東へ、東へと馬車隊は進む。 むしむしとした湿気が身体を包む。じわっとした熱気が汗を噴出させてアルトが汗を拭う。 一年を通して温暖な気候だったアリアハンや肌寒かったロマリア、ノアニール近辺に比べて明確な気温変化があった。橋を越えた先から緩やかに気温の変化が感じられるようになり、今まで経験したことのない暑さに堪えながらも商隊に合わせて行動を共にする。 ロマリアを経ってから既に一月近く。最初はぎこちなかったが、寝食を共にするうちに、今では商隊の面々ともだいぶ打ち解け、気心を許すまでにはなった。 彼らは交易品を中心に取り引きをする商隊で、小さな街の商店から大きなところでは王家とも取り引きをしているのだとか。 隊長のエドを始めとして商隊の商人たちからルシュカは各国の商品の相場やら、地方の稀少品など色々と勉強しているようだ。その顔は生き生きとしていて『黄金の果実』と行動して、だいぶ有益であったようだった。 彼らと行動をしているうちに、アッサラームの都が見えてきた。 馬を止めて、商人たちは取り引き相手の確認と商品のチェックを行っていた。それをしげしげと見ていたらルシュカもまた、手伝いとして参加させられることに。 アルトたちはと言うと、街の散策を許された。 護衛として参加しているものの、街中で仰々しく大人数で守っている必要はなく、少人数で問題ないからだ。 「凄い人ですね…」 町を見渡して、シエルが感心したように見渡す。夕暮れ時……街中に朱色が差し込む頃は、皆仕事をやめるものだがここは以前活気に満ち、雑踏が途切れることはない。時折耳に届く妖艶な音楽に気を奪われがちになりながらも、雑踏を歩く。 「昼夜問わずにこんな感じだ。胡散臭い商人も多いから騙されるなよ」 「あー、アルトはなんとなくねー」 アルトがむっとした面持ちでバーディネとメリッサを見た。そこまでうっかりはしてないはずだ。詐欺を働く商人ぐらいはわかる……と思いつつも、彼らの言うことが図星にも感じられるのが少し悔しい。 街の喧騒や人混みで、ちらちらと目に付くのが踊り子だった。 露店に混じって踊りを見せて路銀を稼ぐ彼女たちが多かった。それが雑踏の賑やかさを華やかなさを混ぜて、より情緒さを深める。 「アルト君?」 ジト目でアルトを見るシエルの眼差しはだいぶ冷たい。 「破廉恥です。ふしだらです」 「えっ? …ええっ!?」 アルトが機嫌が悪そうなシエルに慌てる。心当たりがなく、何が彼女の機嫌を損ねたのかがわからなくて戸惑う。 「まあ、あれだろうな」 バーディネが顎で刺して、その先にいたのは踊り子だ。 シエルが機嫌が悪かったのは彼女たちの衣装が原因だった。露出の多い衣装で強調された扇情的な胸や腰は、とても妖艶で色っぽく見える。それをまじまじと見ていたら確かにどぎまぎする。 それに目を取られそうになって、はっと我に返る。恐る恐るシエルの目を見るとぷいっとそっぽを向かれてしまった。 「まあ、アルトも男だし、な」 「ええっ…そういうことじゃないんだけど」 からからと笑うルシュカに、辟易して言うアルト。アルトは踊り子たちを見ていたわけではないのだが、と思いつつも取り付く島もなさそうなシエルに、アルトは失笑するしかなかった。 アルトがついつい目を惹かれたのは踊り子たちもそうだが、彼女らの背後で音楽を奏でる楽師たちもまたそうだった。街中に音楽で溢れ、奏でられる妖艶な音にアルトもまた、興味をそそられる。 「今年はイシスで鎮魂祭がある。それで賑わってる時期だからな」 バーディネが簡潔に言う。数年ごとの秋頃にいつもイシス王国では歴代の王の御霊をもてなすために、優れた踊り子を招いて盛大な祭りを開く。 そこに向かう観光客や行商で特に活気付く時期で、特に踊り子はイシスの祭りで舞うために路上や劇団で己の力量を磨くのだという。 「だからこんなに賑やかなんだね」 「踊り子にとってこれで選ばれることは最大の名誉である…だと」 バーディネが肩を竦める。 無理もないことだった。王宮から招かれるということは、国から力量を認められ、更に王宮仕えになれるということだ。研鑽を惜しまず、躍起になるのもわかる気がした。 祭りの前の活気と熱気にアッサラームは包まれている。踊り子たちの舞い、楽師たちの音色。