かもめたちがけたたましく鳴き、蒼穹の彼方へと吹き抜けていく。天上から鳥の歌声が降り注ぐのは、繁栄を極めた海洋国家ポルトガであった。

 高い造船技術を要するこの国は魔王の台頭、ネクロゴンドへの遠征の失敗によってロマリアの威光が縮小するのと入れ替わりに勢力を拡大し続けている。
 強い冒険者や傭兵がいたとしても長距離航路に耐えることができ、魔物の襲撃に備えられるだけの船でなければ意味がない。ポルトガの技術はその要求を満たすには充分なもので、船旅の成功確立を大幅に引き上げ、多くの船乗り、冒険者たちを海へと誘い、無事に帰還させている。
 同時に、船旅を積極的にポルトガが冒険者を国を挙げて支援し、新たな交易航路を確保した者には、王侯貴族に匹敵するほどの富と名声が転がり込むという。名誉を求めて、多くの若者がこぞって志願し、次々と新たな交易ルートを開拓していっている。


 白亜の町並みを抜けた先に、街と同じ様に純白に染め上げられた王城が連なる町並みと蒼い海を従えるように、佇んでいた。
 王城に馬車と併走して迎えられたアルトたちは衛兵に案内されて、謁見の間に案内される。
 エドに連なって、ポルトガ王にアルトが傅く。王が面を上げるように促して、アルトの眼にその姿を映す。ポルトガの王は恰幅が良く、かなりの体格をしていた。がっしりした体躯で座る王座は狭そうで、どこか窮屈そうであった。

「よくぞ来た。待ちかねておったぞ」
「―――は。約束のものは既に厨房に運び込んでおります。必ずや陛下の舌を、今年も満足させられる出来であるかと」
 エドの応答に、王が満足気にうむ、うむ…と何度も頷いていた。

 エドが取り引きをしていたのは、黒胡椒という香辛料だ。
 東方独特のもので、ロマリア、ポルトガなどの西方のものでは希少価値が極めて高く、裏では金と同格で取り引きを行われることもある。アッサラームでエドがグプタという青年商人から買い取っていたのは黒胡椒だったのだと、納得できる。
 今代のポルトガ王は珍品、希少価値のあるものに目がなく、交易商やポルトガを訪れた商人と取り引きをすることも珍しいことではない。言わばポルトガは商人たちから見れば最大手の取引相手であった。

「そなたは、いつも余の期待に応えてくれる。次もまた、期待しておるぞ」
「そのお言葉だけで、身が引き締まる思いにございます」
 エドが表情を崩すことなく頷き、下がる。手招きされて今度はアルトが一歩前へと出る。

「そなたの話は聞き及んでおる。若くしてアリアハンから勇者として在ることを許可され、ロマリア、イシスの危機を救ったという勇名は余の耳にも届いておる」
「ありがとうございます」
 アルトが一礼をして、ポルトガ王が目を細めて笑った。こうして見れば王としての威厳はなく、ただの温厚な老人にしか見えなかった。

「そう堅くならずとも良い。余など尻で玉座を磨いてやることしか出来ぬ男よ」
 アルトが緊張しているとでも思ったのか軽く冗談交じりに、からからと笑ってみせた。それにアルトが呆気に取られつつ、王を見やる。

「して、勇者殿。このポルトガにはどういった目的で訪れたのかな」
 笑った後、王が一息を付いてから、本題を切り出す。アルトもまた、一息を付いた後に、言葉を切り出す。
 ダーマに向かうためには、険しい山岳を越えなければならないこと。
 ダーマに向かう定期船の時期は過ぎてしまっていているというのもあるが、これから先を見据えるにはやはり、長距離航海に備えられる船での旅が中心となっていくのは間違いない。
 それを伝え、ポルトガ王が考えるように指で顎鬚をなぞる。

「なるほどなるほど。そなたの言うことも確かにその通りよな」
「私からも、お願い致します」
 エドが口を挟んで、ポルトガ王が視線をエドに向け、ほう、と口にする。

「ギルドを通じるとはいえ、陸路での旅には限界があります。船を求めるのも無理からぬこと。寛大なる陛下の御心を示す時かと」
「あいわかった。船は準備しよう。エドゥアルドにここまで言われると、余も断る舌を持たぬ」
 満足気に、大仰に深く玉座に座り直して王がエドやアルトたちを交互に見回す。

