荒涼とした廃墟は、どこまで続いた。
 今もまだ村の日々が続いていると思い込んで彷徨う亡者たちを掻き分けて、星一つない漆黒の空の下をバーディネが歩む。
 荒れた地面を踏み締めて、村の入り口まで来ていた。掠れ、削り取られた看板の文字をバーディネが見上げる。

「……テドン、と書かれているな」
 バーディネが辛うじて読める文字を口にして、この村はテドンだというのはわかった。
 かつて風の噂に聞いたことがある。
 魔王が降り立って、ネクロゴンドを侵略した。奮闘も虚しく、王都は魔族たちの手に堕ちた。だが落ち延びた一部残党はその後も激しい抵抗を続けた。
 だが、祖国奪還の願いは終わりを告げる。ある場所を最後に反抗が途絶えた。最後の激戦地…テドンの村で。
 つまり、今いるのは最後の抵抗があった地点に迷い込んでしまったということか。どれだけの戦いであったかは大地の傷跡で、窺い知れる。

「今も尚、成仏できずにいるってことかい」
 振り返って、村の往来をバーディネが睨みつける。
 死んで尚、故郷にしがみついた魂たち。大地に縛られても、まだ故郷に未練を残す怨霊ども。それでも、自身の死を理解できないまま命を落としたか。

 そうまでして、生にしがみつきたいのか。
 それともここ、テドンの村に郷愁を残すのか。
 怨念や呪いに縛り付けられても、生まれ育った大地に在りたいと思った願いの残滓が成しえたことなのか、それはわからない。
 わからないがどちらにしろ―――バーディネには無縁の話だった。
 ただわかるのは、今の自分たちがその呪いの輪に取り込まれてしまったことと、この村に長居は無用だということだけだった。
 バーディネが霊たちの往来を一瞥して、足は動き出していた。

 バーディネが踵を返して、入り口の門の向こうを見る。
 空と大地が地続きになったかのように、漆黒の霧が地平線の向こうを覆い隠して遮っている。どす黒い色はここが別世界だと訴えているようだ。
 それでも構わずに、バーディネが歩を進める。
 だが、バーディネの歩みを阻むかに黒の霧が歩みを止める。黒い霧がバーディネの身体を押し留めんとたわんで、村の中へと弾き飛ばす。

 身体が宙を舞って、勢い良く地面に叩きつけられて、背筋に鈍痛が走る。短く呻くが、すぐに砂埃を払ってバーディネが立ち上がり、黒い霧を睨み据える。
「結界って……奴か」
 エルフの森で下界とを遮断していたもの。
 それと似たようなものがどうやらこの村にも張り巡らされているらしい。だが、なぜこの村が結界で守られているのか。確かに激戦区ではあったようだがこの村自体に特別な何かが守られているとでも言うのか。

「この村に何がある、って言うんだ」
 もしかしたら、この結界を生み出しているのはそれなのかもしれない。
 仮定するには情報が足りないが、結界の根源を探してみる。夜に呑まれた村をまた、散策し直さないといけないと考えると気が滅入りそうだったが、やるしかなさそうだ。

 駆け出して、村の奥へと走りぬける。
 実態のない魂たちを掻き分けて、村を見渡せる場所を目指す。入り口から見上げて、切り立った崖のような、小高い丘が見えた。そこならば、村の全体を把握できるはずだ。
 淀んだ、温い風が頬を撫でて、身体に纏わり付いてくる。重く、重く死した怨念が風となって自身の行く先を阻むかのように。だが、それに意にも返さずに、振り向くことすらなく真っ直ぐに、掻き分けて矢のように走り抜けていく。
 なぜ、ここまでして、ただ旅に同行しているだけの人間のために動けるのか。
 どこまで旅をしていけるかも、自身の先もわからないのに、何故―――。

 旅の仲間など、ただの同行者に過ぎない。
 負傷による離脱、死別。他の冒険者との諍いによる離別。
 別の目的のために契約を切る。そんなものは幾らだって見てきた。旅をしている以上予期せぬ別れなど幾らでもある。

 だから、他者に踏み込まず、自身も誰かの旅の事情に深く踏み込まない。冒険者はどんな大義があろうと、自身の目的、欲のために旅をする。それが暗黙の掟であり、干渉する義理もない。
 そうやって旅をしてきた。そこに疑問を差し挟む必要などない。
 当然だろう。当然のことだろう。他者に必要以上干渉して、自身の旅にいらないものを気負う必要がどこにある。所詮は……その場だけの、ギルドによる斡旋された同じ契約の間だけの仲間でしかない。過度に馴れ合うことも、諍いを起こすこともまたすることはない。

