元々は、巫女たちが神への神託の祈祷であった。
 選定された踊り手が舞い、神を手招きし、降り立った神の声で政治と豊穣を占う。
 時代を経て娯楽へと昇華し、独特のベリーダンスを生み出した。踊りとして森羅万象を表現する舞いはアッサラームへと伝わり、より世俗的なものとなった。

 祈祷の神秘性は残り、四年に一度に行われる鎮魂祭として、今も尚、伝えられる。
 国が主導となって行う祭りとなって今も、ベリーダンスは踊られ続ける。文化を後世に残すために。踊り手たちの美しく魅せるために。そして―――みんなが楽しめるように。

 街の賑わいは、前に見たアッサラームに引けを取らないぐらい賑わっていた。
 露店や屋台もイシスを訪れたときよりも更に増えて、街の空気は祭りのそれだった。
 熱気は街だけでは収まらないようで、あちこちの劇場で歓声が沸いていた。太陽は空の真上へと昇り切るちょうど正午。鎮魂の儀は夕刻頃に行われるため、まだまだメインイベントまで猶予があるというのに盛り上がりは留まることを知らなかった。

「一足先に私と何人かは王城へと入る。あんまり羽目を外しすぎるなよ?」
 エドが苦笑して、傭兵たちがどっと盛り上がる。モニカや商人たちは話し合い、その足元には御者台と木箱がちらりと見えた。あれが恐らくは…。
「なあ、アルトはどうする?」
「どうするって?」
 唐突に聞かれて、アルトがびくりと強張らせる。焦れたようにルシュカが見ており、アルトが表情を強張らせる。話を聞いていなかったため、何を尋ねられたかわからない。

「鎮魂の儀までどう時間を潰すかって。アルトは空いてる時間はどうする」
 言われて、気が付いた。
 確かに何時間か手持ち無沙汰だ。要するに暇だ。
 祭りを一人で回るのもいいが、イシスの街には来たばかりであまり詳しくないし、何より誰かと一緒に回るほうがきっと楽しい。さて、誰と一緒に回るかだが。

「あ、あの、アルト君はこの後…」
「だったら一緒に行かない? どうせ暇だろ」
 シエルが思い切って聞きかけたところを、ルシュカの声が重なってしまう。その後、顔面を真っ赤にして引き下がる。
「どうせって……そうだけど。シエルはどうしたの?」
「なっ、なんでもありませんからルシュカくんとたのしんできてくださいねっ!」
 上擦りがちにシエルが言って、耳まで顔を真っ赤にして強張った笑顔だった。それに妙に罪悪感を感じさせてしまう。

「悪いことをしてしまった……」
 ルシュカがぎこちなく笑い、アルトが小首を傾げる。
 リーシャがルシュカに指でこっちへ来い、とばかりに手招きして、ルシュカが渋々と言った様子が近寄る。メリッサと三人で何やら話し合いを始める。
「バーディネはどうするの?」
「荷物番だ。祭りに興味ないしな。せっかくだ。楽しんでくればいい」
 素っ気なくバーディネが言う。誰かが商品を見てないと、祭りに乗じる人間もいるから仕方ないことなのだが。その好意に甘えることにした。


 街に繰り出してみれば、やはり凄い人だった。
 溢れ返る喧騒は大河を思わせ、流れに逆らわないほうが懸命だと思えるほどだ。異国情緒溢れるイシスの町並みは日を遮る必要のためか、宿がなく白い石畳の建物が並んでいた。様々な柄のタペストリーや生地が目に入り、それを追ったら人とぶつかりそうになってしまう。
 伝統ある行事と誉れある美しい踊り子たちを一目見ようと訪れた人々の肌の色はまちまちで、この炎天下でも焼けた様子のないように見える白い肌の人や、逆に黒い褐色の肌、黄色い肌の人など様々な人種が行き交っている。
 幾つも立ち並ぶ屋台に、好奇心でついつい立ち止まり冷やかしてしまう。雑貨や食べ物の屋台を覗きながら、祭りを満喫する。その中の屋台の一つで、休憩をする。

