「本当に……いいのかい?」
「私なりに色々と考えて、今回の鎮魂祭に出ることに致しました。私の勝手で意見を変えてしまって申し訳ありませんけど……」
「そんなことないよ。むしろやっとそう言ってくれて嬉しい限りさ」
 楽屋で賑やかな声が反響し、その中心にビビアンがいた。団長も、周りの踊り子たちも一様に喜んで、ビビアンが照れたようにはにかみがちに微笑んでいた。

「まさかあの彼女が意見を変えるなんてなあ…」
 その光景を見て、エドゥアルドが呆気に取られていた。
 一晩が経過して、ビビアンが意見を変えたことに、この劇団の面々だけでなく商隊の方も驚きを隠せずにいたようだった。

「そんなにビビアンさんは、鎮魂祭に出ることを拒んでいたのですか?」
「ああ、まあな。何回も断ってきたというのに、それがどういう風の吹き回しかね…」
 シエルの問い掛けに、参ったとばかりにエドが肩を竦めた。
 朗らかに笑うビビアンを見て、アルトも心に安堵を抱いた。どうやら、アッサラームで待ち続けることよりも踊り子としての最高の舞台……戻らなかった戦士と見た夢を選択した。
 待ち続けることよりも、先へと歩む道を選んだ。かつて夢見て、悲劇で足を止めた道をまた歩き始めた。その姿はどこか晴れやかであり、アルトも思わず頬を緩ませる。

「アルト君……?」
「え、うん、どうしたの…?」
「なんかほにゃ、っとしてたので」
「そ、そう?」
 シエルが小首を傾げて、アルトが慌てて取り繕う。
「こいつがそんな感じで笑うのはいつものことだ。気にしすぎだ」
 バーディネが横から口を挟み、アルトがむ、とする。そこまでいつも気を緩めていないと思うが、はっきりと言い返せないのが妙に悔しい。

「でも、それがアルト君のいいところだと思います」
「あ、ありがと」
 シエルが真剣な目で訴えかけるのに、アルトが目を丸くする。妙にフォローになっているような、なっていないような感じではあったが当人は真剣のようだった。そんな様子をバーディネが肩を竦めて見ていた。

「まだ日時に余裕はあるし、まだ当分はアッサラームにいるさ」
「当日の衣装の寸法を測ればよろしいので?」
 控えていた女商人のモニカが尋ねて、エドが同意する。当日の衣装の打ち合わせなどの話し合いに入り、エドとモニカが団長に近寄り、何やら話し合っているようだった。
 踊り子のビビアンが出るとなれば、色々と準備もいるだろう。それが名誉あるものとなれば、尚更だ。

 そんなアルトにちょんちょんと肩を小突かれ、見るとリーシャがにんまりと笑って、
「早く出ようか」
 寸法を測ろうとしてるモニカがアルトを何か冷たい眼差しで見ていて、衣服を脱ごうとしたまま、硬直しているビビアンも頬をうっすらと朱に染めて失笑していた。
 確かに……今は男子がいると物凄く気まずかった。いるのは踊り子や仕立て屋の女性ばかりで完全に場違いだった。リーシャによって無理やり、アルトが楽屋を追い出されてしまったが無理もないことだった。


 その後の段取りはというと、あっさりと決まっていった。
 元々は出ない方向で話が進んでいたために難航する部分もあるかと思ったが、順調に話が決まっているところを見る限り、やはり多くの人が内心ではビビアンを認め、最高の舞台で踊る彼女の姿を望んでいたのだとわかる。
 そんな期待をひしひしと感じているのか、ビビアンは朗らかさは変わらずだったが、引き締めるような表情を見せるようになっていた。

 当日の衣装も無事出来上がったらしく、忙しなく準備は完了した。
 商隊の準備も馬からラクダへと変わり、砂漠越えのために大規模な準備であったが、砂に足を取られて消耗しやすい馬は砂漠に適さず、ラクダが一番なのだとか。
 後は、イシスへと向かうのみ。

