そこは戦場であった。
 不可侵であるはずの聖域で、本来戦いなど起きるはずのない場所で命をやり取りを迫られている。赤々と炎が燃え上がり、轟々と紅が森を焼く。
 無人の野を行くが如く、目的地へと突き進んでいく。異形の侵略者は敵対するはずの者たちなど障害にもなっていない。羽の一振り、爪の一閃で容易く崩れ落ちる脆弱な命に侵略者の歩を阻むことはまず許されなかった。

 侵略者が、ダーマを襲撃したのはやはりガルナの塔に眠る遺産が目当てだった。
 魔の王は力を渇望している。
 世界をも歪ませるほどの力を。理を超える力を。それを従えるほどの知識と遺産がここ、ダーマに眠っている。それを手に入れ、ダーマを陥落させたとあれば魔王の目的にまた一歩近づく。
 加えて、ダーマ神殿は人の世では不可侵の場所とされている。崩れ去ればまた一つ世界に恐怖が満ちる。死に行く者の恐怖、苦痛、憎悪……それらで世界を満たされれば、根源たる闇が濃くなれば、魔の者はより力を得る。

「他愛もねえ―――」
 無慈悲に、死体を踏みつけ鼻を鳴らした。
 不可侵とされる場所の警備がこんなものとは。どれほどのものと期待してみれば期待外れもいいとこであった。所詮人間などこんなものかという落胆を胸に侵略していく。
 どれほど進んだか開けた森の広場に出た。木々が乱立した森の中に比べれば、随分と見晴らしがいい。
 そこにはやはりダーマから差し向けられた人間たちが待ち構えていた。またかとうんざりした気分になりながらも、襲い来る彼らに応戦する。

 姿を現した蹂躙者に向かって、衛兵達は狂ったように魔法を撃ち込み続ける。火球が放たれ、炎が瞬き、爆発が爆ぜ、氷柱が砕ける……攻撃呪文の嵐に晒される。
 だが、そのどれもが効果を示さなかった。炸裂した魔法が漸く収まると、風に吹き散らされた爆煙の中心では魔族は変わらぬ姿で佇んでいた。
 兵たちは瞬く間に動揺し、恐れ戦く。大気を震わせ、魔族が身体を仰け反らせる。思いっきり身体を前に突き出すと同時に閃熱が吐き出された。

 炎が舞い踊り、紅が広間を支配する。激しく舞い踊る炎に人間達が皆、包み込まれる。
 焦げ臭い空気と苦悶の声が場を支配する。誰も起き上がることが出来ず、倒れ伏す。魔族にとっては彼らがどうなろうとも、興味のないことだ。
 一人の兵が立ち上がり、満身創痍の状態ではあるが行く手を阻もうとする。

 闘志だけは充分だったが、それだけで戦場を制するほど戦いは甘くない。魔族が相手なら尚更だ。
 そんな相手の事など微塵も介さずに、強靭な腕を振り下ろし、阻む執念を断ち切ろうとする。敵は恐れを抱きながらも、一歩も足を後退させる事はなく、きつく刃を食いしばった。

 魔族の強靭な爪は抉り出されることなく、弾かれる。
 立ち塞がったのは小柄な影。金色の冠を抱いた黒髪の少年の姿であった。剣と爪が交錯し、噛み合う。少年は力の限りに魔族の一閃を受け止め、兵の命を救った。



 アルトが駆けつけた時にはもう既に、兵たちは倒れた後だった。
 目の前に立つ異形は人の姿をしていながらも金色の鬣を靡かせ、同じく金色の眼差しを持っていた。金色の如く輝く鱗の鎧に身を包んだ人の形をした異形。
 人ならざる存在感を訴える蝙蝠の翼と、顔立ちは整っているが、口から垣間見える獰猛な牙と、剣を思わせる尖った指先の爪が人ではないことを訴えていた。

 きっ、とアルトが魔族を睨み据える。シエルたちが駆けつけ、それぞれ構えて臨戦態勢に移る。
 シエルが傷ついた人々の治癒をして、何とか命を拾った人々が立ち上がる。傷ついた重症の人、未だ目を覚まさぬ人を抱えて、衛兵達は後退していく。多くの人々が命を拾ったようだが、少数は倒れたまま意識を取り戻す事はなかった。
 そんなアルトたちを見て魔族は唇を歪ませて、獰猛な笑みを浮かべた。

「そうかァ……てめェらがエビルマージが取り逃がしたって言う人間達かァ」
 得心が言ったように、魔族はアルトたちを見る。
「だったら何だ? 仲間の代わりに俺たちと戦うってのか?」
 バーディネが敵意を向けたまま吐き捨て、それに魔族が一瞬だけきょとんとした後、豪快に笑い転げた。