「ほんと、楽しそうな」
「楽しいよ?」
 アルトが羊肉の串焼きを頬張りながら答える。塩と胡椒だけの肉そのものの味が舌を刺激する。そんな様子のアルトをルシュカが苦笑しながら肩を竦めた。
 指摘されるほど浮かれていただろうかと思いつつも、街の熱気に煽られた結果なのかもしれないと、自身の心の中で冷や汗をかくアルトであった。

「いやいや、楽しそうで何よりで」
 ルシュカも持っている串焼きを口に入れて、食する。口に入れたまま続ける。
「そういえばこういう行事とか祭りって、旅立ってから初めてだよな」
「ずっと、ぴりぴりしてたし。いい機会だったんじゃない?」
「そう、そうだな」
 ルシュカが同意して肉を飲み込む。アリアハンを出て、ロマリア、アッサラームと緊張感の多い出来事が続いた。それだけ心をすり減らす出来事が多かったため、肩の力を抜いて息抜きをするという機会にはちょうどよかった。

「あれから、もう半年過ぎたぐらいか…」
 ルシュカが遠い目をして、空を仰ぐ。
 炎天下が変わらず降り注ぐイシスにいるから実感はし辛いが、今は暦の上では夏を過ぎて、秋の初めだ。アリアハンを経ってからもうそれだけの歳月が過ぎ去ったのだ。
 過ぎてみれば一瞬の軌跡だったようで、感慨があるのやら、ないのやら。

「お前は凄いよな」
「―――え?」
 囁くような声が耳に入り、アルトが尋ねようとするがルシュカが串焼きの肉を一気に頬張り、咀嚼していた。そ知らぬ横顔に一瞬だけ感じた言葉から感じられたものは、錯覚だったように思えた。
「どうしたんだよ。アルトの言う通りさ、祭りなんだから楽しもうぜ?」
「…あ、うん、そうだね!」
 アルトが同意して頷いてから、微笑む。今は祭りの最中なんだから、思いっきり楽しんでおかないと損だ。ルシュカが立ち上がり、アルトもまた立ち上がる。屋台のカウンターに皿と硬貨を置いて、店を後にする。

 ルシュカと歩幅を合わせて、祭りの中をまた歩く。かつての、アリアハンの町並みをルシュカと巡ったみたいに。
「それはルシュカがいたから。だから、僕はここまでやれたんだと思う」
 それだけは、言わないといけない気がした。
 ルシュカは変わらず歩き続けていた。立ち止まらず、反応もなかった。少しだけ前を歩く親友の背中をアルトが見守っていた。
 祭りの喧騒がアルトの言葉を奪い去って、ルシュカの耳に届くことはなかったのかもしれない。それでも言葉を口にしていた。

「どうしたんだよ、先行くぞ?」
 ルシュカが振り返り、アルトを促す。それにアルトが足を合わせて歩き出した。


 雑踏の中で、アルトがふと立ち止まる。それに合わせてルシュカもまた立ち止まる。
「どうしたんだよ」
「うん、……あれ」
 アルトが示したのは、屋台の雑貨店でしげしげと何かを見つめている二つ結いの髪型の武闘家の少女……ユイだった。じ…っと、一心不乱に雑貨を見る姿は普通の少女と何ら変わりがない。
 視線の先は幾つかの布の指人形。犬とか猫とかをあしらったものでとてもかわいらしい。

「ああ……あの時、助けてくれた娘か」
 ルシュカも覚えていたようだ。
 だいぶ熱を持った視線で商品を見ていて、こっちには気がついていないようだった。それだけ集中……というよりは夢中になっている様子だった。
「―――あ」
 何気なく視線を変えたユイが、アルトたちに気付いた。
 ぎこちなく顔を引きつらせて、ぼん、とという音を立ててユイが顔面を耳まで真っ赤にして硬直する。それにアルトたちもどうしていいかわからない。邪魔をしたようで悪いことをしてしまった。

「こ、こんにちは」
 とりあえず挨拶だけでもと思って、アルトが言って頭を下げる。
「わっ、わわ、私は……いや、こここんにちはは」
 …動揺し過ぎていた。それほど、気まずい時間に立ち会ってしまったのか。と、次の言葉が浮かんでこない。狼狽するユイに釣られて、アルトも慌てる。
「わ、私はこういうものが好きというわけではなくて、かわいいと思っ……いや、違うぞ!? ただこの辺じゃ珍しいものだからちょっと気になって」
「そうなんですか? そ、そうだったんですね!?」
 思わずアルトも同意してしまったが、イシスの人形なんてさっぱりわからない。いや、そもそも彼女はこの辺に来たことがあるのかもアルトにはさっぱりわからない。