 ならば、何故。
 この足は何に突き動かされているというのか。この足を突き動かすものは何なのかというのだろうか。  仲間など、ただの同行者に過ぎないのであれば、動けない仲間などただ見捨ててしまえばそれでいいのに、何故動いているのか。

 駆け抜けてしまえば、もう目指した目的地へと着いていた。
 村を一望することが出来る。その目にテドンの村の姿もまたその眼に晒される。
 癒えることなく、朽ちていくだけの破壊の痕。その姿を見てぐっとバーディネが唇を噛んだ。残虐の後を見つめて、心に何かが芽生えた気がした。
 その痕が物語る慈悲もなく痛みだけを残した廃村を見て、じわりとしたものが心に走る。気が付けば、拳は硬く握られていた。

「何をぐだぐだと……」
 らしくもない……そう自らで自虐気味に思い、バーディネが短く息を吸って、考えを振り払う。
「冷静になれ。今はそうじゃないだろ…!」
 バーディネが自分に言い聞かせて、自分のすべき事を今はやるべきだ。
 この村から出るための手段。この村を閉ざす結界とやらを破る手段を探さなければならない。

 拳を握ったり、開いたりを繰り返してからまたバーディネが村を見下ろす。その後で、ゆっくりと目蓋を伏せる。感覚を研ぎ澄ます。視覚、聴覚、味覚、触覚を遮断するように嗅覚を研ぎ澄ます。
 盗賊が覚える固有の特技……<盗賊の鼻>だ。嗅覚を研ぎ澄まして、遺跡や洞窟などに眠る財宝の匂いを察知する。盗賊の嗅覚で、村に眠る何かを探知する。

 死臭。村に纏わりつく死人の匂い、朽ち果てた木材の、壊れ果てた無機質の建物の、青々しく茂る雑草の匂いを潜り抜けて……異質な、金とも銀とも違う何かの硬質な匂い。
 これは何か。
 今までで感じたことのないものがこの村には眠っている。
「これが村を閉ざすものってわけか」
 目を見開いてバーディネがそこを、見つめた。


 恐らくこの村が存在していた時代も、現在も訪れる者は少ないであろう場所だった。
 牢獄。
 村の奥にひっそりと佇むそこは、錠前の向こうから深き闇が覗かせていた。小さなこの村に不釣合いなほどに堅牢な監獄の前に立って、バーディネが錠前を押す。

 多少はてこずるかと思ったが、なんてことはなくあっさりと扉は開いた。
 堅牢であろうとも老朽化し、長らく放置されたからかぎい、と鈍く錠前そのものが崩れてくるのではという不安を感じさせた。
 躊躇いもなく、誰も訪れなかった闇へとバーディネが踏み込む。土っぽい匂いが鼻腔に差し込んで、次に茶色い砂埃が弱く舞う。バーディネが意にも返さず、土煙が舞う牢獄を見つめる。
 人影があった。今にも消えてしまいそうな……弱い、儚い一つの影がそこにいた。

 バーディネが目を細める。
 人影はこの場には不釣合いな人物だった。やつれた男だった。ぼろぼろに破れた魔術師の法衣に身を包んで、力のない眼差しで見ていた。
 確かに、男の焦点はバーディネを見据えている。
 この村の亡者たちは、他者を認識しなかった。自分たちが何を尋ねても、その意思がこちらに向かれることは決してなかった。なら、これもただの偶然でしかないのだろうか。

『やあ。ようこそテドンの村へ』
 男が力なく、笑みを浮かべる。やはり、男はバーディネを認識している。間違いなく。
 声は耳朶を打って入ってくるものではなく、どこか思惟に響いて、頭の中に語りかけられている感覚に近い。彼もまた亡霊であるが故か。

「あんたは俺のことがわかるのか」
 バーディネが素っ気なく返して、男が力なく頷く。どこかくたびれた印象を与える男の眼差しをバーディネが見つめ返す。
『彼らはただ繰り返しているだけの魂……この村がまだ平穏であった時を投影しているだけ。君らの言葉は決して届くことはないだろう』
「幻……ということか。あんたは違うのか」
『似たようなものだよ。死した魂の身には変わりがない。死を認識している。それだけのことさ』
 男が自虐的に微笑んだが、バーディネは笑みを返すことなく立ち尽くしていた。

