賢者が開いた道を辿り、アルトたちはその先へと続く遺跡…ピラミッドへと進む。 マミーやミイラ男たちはその道中でも襲いかかってくるが、それを薙ぎ払い、打ち払って前へ前へと駆け抜ける。魔物たちの中を突っ切り、その先にそれはあった。 巨大な三角形の建造物。金色へと光り輝くであろう石壁は、夜の闇においても一際強い光を放って存在感を示す。歴代の王家が埋葬される聖域。かつてその身を邪悪なる呪いで身を滅ぼした勇者が眠る場所。その呪いを封じ込めた場所。それをアルトが見上げて、息を呑む。 「ぼさっとするな。先を急ぐぞ」 「うん、わかってる。今は……急がないと」 バーディネに促されて、アルトが頷く。 ピラミッドに封じ込められたもの……それが解き放たれんとしている。砂を踏んで、アルトたちがピラミッドへと入ろうとしたした、その時。 遥か天へと続くかに見える石の階段のその上、一つの影が姿を現してアルトたちを見下ろしている。 黒い影を纏った人の姿にも見え、よく見れば見るほどその輪郭はぼやけていくような…そんな人影がそこに佇んでいた。 立ち止まって、それを見上げる形でアルトたちもそれぞれで臨戦態勢に入る。それに影が嗤った気がした。 「諸君、随分と遅かったじゃないか」 せせら笑うようなそんな声が、アルトたちを迎える。影は更に言葉を続け、大袈裟に芝居がかったような仕草で腕を動かす。 「気に入ってもらえて何よりのようだ。魔物や死霊を呼び寄せるのはこれの副産物に過ぎないがね。それでも人間たちには大いなる脅威となろう。やはり、我ら魔族に比べて人間はなんて脆弱な生物であろうか」 ひけらかすように、右手につけた煌びやかに光り輝く金色の爪を影が見せた。かつてイシスを守ったという勇者がつけていたとされる金色の武具。伝説級の代物が目の前にあり、それが魔の者の手に堕ちてしまっている。 くぐもった声が反響した後、人の影が歪む。 それにアルトたちが身構えて、意に返さずに影は自身の姿を変容させる。ぼやけていた輪郭がはっきりと見える。黒い法衣を纏った王の躯のような……威厳ある者の形を成す。まるでイシスへと襲い掛かる死霊たちを従える王にさえも見える。 「素晴らしい……力だ」 くつくつと笑う声に、力が篭り、見下ろす視線に背筋に冷たいものをなぞる。かつて相対した魔族を否が応でも思い出させる。 ふわり、と宙を舞って地へと降り立った死の王はそのまま、アルトたちを睥睨する。 「これならば、あのお方にとっても利する者となり得よう」 にやりと嗤った後、爪を振り下ろした衝撃は暴風となり、砂塵を巻き上げてアルトたちに襲い来る。それぞれで散開して避けて舞い上がった粉塵と削れた地面がその衝撃の威力を物語る。 「そのために……イシスを襲ったのか」 「如何にも」 魔族が肯定して、アルトが目を細める。みんなが楽しみにしていた一日、それを踏み躙った者が目の前にいる。 更に放たれる爪の一撃を避けて、敵をアルトが見据える。全身を打ち砕かんと荒れる暴風がアルトの身体を貫いて、踏み止まらんと歯を噛み締めて、足に力を込める。風を突っ切って、アルトが踏み込む。剣を真一文字に振り下ろさんとするが硬質な、刃の悲鳴が響く。 黄金の爪で受け止めて、尋常ならざる怪力でアルトを弾き飛ばす。そのまま、爪による一撃が穿たれてアルトが地面に叩き付けられ、背中に鈍痛が走るのを感じる間も無く、身を捩って避ける。 三つの軌跡に砂礫が抉られ、派手に粉塵が空へと舞い上がる。砂塵を突き抜けてバーディネが短剣で斬りかからんとするが、爪による衝撃波を受けかけてバーディネが攻撃の手を止めて、回避する。 「私に……歯向かおうなどと考えるからどれほどのものかと思えば、この程度。やはり人間は高が知れているな。ならば、このワイトキングがイシスを蹂躙させて貰おうか。そおら、貴様らを死神が出迎える準備をしているぞ」 くつくつとワイトキングと名乗った魔族が、アルトたちを睥睨していた。そのまま、風が昂り、荒れる。右手に装着された爪からどす黒い輝きを放っているようにも見えた。 「人間を舐めるなよ…!」 そう言い放つと、バーディネが跳躍して短剣を振り下ろす。 だが、ワイトキングが纏った黒い邪念が鞭のように撓り、バーディネを打ち据える。肥大化した黒い念はワイトキングを包み込むようにして蠢く。 