「じゃ、じゃじゃこの辺で私は行くから!」
 それだけ言い残すと脱兎の勢いでユイが立ち去って、アルトが唖然とする。
 ぱちぱちと目を瞬かせる頃には人混みに紛れて見えなくなってしまった。…それだけまずかったんであろうか。僅かに罪悪感を感じつつ、見送った。


「アルトじゃない。ここで何やってんの」
 若干棒読みっぽい声で呼ばれて、アルトが視線を向ける。そこにはシエル、メリッサ、リーシャの三人娘がいた。
「アルトとルシュカもここに来たんだ。奇遇だねー」
 メリッサが気さくに声をかけるが、どこか棒読み臭いのは何故だろうか。妙ににこにこしているし、この場所で出くわしたことになんか作為的なものを感じるし。

「ちょうど良かった。なら、一緒に行こう」
「あたしたちはいいんだけどお…シエルがこの暑さで気分が悪いって言い出して」
「わたしは別にへい」
「気分が悪いってー」
 もがっという声を出してシエルの口を塞がれる。口を塞いだリーシャがぎこちなく笑って誤魔化す。シエルの顔色は別段問題ないように見えるが。

「あたしたち、もっとあちこち回りたいし困ったなー」
 メリッサの視線が、何かを訴えかけるように上目遣いでちらちらと見ている。うっ、とアルトがたじろぎながらもメリッサの目を見やる。それを後押ししてルシュカが続ける。

「俺も色々見たいし、後、任せていいよな?」
「いいけど…最初から計画してたよね、これ」
「ほんとお!? 良かったね! シエル」
 アルトがジト目で、聞き返すのとほぼ同時にメリッサからわざとらしく誤魔化すような声をあげる。
 アルトが短く嘆息して、シエルが何か言いたそうにもがもがと抵抗していたが、何を言っているのかわからないが耳まで真っ赤にしていた。息が苦しいのであろうかとも思ったが、次の瞬間にはしゅんとした様子であったが訳がわからずにアルトは首を傾げた。

 そのまま、アルトとシエルを残して三人はその場を後にする。
 離れていくルシュカを見送りながら、どこか影を感じ、それを思い返すがルシュカを疑うみたいでアルトが首を振ってその考えを振り払う。それにシエルが首を傾げて、アルトがぎこちなく笑ってみせた。
「ええと、大丈夫?」
「はい、息が苦しかったぐらいです…」
 軽く咳き込んでいた以外は顔色は健康そのもののようだった。呆気に取られてぽかん、としてお互いに顔を見合わせる。

「どうしよっか、一緒に見て回る……?」
「そ、そうしましょうか」
 唖然とした、脱力した面持ちでシエルが頷いた。


 祭りの往来を、シエルと二人で見て回る。
 相変わらずの人混みを、掻き分けながら進む。太陽も傾いてきて、歩いていた往来の人混みは増していた。
 みんなの目的は同じで、城の中庭で行われる儀式なのだから仕方ないといえばそうなのだが……異国情緒溢れる白い街を見下ろす白亜の城に近づくほど、喧騒は増していく。
 呑まれそうになりながらも前へ、前へと歩いていく。ごった返す人の波が視界を覆い、息苦しい。むわっとした人の熱気で場が包まれているのだから余計にそう感じてしまう。

 ふと、掌に冷たくすべすべとした感触が触れる。その感触は滑らかでいて、どこか温かみを感じた。
「あの、凄い人なので、はぐれたら困りますし、手を繋ぎましょう」
「う、うん。そうだね。はぐれたら困るしね…そ、そうしよっか」
 おずおずと告げて、シエルが頬をほんのりと朱に染めていた。ぎこちなく言葉を返して、照れくさく思いながらも、アルトが頷く。そんなアルトの様子が可笑しかったのかシエルがくすくすと笑っていた。
 優しくも微力な力で…ぎゅっと握り締められた手に引かれて、人混みの中を掻き分けながら歩く。こういうエスコートは男であるアルトの役目なのだが…。

