イシスという王国は、古来よりオアシスの恩恵と共にあった。 砂漠を横断する大河の畔にあるこの国は、砂漠という苛酷な環境にあって肥沃な大地とオアシスの水資源により自給自足が成り立っていた。他の国に依存しきることなく、対等な立場として外交をするイシスの最大の特徴は娯楽文化だった。 傅いたまま、女王を待つ。 広い謁見の間の一面に広がる青い大理石の石畳と、王座へと続く絹の絨毯の上でアルトたちが待っているとすぐに女王が姿を現す。 その御身を見て……一瞬、言葉を失った。 艶やかな漆黒の髪、理知的な整った顔立ちと、翠の瞳は聡明さと優しさを湛え、高貴さと妖艶さを感じさせるその美貌はここにいる誰の目も奪い、捉えて離さない。 その王女が、王座に腰をかけてアルトを見下ろして目を細めて微笑んだ。その笑みに胸が高鳴るのを感じながらも、それから逸らすようにしてアルトが視線を下へと向ける。ビビアンの護衛を兼ねて、勇者としてアルトはイシス女王に謁見をすることにした。 「ようこそ、イシスへといらっしゃいました」 アルトやその場に居合わせたビビアンも会釈をし、敬意を示す。 「決心はついたのですね。ビビアン」 「はい―――ご迷惑とご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」 「貴女とガラルドが恋仲であったことは私も聞き及んでおります。ですが、私が貴女をイシスへと招いたのは、鎮魂の儀にて舞うに相応しい踊り手であると判断したからです。期待しています」 「誠心誠意、そのご信頼にお応えするべく舞をご披露いたします」 ビビアンが唇を引き締めて、頷きを返す。 鎮魂祭に臨むのは、何もビビアンだけではない。数多くの踊り子たちがこの舞台を目指して、鍛錬してきたはずだ。それを押し退けてビビアンが舞う……そこには多くの期待と羨望がある。 今、重圧を感じているのだろう。無理もない。伝統ある、舞台で舞う。失敗は許されない。 でも、アルトは今のビビアンなら大丈夫だと言うこともまた、感じていた。 過去へと目を向けるばかりでなく、過去に夢見たもの、愛する人と一緒に見た夢を背負って、未来へと顔を上げたビビアンならば、きっとこの鎮魂祭の舞台を素晴らしいものに出来るのであろうと―――。 「アリアハン王、そしてロマリア王から貴方のことは聞き及んでいます。勇者オルテガの次子アルティス」 「―――はい」 アルトが女王の声に弾かれて顔を上げる。 「こうして、貴方がイシスに訪れたのも何かの縁。ごゆるりとしていってくださいませ」 柔らかに微笑むイシス女王に、アルトが頬を朱に染めてながらも真っ直ぐにそのエメラルドの瞳を覗き込んで告げる。 「では、一つだけお聞きします。宝珠というものをご存じないでしょうか」 「……宝珠」 軽くアルトが宝珠の特徴を説明して、はて、と女王が唇に指を当てて、宝珠という単語を口の中で転がす。思案げな顔をして、心当たりを探っていてくれているようだった。 「心当たりならば、あると思います」 歯切れが悪く、女王が答える。それにアルトが首を傾げる。 女王が提示したのはイシスの北に、ピラミッドと呼ばれる歴代の王が眠る遺跡がある。古来より王が埋葬される時に、共に棺が納められる場所だ。 アリアハンでも、宝珠は宝物として扱われていた。遺体と共に供物として納められた数々の財宝……その中に紛れている可能性はある。 「ですが、ピラミッドは王家にとって聖域とも言える場所。おいそれと許可できる場所ではありません。例え勇者の遺児と言えども。王家以外の人間が立ち入れない神聖な場所なのです」 女王がぴしゃりと言い切る。 代々の王家が埋葬されているのであれば、その場所を預かる現女王には許可できるはずもない場所だ。それに墓に立ち入るとなれば、眠っている死者の尊厳を汚すことにもなる。 そうやって管理された場所ならば、王家以外の人間が立ち入るのは憚れる。