受身を取って、バーディネが間髪を置かずに距離を詰め、短剣の切っ先が魔族の法衣諸共抉る。 抉った瞬間には傷は瞬時に消え去り、そのまま金色の爪が放たれて弾き、もう一度切り裂くがやはり瞬時にして再生される。舌打ちをしてバーディネが大きく跳び退り、追い討ちをかけるように黒い風が襲うが、身を捩って避ける。 メリッサが詠唱して、ベギラマの閃熱が奔る。熱風が魔族を飲み込んで熱が煽り、嬲ろうとするが黒い邪念によって弾かれてしまう。そのまま、黒い邪念は漆黒の風となってメリッサへと放たれる。それをぎりぎりのとこで回避する。 「何なのよ、あれ……」 ワイトキングが纏った黒い邪念を見つめて、メリッサが力なく呟く。 いつしか纏い始めたうねる大蛇のような黒い波動。それを従えて、黒い威圧はアルトたちへと向けられてピラミッドの石畳を、砂漠の砂礫を、その全てを抉り、後は漆黒の熱が焦げたかのような後を残す。けたたましく耳に届く呻き声、慟哭、それらが声となった慟哭が黒い闇の向こうから反響する。 荒れる黒い波動。 それは、いつしかピラミッドからどす黒い念が立ち昇っていた。夜へと放たれるように天へと昇るそれは見ているだけで心がざわめき、胸が苦しくなってくる。ピラミッドから放たれる黒い波動がそのままワイトキングへと降り注いでどんどんと漆黒の法衣が肥大化していく。 「あれは、たぶん」 「たぶん、何なんだよ…?」 言いよどむシエルに、ルシュカが促すように言う。 「怨念…無念のうちに死んだ王様や王家に対する恨み、憎しみ。それが形になったものではないかと。死して縛られる魂が視覚しているのだと思います」 「正解だよ。お嬢さん」 よりくぐもった声で、シエルにワイトキングが同意して、シエルが睨むように見やった。 「染み付いた数々の怨念の魂……その怨嗟が私に力を貸し、我が力となる。死して尚、残滓となって昇天も出来ずにいる亡霊どもを私が糧にしてやっているのだよ」 「なんて、ことを…」 「この怨嗟がある限り、私は最強となる。この力をあの御方へと献上すればきっとお喜びになられるであろう」 ワイトキングが指先で、風を生み出して右手の爪が纏った怨念を飲み込みどす黒く変色していく。黒い風は嵐となり、肥大化していき、怨念もまた高らかに嘆きの声をあげ続ける。耳を塞ぎたくなる。 放たれた黒い嵐が、アルトたちへと襲い掛かる。 大気を抉る気圧は亡霊たちの鈍いの呪音にも似て、全てを粉塵へと還して猛る暴風は慟哭の嘆きにも似ていた。視界の全てが黒く染まり、この身を打ち砕いて据える風はアルトたちの身体など容易く宙へと巻き上げる。 全身を、その魂すらも呑みこむ黒い渦が弾けて、その風は爆発そのものだった。 猛嵐が静かに消え、粉塵と砂塵が舞い上がる。 そこに叩きつけられて、アルトが思わずに呻き声を漏らす。これだけの魔力の力が全身を貫き、全身が軋んでいるようだ。痛みは行動を拒絶して、治癒を求めている。 からからとした渇いたくぐもった笑いが耳に届く。これだけの呪文を手繰り、呪いを支配し、それでも平然と、圧倒的に目の前に立ち塞がっている一つの黒い影。 これが、魔族。 かつて、父が、兄が挑もうとした世界を脅かす悪意の具現。 そして、これからアルトが立ち向かわなくてはならない存在。多くの悲劇を生む者、悲しみを広げ、人の笑顔を踏み躙る者―――。 現に、その魔の手はイシスへと伸びている。 今も尚、一刻と火の海へと包まれていっている。破壊が広がっていっているのだ。多くの人々が恐怖し、楽しみにしていたはずの日が惨劇へと変わり、今も怯え続けている。女王やエドたち『幸福の果実』の面々、そしてビビアンの顔が思惟に過ぎる。彼らもまた、今この時にそれらに包まれている。 かつての自分と同じように。 アリアハンで見舞った惨劇と同じ恐怖を今、イシスでは誰もが感じ、ある者は抗い、ある者は祈り、ある者は恐怖に震えている。砂礫をしっかりとした力で、アルトの指先が握り締める。 戦わなければ。 その衝動が少年の身体を突き動かす。剣を支えにして、足取りも覚束ないのにアルトが立ち上がり、魔族を見据える。 今の自分の後ろにあるもの。背負っているもの。託されたもの。その全てで全身の痛みを振り払い、それを越えて力に変える。誰かの涙を、祈りを力に変えて。 