「私も行くわっ」
 劇団の前で準備をしていたら、むん、と胸を張ってリーシャが団長に懇願していた。まさか彼女がついていくと言い出すとは思わなかった団長が困ったような顔を浮かべていた。
「ビビアンさんの舞台も見たいし、ベリーダンスの本場はイシスじゃないっ。本場の空気というか、そういうのを見ときたいの」
「そうは言われてもだな…」
 助けを求めて、団長がエドを見るがさすがのエドも肩を竦めるだけだった。

「あのなあ、遊びに行くわけじゃないんだぞ」
「そんなことわかってる」
 ルシュカが指摘して、きっと睨むように見るリーシャ。それにルシュカもややたじろぐ。
 リーシャの視線に遊びや冷やかしと言ったものは一切なく、真剣そのものであった。彼女なりに考えて発言しているのがわかったから、ルシュカも言葉を探しているようでもあった。
「砂漠だと魔物だって多く出てくるぞ。戦士でも魔法使いでもないお前はどうするんだよ」
「どうにかするわっ! 自分の身ぐらいは自分で守る! それにお前じゃないリーシャよ」
 はっきりと強い口調で宣言するリーシャ。気圧されて、ルシュカが短く嘆息した。

「こちらの負けですな。砂漠越えをするのに、時間はあまり残されていない。仕方ない、彼女はこちらで預かります」
 それを見ていたエドがルシュカの肩を叩いてから、団長に告げる。
「いいのかい?」
「ええ、私が無理だと判断したら、即座にそちらへとお返しします」
 それに感情をそのままに現して大はしゃぎで喜ぶリーシャに抱きつかれて、シエルが朱を赤く染めて慌てていた。

「現金なヤツ」
「うっさい! 私は素直なの!」
 呆れるルシュカに、リーシャが舌を出してみせた。そんな二人の様子に、周りは失笑してみていた。

「アルト君」
 ビビアンの声に呼ばれて、アルトが視線を移す。ビビアンがはにかんだように、アルトを見やった。
「不束者ですが、これからしばらくよろしくね」
「はいっ、こちらこそ」
 ビビアンに握手を求められて、彼女の手を握る。キメ細やかなすべすべとした手がしっかりとアルトの手を握り、それがどこかが晴れやかで自信を感じさせた。

「私のわがままで色んな人に迷惑をかけちゃったけど……その挽回、いいえ、それ以上の舞台にして見せるわ」
「舞台、楽しみにしてます」
「任せておいて」
 力強く頷くビビアンに、影は感じさせなかった。
 むん、と力瘤を作ってみせた彼女はかつての迷っている姿よりも、今のいきいきとした今のビビアンの姿は快活で、魅力的だった。

 アルトとビビアンの様子を少し離れた場所でぼう、とした視線でシエルが見つめていた。
 遠くを見るような、がらんどうな眼差しで見る彼女の姿がどこか儚げで蜃気楼のように、消えてしまいそうだった。
「どうかしたの…?」
「え、あ、はい? どうかしましたか?」
「そ、それはこっちが聞いてるんだけど」
 アルトが失笑混じりに言い、シエルがはっ、としたかのようにぱちぱちと目を瞬かせる。

「なんでも、ないと思います。たぶん」
 ぎこちなく笑みを作るシエルをどうしたのかと不思議に思って、アルトが小首を傾げた。シエルがふるふると小さく頭を振って、頬をぺちぺちと弱く叩いていた。

「かわいいわねえ、二人とも」
 そんな二人の様子を見て、ビビアンが微笑んでいた。


 大国イシスは、自由都市アッサラームから見て約東南の方向にある。
 照りつける灼熱はもうすぐ秋の初めだというのに、焼け付くようだった。燦々と降り注ぐ砂漠の日差しは肌を焼き、むせ返る熱気が容赦なく襲い掛かる。
 かと思えば日が沈めば気候は一変し、極寒の風が砂漠を吹き抜けていく。突き刺す寒さは肌を凍えさせ、昼にも増して荒ぶる凍てついた風が商隊を出迎える。
 昼と夜とで全く違う姿を見せるのが、砂漠という苛酷な世界だった。