無理に押し入って、安らかになっている死者の眠りを妨げるのも気が引ける。 「申し訳ないですけれども……」 「いいえ、こちらこそ思い上がってしまってすみませんでした」 「ピラミッドに入ることは許可できませんが、幸いにもイシスは祭りの前。ごゆるりと鎮魂祭を楽しんでゆかれたらと」 「―――はい」 アルトが頷きを返して、女王が目を細めて微笑んだ。 謁見が終了し、城を後にする頃には街は斜陽の影が出来ていた。城門前で立ち止まる。橙の黄昏に照らされて、街が緩やかに金色の光を放ち、街そのものが光り輝いていた。それにほんの一瞬、アルトが目を奪われて立ち止まる。 「それにしても、驚いちゃった。アルト君が勇者オルテガの子供だったなんて」 「隠すつもりじゃなかったんですけど……」 ビビアンが腰に手を当てて、可愛らしく怒っていた。言葉に棘がなかったため、そう見せているだけだというのはすぐにわかったが。 「まあ、前を向く切っ掛けになったから、感謝してるのは本当よ」 きっぱりと告げるビビアンに、どぎまぎとしてまじまじと黄昏に照らされ、生気に満ちた彼女の姿を見つめる。鼻の頭に、軽く指を小突かれてしまう。 「これが黙ってた分のお返しね」 悪戯をした子供のように、ビビアンがにっかしと笑って見せた。 「自分の今まで培ってきたものを、全て出し切りたいと思ってる。楽しみにしててね」 手をひらひらと振っていたビビアンと、城門前で別れた。 鎮魂祭で踊る踊り子たちは当日まで、イシス王宮に滞在するのが習わしとなっている。次に、ビビアンの姿を見るのは当日、舞台の上だ。 最も輝いたビビアンの姿を見るのは、アルトも楽しみだった。今の活き活きとした彼女なら、きっと、最高の演技と舞いを披露してくれるであろうから。 「宝珠、か。私も聞いたことはないな」 宿に戻り、エドにも改めて聞いてみたが、腕利きの商人として名を馳せたエドでも初耳だという。 広々とした宿の食堂だったが、商隊『幸福の果実』だけでなく他の商隊とも共同で使っているため、やや狭く感じられる。その片隅の幾つかのテーブルを使わせてもらっていた。 「他に聞いたことのあるものはいないか」 「いいえ、そのようなものは私も初耳です」 モニカが淡々とした口調で語り、見渡した他の商人も同じようだった。 「なんせ見たことがあるのがアルトとシエルだけだしなあ…」 ルシュカがうんと背伸びをしつつ言う。 アルトにしても、シエルにしてもあの魔族……エビルマージが持ち去った瞬間に一瞬だけ見ただけだ。その記憶だけが手掛かりだと言うには、あまりに弱い。 「手掛かりとかないの? どういう形をしてるとか、どんな色をしてたとか」 「はい。色は銀のような白っぽいような感じの色で、大きさは掌くらいの大きさだったと思います…」 メリッサの質問に、シエルが手で宝珠がどれぐらいの大きさかを形作ってみせているが、表情を見る限り自信はあまりなさそうであった。 一瞬のことで、更にある程度、距離があったためぼんやりとしか覚えてなくても無理もない。 「そのぐらいの宝石であれば稀少ではあるが、ないわけではないしな…」 「それだけだと、遺跡で見つかるのも含めればキリがないぞ」 エドが思案げな顔で考え込み、バーディネも同意する。 商隊を率いる商人として、各地を見てきたエドや各地をトレジャーハントしてきたバーディネに言われると、記憶している特徴があまりないことに気付かされる。 面々がほとほと困り果てたそのときに、 「宝珠ハ、分たれた天ノ涙。六つの涙が重なりしトキ、神の世界への扉がヒラク」 おもむろに宣教師であるフォッカーが語り、驚いてアルトが彼のほうを向く。 「なんだよ旦那。心当たりがあんのか」 「聖書にある黙示録の一文デス。