「そなたにはいつも、黒胡椒のみならず、東方の絹糸や食器、海の向こう……ここより遥か西の食材やらを献上しておる。それに若き勇者への協力は既にアリアハン王家から書状を承っておる」
「では……」
 頭を上げたエドに、ポルトガ王が大きく頷いて、肯定を示してみせる。
 海の向こう…と言った。世界の果てとも呼べる誰も見たことがない地平を、エドは見聞したことがあるのか。控えるエドの姿を横目で見やって、今、彼についてわかることは、ポルトガ王から絶大な信頼を勝ち得ているこということのみだった。


 船の出港準備には数日掛かるため、それまではポルトガに滞在することとなった。
 白亜の大理石を踏む硬質な音が響く回廊を、謁見を終えた面々が通る。頬を撫でて、吹き抜けた風はどこか冷たく、どこか故郷を風を思い起こさせる。
 立ち止まって、風の行く末を見渡してどこまで続いていく広大なる蒼の地平線の彼方へと、消えていった。

「さて……私たちと君たちとの旅もここまでだ。船は賃金代わりだと思ってくれていい」
 立ち止まって、告げたエドにアルトがえ、と言葉を漏らす。
「私たちはこれから船旅となるが、海を越えて遥か西、商人たちで作り上げた交易都市に向かわなければならない」
 ここより西方の大陸に、ポルトガの領土として交易都市として成長している場所があり、これからエドたちは交易のために、そこへ向かわなければならないとのことだった。一抹の寂しさを感じるが、ポルトガで商隊『幸福の果実』に同行するのは終わりだ。
 賃金の代わり、というには船というものは大き過ぎる。

「私は私なりに期待はしている。勇者って奴にね」
 エドの独白染みた告白に、アルトがまじまじとエドの顔を見る。勇者というのは、人に光を示す存在だ。期待は常に集めるものだがこうして体面で告げられると、照れるものがある。
「今まで、本当にありがとうございました」
「おいおい、それはまだちょっと気が早いんじゃないのか」
 エドが肩を竦めて失笑してみせて、釣られてアルトも気恥ずかしくなって笑顔を見せた。

 それでもここまでの旅で、彼には大いに助けられ、世話となったからその気持ちを伝えたかったのは偽りのない…気持ちであった。



 それから城門前で、解散となった。アルトたちは宿に戻るついでにポルトガの城下町の散策でもするのだろう。エドは、黒胡椒の納品の確認が滞りなく済んだかを確認するため、城内に戻っていった。

「何か、私に用かな」
 エドが立ち止まって、振り向く。そこにいたのはルシュカであり、真剣な眼差しでエドを見つめていた。それにエドが向き直る。
「あの、突然すみません。どうしても釈然としないことがあって」
「何かな?」
 ルシュカの唇が逡巡を見せ、何度か言い澱んだ後に意を決して言葉にする。

「エドさんは商隊を率いているとは言え一商人ですよね。それが王族と取り引きできているのかが気になって」
 ルシュカがはっきりと、自身の疑問を口にする。
 エドは優れた商人とはいえただの商人に過ぎない。貴族や王族との繋がりはあるのかもしれないが、王と対面で取り引きが出来るというのは、滅多にないだろう。
「ここ、ポルトガでは珍しいことじゃないさ。王は珍品の収集家、美食家として商人の界隈で有名な方だ。王自らが取り引きに出てくることもある。それで陛下に気に入られたというだけだ」
「でも、陛下はこうも言ってました。『いつも』って。それは昔からの馴染みなんじゃないですか」
 ルシュカが告げて、それにエドが目を丸くしてルシュカを見る。いつも、という言葉を確かにポルトガ王が言っていた。

「参ったな……思ったよりも、耳聡い」
 エドが嘆息混じりに、肩を竦めて苦笑して見せた。
「まあ、まだ時間もある。少し、昔話をするのも悪くない、か」
 エドが見せた笑みは、どこか自虐気味であった。一息を付いてから、ゆっくりとエドが言葉を紡ぎ始める。