「よく立ち上がったと褒めておこう。だが、そんな足取りで私に挑むつもりかね?」 「……戦うよ」 ワイトキングの言葉に受け答えたわけでなく、アルトの唇から言葉が漏れる。霞む視界のまま、敵を見つめる。 「お前が誰かの笑顔を奪うんなら、理不尽で人の命を奪うんなら―――僕はそれを許さない」 身体は、痛みで動きを止めろと命じるがそれでも、少年の意志は戦おうとしていた。 悲しみを広げる者、憎しみで満たす者、その全てから誰かの笑顔を守ろうと願ったから、その意思が痛みを越えて、身体を突き動かす。 「よかろう。ならば、その理不尽に押し潰されるがよかろう…ッ!」 ワイトキングの身体が宙へと舞って、また漆黒の嵐を生み出してアルトたちを押し潰さんと唸る。どす黒い念を放ち続けるピラミッドの邪悪な輝きをワイトキングがまた飲み込み、闇が肥大化していく。夜の空さえも飲み込まんばかりに展開した闇は、どこまでも広がっていく。 あれを受ければ、自分の身体など消し飛ぶ。それはわかっていたが、それでも足は踏み出していた。 ふと、あれだけ全身を貫いていたはずの痛みが消えていく。 振り向けば、シエルが空を仰ぐようにして夜闇を照らす……一筋の光となっているではないか。アルトも、バーディネたちもまた負った傷が癒えていく。 「させません。本当は貴方が取り込んだ人たちだって、安らかに眠っていたのかもしれないのに。無理やり現世に呼び寄せて、現世の苦しみを思い出させるなんて……そんな権利、誰だってないんです」 シエルが静かに告げて、光が広がる。闇を払う光明はどこまでも広がり、奔流と化す。光の渦が空を照らす。 「安らかなる世界へ、貴方たちが眠る場所へと還るんです。そこでは現世の苦しみはないはずだから。天への扉よ、迷えし魂を、安息の地へと誘って―――ニフラム」 言霊が弾け、光が、ワイトキングの闇を穿つ。 貫いた淡い光が、肥大化した漆黒の法衣を剥ぎ取り少しずつであったが、だが確実にそれを削ぎ落としていく。魔族の闇に食われた魂が、昇天していくように淡い光が空へと昇っていく。 今を生きる者たちを妬み、羨み、まだ生きていたかったと嘆きの声は黒い渦となって、シエルが解き放った穏やかな光は彼らを在るべき世界へと導き、世界の怨嗟から解きほぐしていく。 「こんな……こんなニンゲンの、高が子供などに私が後れを取るなど、許されるはずがない! 許さぬ…塵芥となり灰燼となれェッ!!」 光に、闇を消され、残された黒い渦そのものをアルトたちに叩きつけてくる。 風が唸る。軋む大気が悲鳴を上げる。劈く暴風が押し潰さんと落ちてくる。嵐はどす黒い魔力の塊。世界の嘆きを収束させたような、それがそのまま地に落ちてくるような。 アルトがそっと握り締める。 迫り暴力の渦よりも高く、天へと少年が手を伸ばす。思惟は地上を越えて、夜空を、星を過ぎ去り天上へと至る。自我は遥かなる場所へと、青と蒼が入り混じる世界へと導かれる。 「人の心を、悲しみを広げて理不尽を押し付ける何かと、戦える心を知るのなら―――」 目に見える金色の絹糸のような髪の少女が、そこにいた。顔は見えなかったが、真っ直ぐにアルトは藍の瞳に彼女を見据えて、告げる。 少女が、少年に手を伸ばす。翳された手に重なるように―――優しく何かが手を掴む。掴んだ手からアルトの中に光が駆け巡り裡から満たしていく。その衝撃で弾かれたように少年の意思は地上へと呼び寄せられ、夜の闇すら消滅させる天蓋を突き破って雷が舞い降りる。 刹那、刹那の時間の差で荒ぶる嵐がアルトを飲み込もうとする。黒い渦は爆発に近い風だった。劈く暴風は止められずに、もうそこまで迫っている。 後、僅か。僅かな時間だけが足りない――。 嵐の侵略が止まる。猛り、荒れ狂ったまま、その場に停滞する。先を進ませまいとする何かに阻まれるようにして。 「バーディネ!?」 「さっさとやれ……!! 躊躇う時間なんてあるか! 早くしろ―――!!」 嵐の侵攻を阻んだ人影。バーディネが裂帛の気合と共にアルトの前に立ちはだかって、嵐を押しとどめようとする。バーディネが全身で阻んで、僅かな時間が生まれる。 「哀しみを知るのなら…その光を示してみせろ―――!!」 生まれた僅かな刹那、アルトが指先を振り下ろす。 指先から解き放たれた雷は、光となり、白き竜となる。