邪悪なる者が跋扈し、悪徳ガ世界に蔓延るトキ、六つの宝珠が人と神の世界ヲ繋ぎ、主が降り立ち世界ヲ浄化するのだとか」 茶化すように言うグスタフに対して、切々と語るフォッカーの言葉が妙に耳に残った。 「でもそれは教義によって解釈が分かれてますし、わたしはそれが宝珠だというのは初耳です。わたしはそれを成すのは主によって導かれた者が扉を開くと習いました」 驚いて、シエルが告げる。アリアハンとロマリアとでは聖書にしても微妙に解釈が異なり、少し混乱してくる。だが、表現が異なるだけで根本に差異はないようだ。 「確かに解釈こそ違いますガ、どちらモ主の降誕を記している点で同じデス」 「それはそうですが…」 「そこに、何かしらの意味があると私は思うのデス」 フォッカーの言いたいことはわかる。六つの宝珠と、神に導かれた者。その両方ともなぜか耳に残って、アルトは心の片隅に刻み込んだ。 なぜ、魔族は宝珠を奪ったのか。 聖書が謳うように宝珠が集まれば神が降誕し、自身たちにとって災いするからか。 それとも別の目論見があって、アリアハンから宝珠を奪っていったのか。いずれにせよ今、ここで思案しても栓のないことだった。 ざわついたような予感のみが、アルトの心に残る。心を乱す胸騒ぎはしばらく収まりそうになかった。 「ほらほら、祭りの前だってのに何辛気臭い話してんの」 今まで、話を聞くのより食事を優先してたリーシャが、羊肉の串焼きを食べたばかりでべとべとになった指を舐めながら言う。 「お前ねえ……こんなときにさ」 「こんなときだからじゃないの」 むん、とリーシャが堂々と胸を張ってみせた。 「せっかくのお祭りなんだし、旅とか忘れてぱーっと騒げばいいじゃない。くどくど考えてても意味ないでしょ」 茶目っ気たっぷりに、片目を瞑ってみせたリーシャにみんな脱力したような、毒気を抜かれたような……そんな様子だった。彼女の言うことも、一理あるのだが。 「まったく……このお嬢ちゃんには叶わねえなあ」 「こら、女の髪に気安く触るなー!」 ぽんぽんと、リーシャの頭を叩くグスタフにがー、っとリーシャが怒ってみせた。それを呆れ半分にルシュカが肩を竦めていた。 祭りの前の熱気が、街中を包み込んでいる。 アルトもそれは確かに心が弾むし、踊りや楽器などかつては、楽師を目指した自分にとっては心が惹かれるものがある。それがじわり、と疼いたような気がした。 ひと時の旅の中の休息。 今だけは気を休めて、祭りを楽しもう。数年に一度しかない……せっかくの機会なのだから。 「アルト君」 呼ばれて、アルトが声の主を見つめる。 シエルの紅玉の瞳が真っ直ぐに、アルトを射抜く。シエルの目には何を言うか、言葉を選ぶような逡巡が浮かんで、すぐに消えた。 「楽しい、……お祭りになるといいですね」 「なるよ、きっと。いや、絶対」 アルトが笑って頷く。きっと、賑やかな祭りになる。ここに色んな人の気持ちがあって、努力があって、それが重なったのだから、みんなが楽しめる祭りになる。それにシエルがはい、とはにかんで微笑んだ。 アルトが窓の外に映った夜闇に沈みかかった黄昏の街を見つめる。 アルトの目は風となり、海鳥になったかのように地平の向こう、小高い丘にあるからか町並みが続いて、吹き抜けた先の王城、透き通った蒼の、イシスの生活基盤ともいえる大河が続いていく。そして、その先。舞う砂礫に霞んで、金色に佇む三角形が見えた。 傾きかけた太陽が三角形に、影を指し、矢印となった影が夜を呼んだかのように黄昏が深まっていく。 「あそこが、ピラミッドだ」 同じ景色を見ていたバーディネが、その名を口にする。 「あれが……ピラミッド」 アルトもまた、その名前を言う。イシスが代々守り続けてきた王家が眠る聖域。封印された場所。そして、そこには―――。 その答えを包み隠すようにして、夜はもうそこまで来ていた。
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