「ふっは、ぶはははァ! んな訳ェねえだろうがァ! おもしれェこと抜かすなァ!」
 呆気に取られるアルト達を余所に、魔族が笑い続ける。
「このオレが……このスカイドラゴン様が仕えるのはあんな根暗野郎じゃねェ…! 誇り高き魔将―――剣将ソードイド様たった一人よォ!」
 闘気が大気を震わせる。スカイドラゴンと名乗った魔族の咆哮は叫びだけで、暴風だった。
「つまりテメェらは宝珠を持っているということだァ! エビルマージが奪い損ねたヤツがなァ! ダーマを潰し、宝珠をも手に入れられれば俺の名も上がり、ソードイド様の名も更に上がるというものよォ!」
 闘気と殺意が混じった声が森そのものを震わせる。

 スカイドラゴンの飛翔は羽ばたきすらも轟音であった。一気に距離を詰め、爪を振り下ろす。それにアルトが駆けて一閃で阻む。
 弾かれた爪は大地を抉り、鋭い一閃は更に止めどなく襲い来る。続け様に連撃で襲い来る爪をアルトは受け止めるので精一杯であった。力と迅さを兼ね備えた一撃は容赦なくアルトに襲い掛かる。
 横からバーディネが隙を付くが羽に打ち据えられて、宙を舞う。だが、舞い踊ったのは外套だけで姿は無かった。一瞬の感激を縫って、懐に飛び込んだバーディネは短剣を突き立てる。

 咄嗟に気づいたスカイドラゴンは爪で弾いて、バーディネは体勢を崩す。
 その一瞬にスカイドラゴンが爪を突き立てんと鋭く穿たんとするが、目の前に鞠が踊っていた。スカイドラゴンが切り裂いた鞠は弾け、身体に糸がスカイドラゴンの身体に絡みつく。
「くっそ……小賢しい真似をォ!」
 瞬く間にスカイドラゴンが糸を引き裂いて、拘束を打ち破る。一瞬の刹那、それさえ稼げれば充分だった。その瞬間にユイが飛び込んで突き抜けていく。シエルが加速呪文ピオリムを詠唱し、更にユイを加速させる。

 ユイが迅さすら越えて、世界を貫く矢のように敵へと突き抜けていく。全身を乗せた一撃をスカイドラゴンに叩き込む。幾ら強靭な鱗に身を包んでいようともそれすら打ち砕く一撃に魔族が怯む。
 その一瞬に、メリッサが増強呪文バイキルトを唱え、アルトが踏み込む。更に強固なものとなった一閃が魔族に振り下ろされる。鋭く、一閃が瞬き、引き裂かれる。強靭な命が倒れ伏す。

「やった!」
 メリッサが歓喜の声を上げて、勝利を確信する。
 気を緩ませたその瞬間だった。スカイドラゴンは踏み止まり、口から吐き出された炎が轟いた。大気中の力、その全てが凝縮された爆ぜた。悲鳴さえ、灼かれる。

「中々愉しませてくれるじゃねェかァ…!」
 アルトが吹き飛ばされて、地面に叩き付けられる。がァ、という小さな呻き声と共に背筋に鈍痛が走る。
「あ、アルト君…!?」
「だ、大丈夫…」
 シエルが駆け寄って、アルトの傷を治療する。憔悴したシエルと裏腹にベホイミの光は弱々しかった。少年の身体を治癒している瞬間にも、戦いは続く。

 バーディネが粉塵に紛れて魔族に追撃を加えようとしたが、翼に打ち据えられて、正面から突っ切ってきたユイに向かって叩き付けれる。
 二人とも吹き飛ばされて、大木に吹き飛ばされ、追い討ちとばかりに二人に炎が襲い掛かり、焼き払われる。
 空かさずにメリッサがヒャダルコを詠唱し、魔力が解き放たれるのと同時に大気が凍て付き氷刃を成して、スカイドラゴンを引き裂かんと襲い掛かる。
 しかし、スカイドラゴンから吐き出された圧倒的な熱量は一瞬の間、ヒャダルコと拮抗するがすぐに氷刃を消滅させて、メリッサに煉獄の炎が襲い掛かり、彼女を嬲る。

 アルトは身体を無理に起こして、表情を歪める。治癒を完全に終えていない状態で、全身が軋んで、痛みを訴えてくる。それでも、立たないと。皆が戦っているのだから。
 口から短く息を整えて、アルトが鋭く敵を見つめる。スカイドラゴンは戦いを愉しむかのように、そんなアルトの姿を見て、口元を歪めた。