光の竜は黒い嵐を食い破り、撃ち抜く。竜が星雲を泳ぐ様にも似たその姿は渦を消滅させ、すぐにワイトキングの姿を飲み込んで、光の中へと消し飛ばす。 「馬鹿な…馬鹿な…―――様ァァァ!!?」 嘆きを束ねていた者の慟哭が砂漠に響き渡り、漆黒の法衣諸共、光の中へと溶けていった。闇を撃ち抜いて、イシスの闇が晴れていくように地平線に雷鳴が轟いた。夜闇を劈いた雷光が瞬いて、空を裂いた―――。 ピラミッドを包んでいた邪念は、緩やかに胎動を止めてくすんだ黒から金色の色へと変わる。そうしてピラミッドに呼応したかのように、砂漠の色が金色に光り輝いていく。見ると地平線の彼方から昇った朝日が全てを照らしていく。 厳しくも、イシスを見守る灼熱の太陽は、今、この時は穏やかで、優しくアルトたちを迎える。 その瞬間にアルトの身体が崩れ落ちる。全身の力が抜けていく。天の光と共に全身の力が発散されてゆく。足取りも覚束ずに、地面に吸い込まれるようにして前のめりに倒れ伏してしまう。 柔らかい感触が、アルトが鼻先に当たる。霞む視界は、青い色を映す。シエルが抱きとめようとしてそのまま、アルトと一緒に地面に倒れこんでしまった。ふわふわとした胸の柔らかな弾力にそのまま顔を埋めるような形となっていて、 そのまま、胸より上の彼女の表情を垣間見る。微笑んでいるような、泣きそうなような、どっちとも言えない表情でアルトの藍の瞳を見つめていた。 「ええと、アルト君。大丈夫です?」 「シエルこそ……シエルだって疲れてるんだから」 シエルの細い指先が、アルトの指先に絡み合って握り締められる。力なく、返すことが出来ない指先を、しっかりと握ってくれていた。 「何をやってるんだ。お前らは」 呆れ混じりにバーディネが肩を竦めて、アルトに手を差し伸べる。それにしっかと握って立ち上がる。シエルもアルトが手を差し出して立ち上がる。 まだ覚束ない足取りを察したのか、アルトにバーディネが肩を貸す。細身でありながらもしっかりとした体躯に引っ張られて自然と足が進む。シエルが微笑み、メリッサが苦笑混じりの顔をする。ルシュカも呆然としているようだった。彼らの顔を見て、アルトが言葉にする。 「イシスに戻ろう」 その言葉に、一様に頷きを返してそれぞれの足でイシスへと歩いていく。 アルトの藍色の目に映した金色の町並みは、朝の光を浴びて金色よりも神々しく、神が降り立ったかに街が光り輝いていた。それに目を奪われそうになりながらも、イシスの地を踏む。 イシスに戻った少年たちを出迎えたのは、歓声だった。それに面を食らって驚きながらも、多くの人々が少年たちの帰還を称え、迎えてくれていた。街の人々、旅人や行商たち、踊り子たちや楽師たち、侵攻を食い止めてくれていた騎士たちなど……その目に移しきれない人々がそこで、アルトたちを迎えてくれている。 「……アルトくん」 迎えた人々の中から一際艶やかな黒髪の美人が、おずおずと前へと出る。ビビアンだった。逡巡するような顔を見せるビビアンに、アルトが目を細めて笑顔で、告げる。 「ただいま。ビビアンさん」 それだけを言うと、ビビアンの神秘的な色を映す大きな眼から涙が溢れ出した。 アルトの気のせいだったのかもしれない。錯覚だったのかもしれない。 ビビアンの隣で、弱い光が瞬いて一人の騎士の輪郭となった。穏やかな表情を見せて、ビビアンの隣に佇んでいた。 朝の陽光に騎士の輪郭はぼやけて消えてしまった。それはアルトが見た一時の幻だったのかもしれない。だが、それでも騎士の幻影は微かに微笑んでいたようにも見えた。ただ一言、少年にありがとう、と告げていた。 それはアルトだけでなく、ビビアンにも届いて、彼女が弾かれるようにして隣を見る。今は、ビビアンの涙は止め処なく溢れて、消えた幻想に馳せる。朝の日差しは全てを塗り替えて、次の時間へと迎えていく。昨日を古いものとして、今日がまた、始まる。 「どうした?」 「ううん、なんでもないよ」 横目で見やって尋ねたバーディネに、アルトが頭を振る。アルトも、彼の幻にまた笑顔を作ってみせたのだった。 吹き抜けた朝焼けの光は、夜を越えた砂漠の国を暖かに照らしていた―――。
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