う雰囲気や仕草にどことなく高貴な印象を受ける。顔立ちもやはりその雰囲気通りな美人であった。
 白と青に染め抜かれたコートを羽織った男は、柔和そうな顔立ちに見えてその視線は鷹のように鋭い。高貴さと裏通りの侠客の危険さを併せ持つ……そんな男という印象であった。

「話は噂で聞いている。凄腕なんだってね」
 男が目を細めて笑う。ロマリアのギルドマスターも言っていたが、アルトたちがカンダタを倒したのはもう、知れ渡っているようだった。そのことにくすぐったいものを感じながらもアルトが頭を下げる。
「私はエドゥアルド・ウェルドナーという。このキャラバン『幸福の果実』を率いている」
「あの、質問をしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
 控えめに尋ねたシエルに、エドゥアルドが柔和な笑みで促す。

「バーディネさんとはお知り合いなのでしょうか」
「ああ……彼は盗賊だろう? 昔から彼が持ち寄った品を鑑定、買取をしたお得意様という間柄か」
「まあ、そういうことだ」
 ぶっきらぼうにバーディネが肯定する。確かに各地を転々としていたと聞くし、ロマリアで活動をしていたこともあると言っていた。確かに、モニカという女商人とも親しげにしていたようだったし、納得できた。

「あの、ギルドからの斡旋状です」
 エドゥアルドにアルトがギルドからの斡旋状を手渡して、それにエドゥアルドが目を通す。その後、胸ポケットに挿してあったペンで署名をした。
「確かに。傭兵として君たちを雇うことに同意した。以後よろしく頼む。それと私のことはエドでいい」
「はっ、はい! よろしくおねがいしますっ」
 アルトが差し伸べられた手を掴んで硬く握手をした。握られた手からは華奢そうに見えて、かなり力強く手が痛くなるぐらいだった。

「こんなにあっさりなんですね…」
「まあこんなもんよ?」
 その様子を見ていたシエルがしげしげと見て、メリッサがからからと笑う。
 メリッサが言うにはこういう契約は略式になりがちとのこと。商人たちと違って、冒険者や傭兵は短い付き合いになるから。
 最も、中にはその商隊と長期契約をして、その商隊の専属の傭兵になるのもいるらしいが。

「お、新入りか」
 野太い声をかけられて、その方向に振り向くとそこにいたのは黒めの革の武闘着を纏った筋骨隆々としたが丸顔でどこか愛嬌があり、見ようによっては家庭的にも見える男と、シエルと同じく青い法衣に身を包んだ気難しそうな堀の深い顔立ちに顎に髭を整えた二人の男だった。
 武闘家はグスタフと名乗り、僧侶はフォッカーと名乗った。彼らも同じく商隊に雇われている身だ。

「アナタも僧侶なのですネ」
「はい、よろしくお願いします」
 フォッカーがどこかぎこちない発音で告げて、どこか風変わりなフォッカーにシエルもただ目を丸くしていた。エジンベアの生まれで幼いときにポルトガに引っ越して、それ以来ポルトガで過ごしたが妙な訛りだけが残ってしまったと照れくさそうにしていた。
 宣教師として教会から商隊に派遣を依頼された僧侶で、『幸福の果実』と同行し、布教に励んでいるのだという。
 商隊に僧侶が派遣されることはよくあることらしく、未開の地で教義を広め、その勢力拡大にも商隊という存在は利用できるものと考えられているようだ。教義はシエルと同じく精霊神ルビスを信奉しているとのこと。

「旦那はちょっと風変わりなとこもあるが、気にしないでくれ」
「少々煩いですネ」
 グスタフに、癪に障ったのか棘のある言い方をするフォッカーだった。
 グスタフは専属として契約している武闘家だ。この商隊が出来た時からいる、かなりの古株であるとのこと。

「短い付き合いになるかもしれないが、当てにさせてもらうぜ」
「はい、よろしくお願いします」
「素直なのはいいことだ。よろしくな」
 ごつごつとした手に握手を求められて、アルトが手を握る。気さくな人柄で、親しみやすい人であるのは伝わってきた。

「おーい、お前もこっちこいよ」
 グスタフが大振りに手を振って、アルトが目が合った黒髪の少女を呼ぼうとするがこちらをちらりと見ただけで、近寄ってはこず馬車の中に入ってしまった。
「付き合い悪いわ。何あれ」
「まあ、腕は確かだ。あれでも悪い奴じゃないんだ。大目に見てやってくれ」
 メリッサが納得がいかないように彼女が消えた馬車を見ているが、グスタフが宥める。着ていたのはスリットの入った深緑の武闘着だったため、彼女は武闘家なのだろう。

「そろそろロマリアを出るぞ、準備はいいな!」
 エドが声を張り上げて、商隊全体に促す。
 アルトもまた、傭兵のための馬車に入り、簡素であったがふかふかとした高級な肌触りと座り心地のソファーに座り、ぎゅっと手を握り締める。
 ここから更に東へと……不思議な好奇心を押さえ切れずにいた。冒険者を魅了する東方への関心は既にアルトの心をも魅了していた。




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