それに引っ張られて、活き活きとした街の空気は夜が深まるのと同時にますます賑わいを増していった。 楽しげな活気に、アルトの頬もついつい綻んでしまう。かつての自分が目指した道がこんな形で、見れるとは思ってもいなかった。視線は落ちていき、鞄を見る。そこにはかつての夢の欠片があるのだから。祭りのような夜の街で、それがアルトの好奇心とかつての夢を呼び起こす。 「どうしたの?」 「あ、いえ、なんでもありません!」 ぼう、とアルトの横顔を見つめてたシエルに気付き、彼女が咄嗟に顔を真っ赤にして、頭を振る。そんな彼女に不思議に思い、アルトが小首を傾げる。 近くで人だかりができているのに気になって、その方向に視線が向いた瞬間に、 「どうしてわたしこんな……ばっかり……」 とシエルが聞こえない小声でぼそぼそと呟いていた。所々聞き取れなかったが、それにアルトが小首を傾げているとシエルが慌てて頭を振って、顔を真っ赤にした。 人だかりを見てみると、露店の商人と踊り子が言い合っているようだった。 露店は薬草やら毒消し草やらの雑貨、腕輪やペンダント類の装飾品やらが所狭しと雑多に並んでいる雑貨店だ。その店主は恰幅のいい壮年の男性で、口元に整えられた髭が印象的だった。 踊り子の少女は焼けて黄色みがかった肌と、明るい絹糸の如き艶の金の髪と海のような、透き通った青い目の少女だった。大きな目は猫のようで、中々に愛嬌を感じられる。厚めの唇が妙に色っぽく衣服はやはりというか露出の多い水着の上にパレオ羽織ったような衣装で、目のやり場に困る。 「私はこれ以上出せないわ」 「おお、お客様。お買い物上手ですが、それ以上値切れば私は大損してしまいます」 「でも、このネックレスは千ぐらいのものじゃない!」 商人も口調こそ穏やかであったが、踊り子の言い分に全く妥協を見せないとこを見ると、引くつもりはないようだった。 これはアッサラームではさして珍しい光景ではないらしい。法外に見える値段を最初に提示して、そこから値切って値切って落としどこで落札されるというアッサラーム特有の商法なのだとか。 現に観衆も止めるよりは、この状況を楽しんでいるようだった。この吹っかけ合い、値切り合いもまたアッサラームの市場の華であるとのこと。 「これはロマリアとかだったらさして珍しくないじゃない。八千とかありえないわ」 「ですが、お客様。ロマリアでも稀少な金属で加工されたもので珍しくはないのですが、それなりに価値のあるものなのです。おいそれと出すわけに」 ぐぬぬ、と悔しげに踊り子が唇を噛む。踊り子の方が劣勢なのは明らかだった。 「八千での落札となりますが、よろしいでしょうか」 「ちょっ、ちょっと待ってよ! ええと、なんかないかな」 慌てて、値切るだけの要素をネックレスから探し出そうとして踊り子が慌てだす。確かに八千は法外とも言える価格だ。恐らく支払えるだけの金銭はあの子は持ち合わせていないだろう。恐らくは諦めるしかない。 アルトも目の前で人が困ってるのを放っておくことはできず、行こうとするがそれをルシュカが押し留める。 「ちょっと行ってくるわ」 ルシュカが短く溜息をついてから、雑踏を掻き分けて踊り子と店主の吹っかけ合いの場に躍り出る。 「な、何よ。あんた!?」 「いいから。その吹っかけ合い、俺がやってもいいの?」 「ええ、もちろんですとも」 ルシュカの名乗り出に観衆が喝采を送り、踊り子が呆気にとられたようにルシュカを見つめる。貸して、とルシュカが金のネックレスを渡すように促して、踊り子がおずおずと渡す。しげしげとネックレスを鑑定し始める。 「値段は八千でしたっけ」 「ええ、その通りです」 「まずさっきも言い合ってた通りにこのネックレスはロマリア製のもので、さして珍しい型ではありません。それに確かに金属はこの辺一帯では珍しく、ですがロマリアの北西部では安く仕入れられるものです。八千というのは高すぎるのでは」 「ええ、ええ、その通りです。しかしこのアッサラームでは流通が少なく、仕入れるのにも値段が張ってしまうのです。ですがあなた様の言にも一理あります。ここは四千と、いうことでいかがでしょう」 八千から四千へと値引きされて、喝采がどっと沸く。ルシュカの目はまだ満足した様子はなく、更にやるつもりのようだった。