 ラクダ車隊は南西へと、緩やかに歩を進める。
 商隊が移動をするのは、夜だ。昼間の移動は熱砂と照り返す日差しで体力の消耗が激しく、夜間に距離を稼ぎ、昼間は休みという昼夜が逆転した生活を送る。
 休息はオアシスで取る。商隊は水を確保するためにオアシスを経由するための経路をとっている。時期によってある場所とない場所があるそうだが、そこは経験と目測で地図から計るしかないとエドが言っていた。
 砂漠ではアルトたちも、商隊の面々も、ビビアンたちも皆、黒い外套を羽織っている。外気を遮る服装でなければ長期間の砂漠での往来は出来ない。

 基本、アルトやバーディネ、ルシュカはグスタフたち傭兵と同じく、外でラクダ車の護衛をしている。歩測の遅いラクダだと外で護衛していても問題なく着いてゆける。
 一方、シエルやメリッサは、ビビアンやリーシャと同じラクダ車に乗せてもらっている。視線をそっちへと移せば強風に煽られて麻布でできた幌がなびいて、談笑しているような声が聞こえてくる。
 どうしても、シエルやメリッサは砂漠の過酷な温度差の中では体調が崩す可能性がある。踊り子であるビビアンやリーシャの護衛という最もらしい理由をつけて、バーディネがシエルとメリッサをラクダ車に乗せるよう、エドに掛け合っていた。

「意外と言えば、意外だった」
「何がだ」
 訝しげにバーディネがアルトを見やる。
「バーディネなりに、シエルたちのことを考えてくれたんでしょう」
「砂漠は女が足を引っ張りやすい……そう考えただけだ」
 視線を隠すようにして、バーディネが深く帽子を被り直した。照れくさかったのか……おかしくなってアルトが小さな笑いを漏らした。

「笑うんじゃない」
 と、更にバーディネがそっぽを向いたのがなんか微笑ましくもあり、おかしくもあった。

 唐突に誰かが叫んで、商隊を取り囲んだ魔物が砂の海から浮上してくる。
 月の光に照り返されて、甲羅が不気味に鈍く光る。丘のような巨体の蟹の魔物が立ち塞がっている。夜は魔物たちが活発になる時間帯でもある。魔物と遭遇は計算内の出来事であるといえる。
 魔物の蟹の群れに囲まれた商隊は外で護衛していた傭兵たちも、中で休んでいた人たちも臨戦態勢に入る。
 ラクダ車から出してきたシエルとメリッサを待つ間もなく、バーディネが駆け出す。薙がれたハサミが砂塵を巻き上げ、視界を覆う。粉塵に姿を消したバーディネだったが、蟹の関節を切り裂いて、ハサミを切り落としていた。緑の血潮を舞い散り、砂の上にじゅっと溶けていく。

「そうだ! 無闇に甲羅を攻撃してやることはない! 関節を狙って動きを止め、呪文を使えるものが止めを刺すんだ!」
 エドの怒号が飛び、それに戦士たちが応じる。

 アルトもまた駆け込み、上に乗ったバーディネを振り落とさんと暴れる化け蟹の足を斬り飛ばし、呻いた隙にバーディネが離脱する。
 更に暴れた隙を見計らってアルトがもう一本足を斬り落として、掌に熱を生じさせてそれを解き放す。ギラの光が化け蟹の甲殻を焼くが焼いただけだ。焦げた甲羅に物ともせずまだ大きなハサミを振り回している。バーディネが離脱の隙に、追い討ちをかけて斬り飛ばす。
 あれを焼き払うには、より強力な……閃熱でなければならない。

「後はあたしに任せなさい!」
 メリッサが声を張り上げて、その間にアルトとバーディネが距離を取る。
「焔よ目覚めよ、大地に眠る星の火よ、焔となりて轟け―――ベギラマ!」
 メリッサの唇から言霊が紡がれて、掌で収束された閃熱が迸る。夜の闇に瞬いた光は化け蟹を強固な甲羅もろとも焼き払う。ぶくぶくと泡を吐きながら、ゆっくりと地面に伏した。
「おまけよ。氷よ目覚めよ、凍てつく刃よ、貫け―――ヒャド!」
 続いて紡がれた呪文が氷の刃が空中で氷結し、化け蟹の真上から甲羅を抉る。それが押しの一撃となり、ぴくりとも動かなくなった。