「この村に偶然迷い込んだ。仲間が体調を崩してもいる。結界を解いてくれ」
 バーディネが単刀直入に用件を切り出す。男が短く、嘆息したようにも見えた。
『それには及ばない。これは夜だけに起こることに過ぎない。日が昇れば過去の残滓は消え、君たちも解放される。巻き込んでしまってすまない』
 真摯に、男がバーディネに対して謝罪をする。勝手に巻き込まれたのはこっちであるはずだ。居心地の悪さと罪悪感が思惟を過ぎり、俯きがちに視線が下に落ちていく。

「謝るのはこっちだ。巻き込まれたのは俺たちの責任だ。これを……繰り返してるのか」
『そう。幻の中で僕は待ち続けている』
「何のために……」
『託すべきもののために』
 短く、明瞭に言葉に込められた意思を、バーディネが感じ取る。くたびれた男の中から強い意志を感じ取って、バーディネはただ目を丸くした。
 託す。誰に。何を託すというのか。この停滞する……繰り返され続ける同じような日々。その中で来るかもわからないものを待ち続けて……気の遠くなる話だった。

『元々僕たちが招いた争いだ。村の皆はただ巻き込まれただけに過ぎない』
「何を……」
 沈鬱な面持ちで俯いた後、男は法衣の裾から一つの球体を見せた。掌ぐらいの大きさの……透き通った深緑の宝玉。
 見つめれば―――宝玉の中に小さな光を宿しているように見えた。弱く微かなものでしかなかったが、バーディネの視界を一瞬だけ光が強く瞬いていた気がした。

 錯覚か……。
 村を包み込んだ闇を照らさんばかりに、輝いたその光に呑みこまれてしまいそうになる。目を細めるが、最初から光は輝くことなく、そこに存在していただけのように牢の中は何一つ変化はなかった。
『全て……これが引き金となったものだ。ここテドンはおろかネクロゴンドが崩落したのも全て』
「なんなんだ…この宝石は」
 バーディネが真っ直ぐに、握り締めた宝石を尋ねる。

『翠の宝珠……古来よりネクロゴンドで守られ続けてきたものだ』
 男の掌で、暖かな光を放つもの。
 宝珠。
 かつてアリアハンに納められ、魔族の襲撃で奪われたものと同じ宝玉。理由はわからないが、魔族が狙うものが目の前に差し出されている。
『六つに分かれた神鳥ラーミアの魂のカケラ。ラーミアは人の世と神の世を繋ぐ、時を越える翼を持つ神の眷属。翼ある者たちの王…』
 途方もない話だ。だが、今、目の前にあるのがとてつもないものであると……わかる。

『魔の者はこれを求め、狙っている。私はネクロゴンドで魔法使いとして国に仕えていた。ある日、魔族がネクロゴンドに突然現れて、侵略を開始した。それもこの翠の宝珠……恐らくは全ての宝珠を我が物とするために』
 男の眼差しは真っ直ぐに、バーディネを見つめてその視線を受け止める。
『魔族の狙いが翠の宝珠だと悟ると私は翠の宝珠を持ち去り、命からがら王国を落ち延びて、このテドンへ逃げ込んだ。結局は追っ手が差し向けられてテドンもまた滅ぼされてしまった……』
 霊体のままの手が堅く握られた。死して尚残る無念が、今もこの場所に彼を縛り付けるのか。

『全ては私が招いたことだ。テドンの人々には本当にすまないと思っている……だが、それでもこの宝珠を渡すわけにはいかなかった……』
「結界で守っていたのも、あんたの仕業ってわけか」
『宝珠を触媒にして、擬似的にトヘロスを再現した。働く力が大きすぎて、夜の間、この村のかつての姿を再現するようになってしまったが……』
 トヘロスは退魔の呪文。魔を退ける今は失われた光の呪文であると男が告げた。

『これを……』
 感慨深げに、男の言葉が震える。握り締められた翠の宝珠が、バーディネの前に差し出される。
『君に託したい。いつか……それを受け取るべき誰かに、託して欲しい』
 彼は、ここから解き放たれることなく、翠の宝珠を隠し続けた。

 それを、受け取るのが、自分でいいのか。
 バーディネに迷いが囁きかけて、受け取る指を迷わせる。
 彼が、翠の宝珠を託すべき存在はきっと世界を導く光たる者……勇者なのだろう。ならば、これを受け取るのは勇者でなければならない。
 希望を紡ぎ、人を導く光そのもの。少なくとも希望の光になどなれはしないことなど、バーディネは当に理解している。その理解が指を惑わせて、翠の宝珠に触れることを拒ませる。

 バーディネの逡巡を余所に、村そのものが揺れ、大地が震えた。大気が悲鳴を上げていた。
 本来起こるべきではない何かが、この村に迫っているようだった。




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