「シエルはみんなの回復をお願い……僕が時間を稼ぐから」
「む、無理です。そんな身体で……」
 不安げに見つめるシエルに、アルトが短く微笑んでみせた。剣を振り上げて、構える。気持ちを切り替えて、足は一歩を踏み出して、駆けていた。

 アルトの意を汲むように、スカイドラゴンが研ぎ澄まされた爪を振りかざして、次々と斬撃を浴びせる。
 次々と襲い来るあらゆる名刀にも勝る爪の斬撃は弾くのが精一杯で、アルトの身体が踊らされる。アルトは耐え抜き、最早執念とも言えるその姿で魔族に切迫し続ける。
 一瞬でも気を抜けば、意識を持っていかれそうになりながらも、アルトは剣を振るい、剣戟を繰り広げる。
 業を煮やしたスカイドラゴンが大きく飛び退る。今度は燃え盛る火焔を吐き出し、渦巻く炎がアルトを包み込んで、大気を取り込んで燃え盛った炎の中に少年の姿が呑み込まれる。


「あっ……アルト君!?」
 バーディネたちの治癒に取り掛かっていたシエルだが、そんなアルトの姿を見てしまう。
 シエルが駆けつけようと立ち上がるが、スカイドラゴンに喉元を乱暴に持ち上げられて、唇から上手く息をすることが出来ず、窒息しそうになる。
 何とかその手を振り払おうともがくが、所詮はか弱い女の力。スカイドラゴンの腕を掴むのが精一杯で抵抗など出来る筈がなかった。
「フン……こいつがエビルマージが執心してる女か」
 シエルを掴み取ると、興味なさげにスカイドラゴンが吐き捨てる。

「ち……ちが…ッ」
「違わねェよ。人間の女如きを連れてくのは癪だが、あいつへの貸し程度にはなんだろ」
 その乱雑な言葉はシエルの心を抉るのには充分なもので、深く心に突き刺さっていく。
 抵抗して必死に振り解こうとするが、やがてその心に諦めが支配しようとしていった。

「お前がどんだけ否定しようとよォ。お前如きじゃ変えられねェもンがあるってこった。さっさと諦めなァ」
 必死に掴んでいた手が力なく堕ちていく。
 灰色にくすんでいく。今まで幸せだと思っていたものが、今まで楽しかったことが、シエルを取り巻くその全てが色褪せていく。
 身体が冷めていく。シエルに脈々と流れる血潮だけが熱かった。魔族の言葉に呼応して、どくどくと不気味に脈動をしている。呪いの如くに流れる血が魔族の言葉を肯定している気がしていた。
 目蓋から涙が溢れ出ていた。止めどなく溢れる涙は悔しさと、悲しさとが入り混じって堰を切ったように溢れてきた。止められなかった。止めようがなかった。

 所詮は生まれもったものから逃げられず、ただ呑まれて行くだけなのか。
 どれだけ記憶を重ねようとも、この身体に流れる血潮が全てを決める。思いも、思い出も、全てを無価値にして。ただ最初から決められた予定調和。ただの少女では変えられず、ただ諦めるしかない。絶対的なモノ……。
 運命……定められた命は、絶対的で、理不尽なものだった。

 本当に、そうなのか。
 シエルでは抗えないものなのか。
 それだけ絶対的なものが全てを決めるのか。

 諦めが全てを呑み込もうとした瞬間に蘇ったのは、アルトの笑顔だった。
 シエルの味方になると言った言葉が蘇る。揺らぐ境界線の狭間で思惟に蘇った少年の姿。血潮は今も蠢動を重ねている。自分に流れているのは、確かに魔の血なのかもしれない。それでも、とシエルは言い聞かせる。抗えない定めはどれほど理不尽でも、アルトの笑顔は、裏切りたくはなかった。
 アルトを、今まで自分を支えてきたものを裏切って定めに従う。それこそが本当に、今まで積み重ねてきた暖かいものの価値を自らの手で無に帰す事なのではないだろうか。

 唇を噛んで、スカイドラゴンを睨み据える。怪訝そうに少女を、魔族が見ている。
「行き……ま、せん……」
 自身の言葉を締め付けられた力に抗うかのように、唇が紡いでいく。目の前に君臨する理不尽を拒むかのように、シエルの思惟は戦おうとしていた。
「わた、しは……ぜっ、た……いに、いきません……ッ!」
 シエルは拒絶を示した。それもまた一つの抵抗、一つの戦い。それを吐き出して、魔族を睨み続けた。