「こんなもんか」
 むん、とメリッサが胸を張って、勝利を誇っていた。メリッサが手を開いて、それをアルトがぱん、と軽く叩いた。
 見渡すと他の傭兵たちも無事、魔物を討伐して商隊の積荷も無事のようだった。血の匂いを嗅ぎ付けて次の魔物がよってくるかもしれないと考えると、すぐにでも移動を開始したほうがいいのかもしれない。
「みんな、大丈夫ですか?」
 ぱたぱたとシエルが駆け寄って、ホイミの光で治癒をしていく。掠り傷程度のものだったが、アルトの傷を治癒してくれた。

「シエルちゃん、こっちも治療してくれー」
「やっぱ髭のおっさんより若くてかわいい女の子のほうがいいわ」
「なんというか、やる気が違うわな!」
 野太い声がげらげらと笑って、わたわたと慌てた様子でアルトたちと傭兵たちとをシエルと見返していた。商隊に同行するもう一人の僧侶フォッカーが肩を竦めていた。
「わ、わたしはどうしたらいいんでしょう?」
「おっさんたちの戯言だ。気にするな」
 はあ、とシエルが要領を得ない気返事をして、小首を傾げていた。

 怒号が響き渡った、砂塵を巻き上げて唐突に起き上がった化け蟹が残ったもう片方のハサミを振り上げんとしていた。緩みかけた空気が急に緊迫し、臨戦態勢に入る。
 が、時は既に遅し。鋭利な光が薙がれんとした距離にシエルがいた。アルトやバーディネ、メリッサも反応したが、どうしても一呼吸遅れる。
 間に合わない。時間がゆっくりと流れる。シエルの華奢な肢体を、地獄のハサミの鈍重なハサミが吹き飛ばさんとした、その刹那、

 甲羅諸共、化け蟹が砕け散った。
 行き場を失ったハサミが勢い良く地面に叩きつけられて、砂を巻き上げる。その突風に煽られて、シエルが尻餅をつく。

「大丈夫…?」
 一人の少女がシエルに手を差し出す。
「あ、………はっ、はい。ありがとうございますっ!」
 その手に捕まって、シエルが立ち上がる。まじまじとシエルが少女の目を見つめた。

 長く二つ結いに結んだ赤みがかった黒髪、やや釣りあがった深い黒いの眼差しは愛嬌を感じさせるが、どこか強い意志を感じさせる。
 その整った顔立ちにはあどけなさは微塵も感じさせずに、観る者が思わずに襟を正してしまうような、凛とした本物の知性をその表情に宿している。それは硬直の類ではなく、強い意思で引き締められたものだ。その凛々しさとは裏腹に幼く見えるが、落ち着いた物腰は大人のものだ。
 年齢は同年代ぐらいであろうか。纏った衣服は深緑の武闘着に身を包んでおり、右手に装着された鉄の爪といい、彼女は武闘家であるのがわかる。

「次からは、気をつけて」
「……はっ、はい」
 びくりと、シエルが硬直する。凛とした空気に当てられているようだった。
「あ、あの……」
 シエルが呼び止めて、少女が足を止める。

「よかったら……お名前を教えてくれませんか?」
 おずおずとシエルが尋ねて、少女が何も返答することはなかった、が、
「………ユイ、よ」
 それだけを言い残して、ラクダ車の方向に歩いていった。シエルが何度か口の中で転がし、素敵な名前ですね、と告げたがユイは立ち止まらずに、入れ替わりに案じたグスタフがやってくる。

「無事でよかった。なんともないみたいだな」
 グスタフがアルトたちを見渡して、安堵したように一息ついていた。
「なんか無愛想な子ね」
「ああ、まあ、そうだな。でも、悪いヤツじゃないし、許してやってくれ」
 少し不機嫌そうにメリッサが口を尖らせて、グスタフが失笑していた。


 それから幾つかの小さなオアシスの集落を経由しながら、移動を続けてアッサラームを経って二週間弱の夜明けごろ。
 夜明けの光を浴びて、金色に煌く都が姿を現した。それに商隊の一同が歓声を上げて、そして同時に皆一様に安堵を抱いた。
 何もかもが黄金に輝く歓楽の都イシスへと、無事に到着できたのだから。




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