むしろ俄然やる気になって、火が付いてきたようだ。 ここ数週間、商隊の商人たちから色々なものを学んでいたようであったし、それを早速活かしているようだ。息を呑んでアルトも見守る。 「まだ四千も高いと思います。このネックレスは仕入れられてから日が経っているものと考えられますし、もしかしたら型落ちされたものでは」 「これ以上まけると私は大損します。確かにこのネックレスは型落ちしてものですが、返って価値が上昇しまして、貴族の間でも欲する人が多いのです」 「人気のデザインで、稀少なものであるのはわかりますが、現在量産されていない型ですとどうしても金属の質は下がってしまうと思うのですが」 「おお、あなたはお目が高い。ですが、先ほども述べました通りに貴族たちの間でも人気のものなのです」 ルシュカと店主の吹っかけ合いはここに来てルシュカの劣勢になる。希少性を前面に出され、それが商品の価値を高めているのだと言い張られれば、値切りにくくなる。 もう少し、もう少しだけの駆け引き。ルシュカの目に焦りが浮かび、それを掴めず焦燥する。対して店主は穏やかな面持ちのまま、鋭い眼差しで畳み掛ける。 「四千での落札となってしまいますが、それでよろしいでしょうか」 「ぐっ……」 ルシュカが言葉を詰まらせて、店主の勝ちかと思われ、この吹っかけあいの勝敗が決したかと思われた瞬間に。 「確かにそれは人気も高く稀少なものですが、既に価値は下がりつつあります。今や貴族も最新の流行に移り、それを欲する人は少ない」 人混みから姿を現したのは、金髪の青年……エドゥアルドであった。それに呆気に取られつつもまじまじとルシュカはエドを見つめる。 「加えて多く生産され、最も市場に出回った型なため、同じネックレスのモデルのものと比べても希少性はいささか下がるものと思われる。千ゴールドが妥当なものかと思うが、いかがだろうか」 「かないませんなあ。いいでしょう。千ということで。さすがは私の友達。相変わらず商売が旨い」 苦笑混じりであったが穏やかに目を細めた店主とエドが握手をして、エドから千ゴールドが出される。周りの観衆からどっと喝采が沸き、それぞれの健闘をたたえているようだった。 「あ、あのありがとうございます。なんか…」 「気にするな。それより彼女に渡してやれ」 エドに促されて、ルシュカが踊り子に視線を向ける。金のネックレスをルシュカが差し出す。 「ほら」 「あ、ありがと」 おずおずと踊り子が差し出されたネックレスを手に取る。 「お前も金がないなら、高価なものを欲しがるなよなー」 「うっさいな! ずっと欲しかったのがあったんだから思わずやっちゃったのよ! 文句ある!?」 踊り子ががあ、と食って掛かり、ルシュカが思わずにたじろぐ。顔に変なのを助けたとばかりに失笑していた。 「それとお前じゃなくて、私にはリーシャって名前があるの!」 ルシュカがあー、はいはいとげんなりして辟易するが、リーシャが腕組をしてむんとふんぞり返る。 「せっかくお礼をしてあげようかと思ったけど!」 「なんか助けてもらったのに偉そうだな」 「アッサラームで一番大きな劇団での食事ぐらいなら奢ってあげたのに。それともさっきからちらちら見てる私の胸でぱふぱふのほうがよかったかなあ?」 リーシャがにんまりと悪戯っぽく笑い、両手ではちきれんばかりの、むちむちとした豊かな胸元を持ち上げてみせた。ぱふぱふという蠱惑的な響きが耳から離れない。 あまりにも魅力的で、青少年には刺激の強い単語の衝撃が心から離れない。というかアルトだけでなく、ルシュカも、珍しくバーディネも動揺をしているようだった。 メリッサからはこれだから男はという軽視の眼差しが突き刺さって、シエルは失笑していてとても痛々しいが、それでもリーシャの豊満な胸元は男の理性を切り裂く凶器にしか見えない。 「ば、ばかか。そ、そそんなのに興味あるか!」 「あらあ? 顔が赤いわよ?」 挑戦的に笑うリーシャ。それを振り払うようにしてルシュカが言う。更に強調するように肩で寄せて、楕円の形のいい二つの大きな膨らみが湾曲して、谷間の影を深くしてゆく。 「その劇団でいいですよね?」 会話を遮って、シエルが無理やりに劇団で決定された。