「そうかよ……まァ、どっちでもいいんだけどよォ。だったらここで死になァ」
 シエルの喉を絞める力は、少女の細い喉を骨諸共砕こうとしていた。首と身体が引き裂かれるようとしていた。気道は瞬く間に消え、身体から全ての呼吸が途絶えようとしていた。
 だが、一瞬のうちにその力は軽くなり、呼吸が自由となる。きつく閉ざされた目をゆっくりと開くと、アルトの腕に抱かれていた。死した自分が今際の際に見ている一瞬の夢なのではないのか。そう錯覚するも、緩くなった気道は呼吸を求めて、絶え絶えに喘ぐように口を開く。
 魔族の手を斬り飛ばして、アルトはシエルを救い出していた。夢見心地な感覚に包まれて、シエルは淡く微笑んで、アルトもまた応えて微笑みを返した。

「言っただろ? 今度は守りきってみせるって―――」
「―――は、い」
 アルトが笑って、それに釣られてシエルも微笑みを溢した。きっと、アルトはどんなことがあっても、必ず味方になってくれる。その希望を抱いて少しだけ逞しくなった少年の姿を、ぼんやりとシエルは見つめていた。

 シエルを地面に降ろして、アルトが敵に向き直る。アルトが斬り落とした手はもう既に回復し、元通り再生してしまっている。
「所詮は痩せ我慢だろォが! そんな身体でェ! 何が出来るって言うんだよォォォッ!」
 スカイドラゴンの口から炎を迸り、灼熱の業火がアルトとシエルに襲い掛かる。
 アルトはシエルの目の前に立ち塞がって、受け止めようとしていた。スカイドラゴンはそんな少年の覚悟など構わず、圧倒的な質量を誇る熱が二人を灼き尽くさんと燃え滾ろうと、紅く煌めく。灼熱の死が、二人を呑み込んで―――。

 ―――しかし、誰も、何の痛痒もなかった。


 光の衣がアルトとシエルを包み込んでいた。二人の目の前に立ち塞がる蒼の外套に、熱を孕んだ風に煽られて靡く絹の如き蒼銀の髪。長身美麗な青年が二人を庇うように、魔族の前に立ち塞がる。
 ダーマの賢者ヴォルディークが目の前に立ち、アルトたちにゆっくりと振り返り、短く嘆息をした。もう、満身創痍でシエルを守るために最後の気力で立ち上がり、崩れ落ちたアルトの肩を支えた。

「―――女の前で格好つけるのは男の性だが、程々にしておきな」
「ヴォルディーク、さん……」
「諸々あって遅れたのは悪いと思っているがね。だが、意地を貫き切ったお前の姿を見せてもらった」
 ヴォルクがにっと笑い、アルトはただぼんやりと見ているだけだった。ヴォルクが手を天に翳して、淡い光がアルトを、シエルを、皆を包み込む。
 光は傷を治癒するばかりか、アルト一人ではなく、シエルたちの傷をも元通りに復元させた。広域回復呪文ベホマラーを詠唱し、ヴォルクは魔族に対して向き直った。

「てめェが、ダーマを護る賢者の一人か。ちょうどいい…! どっちみち、ぶっ殺す予定だったんだ。さあて、覚悟しな」
「はっ……お前如きが、俺をどうするって?」
 獰猛ににやりと、ヴォルクが口元を歪めてスカイドラゴンを見下す。それが癪に障ったのか、スカイドラゴンが猛り、猛烈な灼熱を吐き出し、全てを焼き尽くそうとした。燃え上がる紅蓮の炎はこの場にいる全てを屠らんと猛る。

 憮然とヴォルクが見据え、魔力の煌めきで軌跡を描きつつ、扇状の軌跡から閃光が迸り、空気と入り混じって、超高温の熱風にスカイドラゴンの炎の威力をも取り込んで、ベギラゴンの焔が薙ぎ払う。
 炎に呑み込まれてスカイドラゴンが嬲られるが、炎を裂帛の気合で振り払う。衰えない闘志と殺気のままにヴォルクの距離を詰めようと、鋭利な爪で切り裂かんとしていた。
 近寄るまでもなく、火球が穿たれてその威力のままにスカイドラゴンが爆炎と共に宙を踊る。くそ、と魔族が吐き捨てる瞬間にはヴォルクの指先から光弾が撃たれる。光が爆ぜて粉塵を巻き上げる。