「それは、私が……いいや、私たちがな。航海成功者だからだ」
 今度は、その言葉にルシュカの目が丸くなる。
 航海成功者。
 未知の領域への船旅をかつて、成功させた者だという証だった。地図は大陸を示すが、人が知らないだけで、人が開拓していない領土、大海にある未発見の大陸というのはまだまだ数多く存在する。
 発見した領域というのは、国からしてみれば実に魅力的なものだ。誰も存在せず、誰も侵略されていない場所は発見した国に属することが出来る。それは、戦争や侵略行為をせずとも国土が広がる。
 国が航海を成功させた者に、王侯貴族のものと同じだけの地位と報酬を与えるのも国土に関する事情があるからだ。

「そりゃあ、航海を諦めたことは一度や二度じゃなかったさ。同じ航海者も病気や魔物の襲撃で何人も死んだ。決して楽な道筋ではなかった。それは間違いない。それでも」
 言葉を区切って、エドが地平線の彼方まで続く遥かな大海を見下ろす。その時の熱を思い起こしたのように、眼差しを遠くへと飛ばした。
「あの時の、新大陸を見つけた時の熱は、今でも覚えている―――」
 多くの犠牲を払い、幾星霜の月日の果てに、自分たちが目指した地平を見つけた時の興奮は、エドの、航海者たちの胸を焦がしたことだろう。話に耳を傾けているだけのルシュカとて、話を聞いているだけでその興奮が伝染したかに、胸が熱くなってくる。

 でも、同時に、ルシュカにはそれが羨ましくも思える。
 犠牲は多かれど、苦難の道は長かろうと自分たちだけで勝ち得た栄光。血筋も、身分も、全てが関係なく至った新しい地平。
 その瞬間を見れるまで、歩み続けた。それは誰にも汚せず、踏み入ることは出来ない焼きついた興奮はその時にしかわかりえないものだ。それを持っているルシュカが純粋に羨ましく思える。

「おっと、少し話が過ぎたかな」
「あの、俺も……」
 ルシュカが下に視線を落として、僅かに逡巡をする。
 言葉にしてしまいたい好奇心と、言葉にしてしまったら引き返せなくなる恐怖が一瞬のうちに、同時に心に差し込んで、唇を戸惑わせる。拳を堅く握って、ルシュカがゆっくりと面を上げる。

「俺も、その熱を掴み取れる日がいつか来ますか」
「それは君次第だよ、ルシュカ」
「そう、ですか」
 はぐらかすようなエドの言い方に、落胆めいたものを感じて短く言葉を切る。
 それはそうだ。彼らは彼らで、その時を迎えるために努力を重ねてきたのだ。言葉一つだけで同意はしてはもらないだろう。
 ルシュカは、己の浅はかさに嫌気が指す。どんな時も、ただ浅く、浅くで……その場限りでの行動しか取れずに自分を苦しめていく。落胆するのは、筋が違うだろうと自分に言い聞かすも、差し込んだそれは止め処なく心に満ちていく。

「話は終わりかな」
「はい……ありがとうございました。お時間を取らせて申し訳ありませんでした」
 エドが踵を返して、本来の仕事へと向かうために城内へと歩き、どんどんその背中が遠くなっていく。ぼんやりと見つめるしかないルシュカには、霞んだその背中は遠く、大きく映った。

「そういえば」
 エドが振り返らずに立ち止まって、思い出すように言葉を発する。

「先日のイシスの件で、我々もまた多くの被害が出た」
 それはルシュカも忘れようがない。あの魔族の襲撃でイシスは多大な被害を被り、『幸福の果実』の面々もまた数名の犠牲者を出してしまった。
 ルシュカに色々と知識を教えてくれた商人たちの中にも、その時に亡くなってしまったのをよく覚えている。胸を突き刺すような、引き千切られたような胸の痛みと悲しみは消しようがない。

「よって我々もまた、新しい人手を欲している。特に若い商人を」
 エドの声がルシュカの耳に届いて、弾かれたようにルシュカはエドに視線を向ける。それに気が付いているのか、気が付いていないのか……エドが歩き始める。
「全ては君次第だ。ルシュカ」
 それだけを言い残して、エドの姿は遠くへと霞んでいく。

 光が差している。
 新しい道筋は、既にルシュカの目の前に開かれている。遥か遠くへと、新しい地平と道は拓かれている。必要なのは、ただ―――。

 それぞれの道。
 アルトやシエル……幼い頃から行動を同じくしてきた彼らとの完全な離別であった。




BACK  /  TOP  /  NEXT