シエルがなぜか笑顔だったが、なぜか怖かった。 君、とさっきの商人に呼び止められて、ルシュカが振り向く。 「君との取り引き、とても面白かったです。もっと力量を磨けば、君はもっといい商人になれますよ」 店主が目を細めて笑い、ルシュカが照れくさそうにはにかんだ。 その劇場は、ちょうどエドがこれから取り引きに行く場所だったらしく、それにアルトたちも同行することに。雑多な喧騒で賑わう大通りを抜けて、アッサラームの北西部にある大きな石畳の建物だった。 領主が持つ小さな城程度の大きさはあろうかという劇場に入ると、香辛料と酒と女給たちが忙しなく行き交い、活気に満ち満ちていた。ほぼ満席であった。その中にあった席にアルトたちを案内する。 リーシャに対して猫撫で声の男たちが話しかけてきて、リーシャがにこにこと愛想を振りまく。彼女はここの踊り子で今日は非番であるとか。 「さあ、好きなのを頼んでいいわよ」 リーシャが呆気に取られたアルトたちを尻目に女給に勝手に注文を始めていた。リーシャの強引さに面食らいながらも、ご馳走になろうとしていた。 運ばれてきたのは羊のラム肉のローストやロマリアでも見たマルゲリータ、パンにチョウザメの卵などがどんどん運ばれてきて、お構いなしにリーシャが食べ始める。それにアルトたちが顔を見合わせて、唖然とする。 「全部、あんたの好きなものばっか」 「そうよ。何か文句ある」 「いや、ないけど」 メリッサもリーシャの強引さにはたじたじという様子だった。 「ところでリーシャはなんでそのネックレスが欲しかったの?」 アルトが尋ねて、リーシャがラムチョップを頬張る手を止める。豊かな胸元には既に、さっきルシュカが得たネックレスが輝きを放っていた。リーシャがそれを指先で弄くって、目を細めた。 「これはさ、私の憧れてる人がいつもしてるヤツなんだ。まだまだ踊り子として全然だけど、願掛けとして欲しかったんだ」 優しい、声色でリーシャが思いを馳せているようだった。ぎゅっと硬く握り締められた掌からは憧憬と尊敬を強く見て取れた。 ふと、店内の灯りが落ちて一瞬慌てるが、すぐに舞台の周りだけがぼんやりと照らされて幻想的な雰囲気をかもし出し始めた。 「あ、あんたたちついてるわよ。アッサラームで私の尊敬している人のステージに立ち会えるんだから」 リーシャに促され、視線は舞台に釘付けになる。焼けた黄金色の肌に艶やかな腰まで伸びた黒い髪。漆黒の黒い目をした女性がゆらりと姿を現す。目を奪われた彼女の容姿的な美しさ、整った美しい顔立ちだけでなく、神秘さすら感じられる超然的な雰囲気を纏って、舞台の薄明かりの下で佇んでいた。 彼女が舞台に立った瞬間に、劇場から全ての音が消え去った。この世の全ての音が彼女に支配されてしまったかのように。 やがて彼女が舞う。 指先が焔をなぞり、足は水面を滑るようで、風は黒い眼差しに道筋を教え、大地は音を奏で彼女を舞わせ、光は彼女に灯火を齎し纏わせ、闇は彼女以外の全ての存在を遮る。森羅万象、その全てが彼女を称えて、その全てで彼女だけの音を奏でて、舞いは奏でる全ての存在を謳う。 舞台そのものが、世界そのものが彼女のための賛歌。音色は踊り手を導き、踊り手が支配すべき世界を手繰り寄せる。世界は彼女のもの、音色は彼女のもの。ただ一人のために奏でられる世界。 やがて、世界は彼女から解放された。演奏が終わり、薄暗闇が踊り子を包み隠す。 喝采は止まらなかった。劇場中が彼女に惜しみない賞賛を向ける。リーシャがぞくぞくした面持ちで舞台を見て、アルトもまた息を呑んだ。シエルたちも言葉にならなかったようでそれだけ素晴らしい舞を見せた人に感嘆しているようだった。 素晴らしい舞いだった。場の全てを魅了し、圧倒する……そんな人を感動させる舞台だったというのに、どこかあの踊り子に影が、あったように、アルトには見えた。 「あの人が、私の尊敬して、アッサラームで一番の踊り手だと思ってる……ビビアンさんよ」 闇の向こうへ消えた踊り子の名をリーシャが呟いて、アルトがビビアンの舞に感じたものがまだ心に残ったまま、ただ真っ直ぐに……闇の向こうを見つめていた。
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