 爆風を翼で振り払いながらスカイドラゴンが次の攻撃に移ろうとする。
 ふっ、とヴォルクが冷笑し、そのまま指先は天と地を指す。円を描いて両手を逆転させる。円から吹き出した冷たい風が煌めく星の如く、氷の刃を成していく。
 残虐に煌めく魔力は夜空の星の如く幾重にも輝いていた。尚も立ち上がり、咆哮するスカイドラゴンにマヒャドが降り注ぎ、滴る鮮血すら氷結させて、総身を残虐に切り刻んだ。

「くそッ……くそぉッ……! こんな、こんなァ……ことがァ!!」
「もう一度言ってみろ。俺を……どうするって?」
 不敵に魔族を、ヴォルクがスカイドラゴンを見下ろしていた。屈辱とばかりに、歯を食い縛り、スカイドラゴンが血に塗れて、氷の刃に縫い付けられていた。
 ただ、アルトたちは圧倒的な、賢者の凄まじさを目の前で感じていた。人と魔族の圧倒的な種族差。覆しようのない理不尽な真実を、たった一瞬にて覆したのだ。

「このままではソードイド様に申し開きすら出来ねェ……せめててめェだけでもォォォ!!」
 スカイドラゴンの全身が光り輝き、人の姿を捨て金色に輝く鱗で全身を覆われた、巨大な蛇を思わせるその猛々しい魔物としての姿を晒す。まさしく天を飛来する神話の竜のようであった。
「ふん……いいか、教えてやろう。最後の手段に巨大化するってことはな。絶対に勝てないことなんだよ!」
 どこまでも不敵に言い放ち、ヴォルクを忌々しげに竜が憎しみを込めて、見下ろしていた。強大な爪を振り下ろし、旋風が襲い掛かる。
 アルトはシエルを抱かかえて距離を取り、竜の攻撃を回避する。地面を抉り飛ばし、大地に残虐な爪痕を刻み込む。
 だが、その威力が物語る場所にヴォルクの姿はなかった。

 ヴォルクの姿は巨大な竜の背筋にあった。気付いたスカイドラゴンはヴォルクを振り落とそうとのたうつが、その瞬間にはもうヴォルクは地面に舞い降りていた。
 追撃を仕掛けて、そのまま尻尾で地面を粉砕する如くに叩き付けて来る。ヴォルクの掌から小さな風が巻き起こり、風は旋風となり、大きくなり竜巻となり、やがて嵐と化した。
 爆発に近い風の流れは竜すら容易く飲み込んで、斬り刻み、荒れ狂う。

 暴風の塊が静かに消滅すると、小さな影が地面に落ちて、叩き付けられる。
 スカイドラゴンは竜への変化が解け、人の姿に戻った。だが、虫の息で、呼吸も絶え絶えであった。
 辛うじて生きているようだが、再生が追いつくのにはまだ時間がいるのは明らかだ。闘志を剥き出しにした憎しみがこもった眼光が、ヴォルクを射抜く。それに微動だにもせず、ヴォルクが冷徹に見下ろしていた。

 超然と、ヴォルクが見たまま、指先に小さな炎が生じる。
 掌から生まれた小さな炎はやがて、温度の高まりと同時に金色へと色彩を変え、金色のコロナを撒き散らす。引導を渡すべく解き放たれた炎は解き放たれ、スカイドラゴンへと無慈悲に襲い掛かる。
 彼もそれを理解できている為に、歯を食い縛って憎しみを示すだけであった。


 スカイドラゴンへと襲い掛かるはずの魔力の塊は、消滅していた。
 真っ二つに引き裂かれ、スカイドラゴンの遥か後方で炎上し、巨大な爆発が二つ巻き起こっていた。誰もが目を疑い、その時、あらぬ場所から轟と吹き荒れた奔流は、誰一人とて予期しないものであった。

 大気が震えていた。
 圧倒的な怒りと、圧倒的な存在感に。まるで世界がその男に脅えているように。
 スカイドラゴンの目の前に、黒い闇が滲み出るように一人の騎士が立っていた。
 その長身で肩幅の広いその総身は、一分の隙もなく甲冑に覆われていた。その男の鎧はただ黒かった。闇のように、奈落のように、ただ底抜けに黒かった。面影すら無骨な兜に覆われて見えない。
 その黒い鎧に纏わり付く闇の底から、双眸が目の前に立つ者全てを睥睨していた。

「け、剣将……ソードイド様……!?」
 スカイドラゴンが畏怖するように、黒騎士の名を呼んでいた。
 熱を帯びた暗黒の風が、黒騎士の夜の如くに漆黒の外套を煽って靡かせていた。




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