「ダメです。こういうのは、おねえさんの役目なんですから」
 優しく咎めて、シエルが悪戯っぽく微笑んだ。どきり、と心音が跳ねて、暴れだした鼓動に堪えきれず、アルトが視線を逸らす。そんなアルトを不思議に思ったのか、シエルが小首を傾げていた。
 掌から伝わる、包まれているような安心感。
 手と手が繋がっているだけなのにふつふつと、心に満ちていく。
 まるで子供みたいだ。とげとげしく暴れる心臓に気恥ずかしさを押され、本当は照れくさくて、顔も真っ赤でとても前を向けないぐらいなのに……不思議と、それがとても心地良く感じられる。不快なものではなくて、この状況がなぜか続いて欲しいと思えるぐらいに、じんわりと心に染み入ってくる。

 過ぎ去る人混みの流れが、とても緩やかに見える。
 まるで時の流れから切り離されたと……そう錯覚できるぐらいに穏やかな時間が過ぎる。

 緩やかだった時間が少しだけ進む。忙しなく進む雑踏に、シエルが足を取られて転んでしまう。あ、と小さく声を漏らして繋いだ手を引き寄せて、そのままアルトがシエルを抱き寄せる。
 抱き寄せた姿勢のまま、アルトは胸に小さな安堵を覚える。そのまま、視線をシエルに向ける。
 しっとりと潤んだシエルの紅玉の瞳を覗き込んで、透き通った穢れない眼に吸い込まれそうになる。赤い世界に魅入りそうになって、アルトが我に戻る。
 ほんのりと紅に染まった頬と、何か言いかけて惑う薄い唇が、そのまま見つめるシエルの顔立ちは幼さを残してどこかあどけなくも、どこかに大人びていて……幼さと艶っぽさが綯い交ぜになって綺麗に見えた。

「あの、そんなに見られると恥ずかしいです…」
「あっ、ごめん。…大丈夫?」
 はい、とシエルが小さく頷いて身体を離す。シエルが両手でぺちぺちと軽く頬を叩いて、
「なんか……ずるいです」
 一瞬、そう呟いた言葉は、人混みに掻き消えた。アルトが尋ねようかとも思ったが、なぜかそれを聞くのが馬鹿らしく思えて、問いを飲み込んだ。

「あ、雑貨店があります。覗いてみませんか?」
 シエルに手を引かれて、さっきの時間が嘘だったみたいに人混みの喧騒が戻る。屋台の雑貨店を、子供みたいに無邪気にシエルが眼を輝かせて、覗いていた。
 宝石や鉱石を加工した腕飾り、指輪、耳飾り、ペンダント…様々な品物を取り扱っているが、素人目に見ても、中々見事な出来栄えのものばかりだ。

「シエルって誕生日はそろそろだったよね」
「え、そうですけど…」
 アルトが尋ねて、きょとんとした面持ちでシエルが頷きを返した。
 シエルの誕生日は九月の終わり頃であったはずだ。普段、色々助けられているのだから、何かその感謝を形として表したかったし、何よりもアルト自身がそうしたいと思えた。

 色々取り揃えてある雑貨に、何を渡そうかアルトが色々目移りする。
 旅をしているから、持ち歩いてかさばらないものに限定される。何がいいかと色々と迷った挙句に、アルトの目に止まったものを手に取る。
 加工され、装飾された青い宝石がはめ込まれたペンダントだ。それを手にとって、アルトが店主に賃金を渡す。思いの他、値が張ったがこれを選んだ。店主が説明するには、青い宝石には何か呪文が込められて、加護として装飾されているのとか。呪われたものは置かないらしいから、そこは安心していいとのことだった。

「嫌じゃなければ、はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
 シエルが受け取って、ペンダントを指で弄くっていた。喜ぶような、恥ずかしがるような素振りを見せて、アルトを窺う。
「つけてみていいですか?」
 アルトが頷くとシエルが長い髪を掻き分け、覗いた透き通ったうなじの色っぽさに、アルトがどきりと、心臓が跳ねる。まじまじと、シエルがアルトに向き直る。

「に、似合ってますか?」
「も、もちろん」
 どぎまぎとしながらも、アルトが頷く。ロザリオと共にひっそりと青い宝石が、シエルの胸元で輝いていた。
 笑顔を見せたシエルに釣られて、アルトも頬を綻ばせるのだった。




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